第2話 お父さん、娘が見つかる

「いつまでも塞ぎ込んでもいられないよね」


 リストラから三日後。

 僕は燈響都とうきょうとの片隅にある自宅で、ようやく気力を奮い立たせた。


 入籍時、背伸びしてローンを組んだ一軒家。

 災害の戦火を免れ、家族の帰りを待ち続ける僕の城だ。


「髭を剃ると若返る感じがする……」


 洗面台の鏡に映る無精髭を剃り落とし、顔を洗う。

 丸眼鏡を掛け、真黒な短髪を整えれば、どこにでもいる「人の好さそうな優男」の完成だ。


 前線で十年戦っても、僕の見た目に貫禄が出ることはなかった。

 妻には『歩いているだけで絡まれそう』と笑われたっけ。

 まあ、これは僕の長所として捉えておこう。


「今日から新生活を始めるよ、四葉よつばさん」


 自室に戻り、作業机に置かれた写真立てを見つめる。

 二人の赤子を抱えて幸せそうに笑う妻に、朝の挨拶を告げる。


 その横には数冊のアルバムと、ボロボロになったスクラップブック。


「……今日も思い出せないか」


 ページを開き、災害当時の新聞記事を目で追う。


『関東民二十四時間記憶消失事件。

 死傷者ゼロ、しかし二十四時間の記憶と共に文明は崩壊――』


 十四年前のあの日。

 全関東民は二十四時間分の記憶だけを失った。


 けれど僕だけは、言語や基礎知識以外の「個人的な記憶」が未だに戻っていない。


 そして同時多発した奇病――魔術師病。

 組織では不治の病である魔術師病患者の拘束、及び治療法を求めて、この壊れた関東を彷徨っている。


「……いけない、これ以上考え込むのは。

 記憶があっても無くても、僕のやるべきことは変わりない」


 僕は両頬をパン! と叩いて気合を入れる。


 記憶がなかろうが、無職だろうが、僕のやるべきことは変わらない。


 身体を動かそう。

 そうすれば、少しは気がまぎれる。


 ◇ 


 一階は、妻の夢だった喫茶店スペースになっている。

 埃を被ったシャンデリア。

 水跡と苔で汚れた窓。

 革張りのソファーは新品同様だが、時が止まったように静まり返っている。


「よし、やるか」


 妻と娘、息子がいつ帰ってきてもいいように。

 僕らの帰る場所は、僕が守る。


 幸い、喫茶店の営業許可は驚くほどスムーズに――適当にともいうが――降りた。


 今の燈響都とうきょうとは行政機能が麻痺している。

 街には闇市が立ち並び、時代は昭和初期まで退行したようだ。

 そんな中で、僕のような元公務員が店を開くくらい、誰も気に留めないのだろう。


「電気と水があるだけマシか」


 携帯ラジオの電源を入れると、ノイズ混じりに大人気バーチャルアイドルの軽快な歌声が流れ出した。

 文明は衰退しても、芸術だけは最新を突き進む。

 歪だが、それが今の日常だ。


 バケツに汲んだ水、モップ、雑巾。

 無心で床を磨き上げる。

 雑念を消して手を動かし続け――古時計がボーンと十四回の時を告げた、その時だった。


「もうこんな時間か、そろそろ家族を探す日課へ――……って、いいぃ!?」


 ――カチャリ。


 背筋が凍った。

 脊髄に冷たく硬い金属が押し付けられる感触。


 プロの殺気。

 逃げ場はない。

 僕は雑巾を持ったまま、反射的に両手を挙げた。


『貴様、を発症しているな?』


 機械音声ボイスチェンジャーによる重々しい男の声。

 調査部がよく使う手口だ。


「い、いえ僕は、普通の、健康的な一般市民です……健康診断でもすべてA判定で……!

 そ、それに三日前まで貴方と同じSTADスタッドに所属してて――ひっ!!」


 言い訳をしながら、冷や汗が背中を伝う。

 まさか、退職したから消しに来たのか?


『白々しい。貴様のような優男がSTADの救急救命術師パラメイジだったと?

 舐められたものだ。STADは魔術師病患者を唯一手術できる国営組織。

 厳しい試験の末に合格を勝ち取る。気様、言い逃れしようとしているな?』


 銃口がぐい、と背中に食い込む。

 こいつ、本気だ。

 引き金を引く指に迷いがない。


「え、ええっと、僕は、第九部隊安藤隊長の班に所属して――あ、IDを見れば……って、ああ、それはこの前、没収されたんだった!?」


『魔術師病患者は嘘が得意でな――誕生日おめでとう、霧間睦記きりまむつき


「ごめん、四葉よつば悠卯乃ゆうの皐我こうが、父さんはここで……ん、た、誕生日?」


 走馬灯が見えかけた意識が、急停止する。

 調査部がターゲットの誕生日を祝う?


 恐る恐る振り返ろうとした、その瞬間。

 背中にあった死の感触が、ふいに柔らかく、熱を帯びた重みへと変わった。


「え、ええ?」


 カランッ。

 床にボイスチェンジャー機能付きの通信機が転がる音がする。

 背中からきつく、肋骨がきしむほどの力で抱き着かれていた。


 首だけを無理やり回すと、視界に入ったのは夜空のように艶やかな黒髪。

 しがみついているのは、背の高い少女だ。


 年の頃は十五か十六。

 僕の娘が生きていれば、同じくらいの年齢。


 彼女は僕の背中に顔を埋め、「すーっ、はーっ……」と、常人ならざる肺活量で僕の匂いを吸い込んでいる。


 まるで猫吸いならぬ、父吸いとでもいうように。

 ……この娘、どこかで?


「って、え、ええ!? か、神無かみなし臨時局長!?」


 恍惚とした声を上げて、彼女が顔を上げる。

 整いすぎた美貌。意志の強そうな瞳。間違いない。


「ど、どんな冗談なんだ……!?」


 三日前、僕をゴミのようにリストラした張本人だ。

 だが、今の彼女にあの時の氷のような冷徹さは微塵もない。


 その瞳はとろけるチョコレートよりも甘く、情熱的なまでに潤んでいる。

 今にも瞳の中にハートマークが浮かび上がりそうなほどだ。


「ただいま……パパ!」


「……は?」


 彼女は熱にうなされたような顔で、僕の唇に狙いを定め――。


「ん~~~っ!」

「うわあぁっ!?」


 僕は身の危険(貞操的な意味で)を感じ、全力で身を引いて回避した。




【あとがき】=============

 カクヨムコンテスト11の公募作品(~2026年2月2日(月)午前11:59迄)です。


 もし「好きな方向性!」「気になるかも!」という方は、【★で称える】【+フォロー】でサポートいただけると、とっても嬉しいです!


 気力の高まりにより、さらに作品の魅力をお届けしてまいりますので、お力添えのほど、なにとぞ、よろしくお願いいたしますー!

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2025年12月21日 19:17
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『父さんは明日から来なくていいです』娘に追放されたアラフォー無能力者は喫茶店を始める。力を抑える必要はなくなったけど、娘が熱っぽい瞳で見てくる~『ママとの想い出は、私が塗り潰しますね!』~ ひなのねね🌸カクヨムコン11執筆中 @takasekowane

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