第3話


 私は週に三回ファミレスで接客バイトをしていた。

 いつものように制服に着替えて事務所に顔を出すと、黒地海子くろちうみこ先輩がパソコンをいじっていた。

 海子先輩は艶やかなロングの髪を後ろに縛り、凛とした空気を放っていた。精巧に造られた人形のように整った目鼻立ちをしている。

 美しいなぁ……。

 ゲーム機を買えるだけのお金を貯めたら辞めようとしていた私が未だにバイトを続けている理由は、海子先輩がこの店にいるからだった。


「お疲れ、星谷さん」

「お疲れ様です」


 声を掛けながら近づくと、海子先輩は切れ長な目をこちらに向けた。


「実は今日、新人が来ることになっているんだ」


 新人研修は社員の仕事だった。しかし、急遽本部に呼ばれてしまったらしい。


「君に一任できるかな?」

「任せてください」


 私は胸を張った。

 今の自分を土屋が見たら「気持ち悪いですね」と言うに違いない。

 わかっている。キャラじゃないことくらい。

 でも、この人の前だと素直な人間のように振る舞ってしまうのだ。


「今日来る子は店長の親戚らしい。とはいえ、立場は私たちと同じだ。厳しくしていいと言われてる」

「ビシバシやりますよ」

「優しい君には荷が重いんじゃないかな?」


 ふっと微笑む海子先輩の顔に、私は胸をときめかせた。それと同時にうっすらと罪悪感を覚える。本当の私は優しくないからだ。

 その時、扉がノックされた。高校の制服を着た少女が入ってくる。

 見知った顔だった。

 というか、森合ナナカだった。


「……なんでここに?」


 私が眉尻を上げて訊くと、森合は少し不安そうな顔で口を開いた。


「バイト初日で来たんだけど……。優子ちゃんの方こそ、どうしてここにいるの?」

「一年近くここでバイトしてるから」

「あー、そうだったんだ……」


 森合は疑問が解けたのか、ぱぁっと表情を輝かせた。


「よかったぁ、知っている人がいてくれて。少し不安だったんだよね!」

「……ただのクラスメイトで仲いいわけじゃないけどね」

「ひどっ!」


 私たちのやりとりを見守っていた海子先輩が間に入ってくる。

 事情を説明すると、海子先輩は頷いた。


「それなら研修もやりやすくなるだろうね。とりあえずロッカーは用意しておいた。案内してあげてくれ」

「はい、わかりました」

「期待してるよ」


 海子先輩に視線を向けられ、森合は愛想よく頷いた。

 更衣室に森合を連れて行き、仕事を始めるまでの流れを説明する。森合は今どきの新人にしては珍しく、丁寧にメモを取っていた。


「……私がここでバイトしてるって知って来たんじゃないの?」


 私が訊くと、森合は珍しく不快そうな顔をした。


「優子ちゃん、わたしをストーカーか何かだと思ってない?」

「違うの?」

「違うよ! 人手不足だから頼めないかって叔父さんに言われて手伝いに来たんだよ!」


 そういえば、店長の親戚という話だったか。


「バイト仲間としてわたしが店にいるのはイヤ?」


 返答に困る質問だった。


「何も言わないってことは、イエスってことなんだね……」

「そうとは限らないでしょ。何事にも例外はあるから」


 私は自分の思っていることを素直に告げた。


「そもそも私はバイトでしかないから一緒に働く人間をえり好みする立場にないよ。たとえ嫌いな人と一緒でも仕事はちゃんとやる」

「それ、わたしのこと嫌いって言ってない⁉」


 テンション高めに突っ込んでくる森合から私は視線を逸らした。

 面倒くさいな……。


「ま、いいか。むしろこれはチャンスだもん」

「なんの話?」

「優子ちゃんに好きになってもらえるチャンスが増えたってこと!」


 不敵に笑って見せる。

 私はこめかみに手を当てた。


「どうしてそんな気に掛けてくるの?」

「うーん、なんでだろう。……ハッ、ひょっとしてこれって恋?」

 

 森合はおどけたトーンで言った。


「早く着替えろ」

「あ、急に怖い」

「一分で着替えなかったらみんなで無視するから」

「陰湿すぎる!」


 その後、制服に着替えた森合に研修を行った。

 学校での様子からわかっていたことだが、森合は要領がよく、あっという間に仕事内容を習得していった。これまでの新人の中で一番覚えが早いと思う。


「……うん、お辞儀の角度はそれで合ってる」

「ありがとうございます!」


 森合は元気よく言った。

 いきなり客の前に一人で出すことはできないが、私の横につけてフロアに出すくらいなら可能だろう。愛想がいいから客受けもいいに違いない。

 気に食わないな……。


「ねえ、優子ちゃん。さっきキッチンの人にじろじろ見られちゃったんだけど、わたしの格好変じゃないかな……?」


 森合は不安そうな顔で体を捻り、スカートをひらひらさせた。

 うちの店は制服が可愛いとよく言われる。赤と白のストライプ柄で、どこか甘い印象があった。


「別に問題ないんじゃない? ただ鬱陶しいくらいあざといだけだよ」

「なんか悪口言われた……」


 厨房に入ると、バイト仲間がグラスを割っていた。真っ青な顔をしている。彼女がグラスや皿を割るのはこれで六度目だった。他の先輩がむすっとした顔をしている。怒鳴りたいが、それを我慢している様子だった。嫌な空気が充満している。

 私は箒とちりとりを用意して、その子に声を掛けた。


「私も新人の時にはよくグラスを割ってたよ」

「でも、こんなには割ってませんでしたよね……」

「失敗しても取り返せばいい。菊地さんは私より接客が得意でしょ。みんな助かってるんじゃないの。この程度のミスで責める人なんていないから安心していい」


 苛立ちを浮かべていたキッチンスタッフが、気まずそうに顔を逸らした。

 これでまた嫌われたかもしれない。


「……ありがとうございます」


 片付けを済ませ、私は森合に「お待たせ」と声を掛けた。


「優子ちゃんって、なんかズルいよね」

「は? なにが?」

「なんでもないでーす」


 ムカつく態度だな。本当にいじめてやろうか。

 事務所に戻ると、海子先輩はパソコン作業を終え、休憩を取っていた。


「上手くいったかい?」

「はい、優子ちゃ――優子先輩が丁寧に教えてくれたので!」

「困ったことがあったら星谷さんを頼るといい。もちろん、私を頼ってくれてもいいからな」

「はいっ」


 早速気に入られているっぽいな……。

 むすっとしていると、海子先輩がこちらを向いた。


「初めて研修する側を経験してみてどうだった?」

「いろいろと勉強になってよかったです。機会をいただいてありがとうございます」

「最初は私が研修しようと思っていたんだが、君にして正解だったな。君の方が私より、人にものを教えるのが上手だからね」

「そんなこと……! 海子先輩の方が上手いですよ。私なんて全然です」


 海子先輩は微笑んでから席を立った。外に出てくるらしい。

 海子先輩が出た後、森合は私をじっと見つめた。


「……なに? 見ないでほしいんだけど」

「いや、なんかあの人の前だと、凄く素直だなぁと思って」

「気のせいでしょ」


 私は舌打ちしたくなった。


「好きなの? あの人のこと?」

「尊敬してるよ」

「ふーん……」


 森合は少し不満そうだった。

 海子先輩に向けているこの気持ちを、こいつにだけは知られたくないと思った。

 絶対ろくなことにならないからだ。



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