第11話「守るべき場所と、愛の告白」

 エドガーとの一件から数週間が過ぎた。

 彼は、あれ以来、二度と城の前に姿を現すことはなかった。僕の決意が、ようやく彼にも伝わったのだろう。

 城には、再び穏やかな日常が戻ってきた。

 けれど、僕の心は晴れなかった。

 王都から届く知らせは、日増しに悪くなる一方だったからだ。

 隣国との交渉は決裂し、ついに開戦は避けられない状況になったという。カイゼルも、第一線の指揮官として、すでに出陣の準備に入っているらしかった。


『どうか、ご無事で』


 毎日、神に祈ることしかできない自分が、もどかしくてたまらなかった。

 僕がカイゼルのためにできることは、本当に何もないのだろうか。

 そんな無力感に苛まれていたある夜、事件は起こった。


 真夜中、けたたましい警鐘の音が、城内に鳴り響いた。

 何事かと飛び起きると、ゲルトさんが血相を変えて僕の部屋に飛び込んできた。

「リヒト様! 敵襲です!」

「て、敵襲!?」

「何者かが、夜陰に乗じて城壁を越えようとしています! 数は、およそ三十!」

「エドガー様、でしょうか……?」

「いえ、手口が違います。おそらく、隣国の密偵か、あるいは傭兵かと!」


 最悪の事態だった。

 カイゼルが不在の今を狙って、敵が攻めてきたのだ。この城の守りは、王都へ向かう際に多くの兵を連れて行ったため、手薄になっている。

 ゲルトさんは、僕に城の最も安全な一室に避難するように言った。

 けれど、僕は首を横に振った。


「いいえ、ゲルトさん。私も、戦います」

「何を仰います! あなた様は、旦那様の大切な……!」

「だからです!」

 僕は、ゲルトさんの言葉を遮って叫んだ。

「カイゼルの大切なこの城を、領民を、私がみすみす敵に明け渡すわけにはいきません! 私も、ヴォルフガングの人間です!」


 僕の瞳に宿る決意を見て、ゲルトさんは一瞬、言葉を失った。そして、深く頷いた。

「……承知いたしました。では、リヒト様には、負傷者の手当てをお願いできますでしょうか。あなた様の薬草の知識が、必ず役に立ちます」

「はい!」


 僕は、すぐに医務室へと向かった。

 温室で育てた薬草を調合し、包帯や清潔な布を用意する。

 城の外からは、剣のぶつかり合う音や、人々の怒号が聞こえてくる。一人、また一人と、負傷した騎士が運び込まれてきた。

 僕は、震える手を叱咤し、懸命に彼らの手当てにあたった。

「しっかりしろ!」

「リヒト様、痛み止めを!」

 飛び交う声。血の匂い。

 恐ろしくて、足がすくみそうになる。けれど、僕がここで倒れるわけにはいかない。

 僕を信じて、戦ってくれている人たちがいる。

 そして、遠い戦場で、僕の帰りを待っていてくれる人がいる。


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 夜が白み始めた頃、城の外の喧騒が、ふっと静かになった。

 やがて、ゲルトさんが医務室に現れた。彼の体は、あちこち血に濡れていた。

「……敵は、撃退いたしました」

 その言葉に、部屋にいた全員から、安堵のため息が漏れた。

「こちらの被害は、死者二名、負傷者十数名。ですが、城は……守り抜きました」

 ゲルトさんの報告に、僕はその場に崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえた。


 僕たちは、守り抜いたのだ。

 カイゼルの帰る場所を。

 安堵と疲労で、涙が溢れてきた。


 ***


 その日の午後。

 僕たちが戦の後処理に追われている、まさにその時だった。

 城門が、ゆっくりと開かれた。

 そこに立っていたのは、いるはずのない人物だった。

 雪と泥に汚れ、長い旅路の疲れをその身に刻みながらも、真っ直ぐに僕を見つめる、銀色の瞳。


「……カイゼル!」


 僕は、自分の目を疑った。

 なぜ、彼がここに? 王都にいるはずでは?

 僕は、夢中で彼の元へ駆け寄った。

 カイゼルは、僕がその胸に飛び込むのを、力強い腕で受け止めてくれた。


「……リヒト」

 彼の声が、僕の名前を呼ぶ。

「よく、頑張ったな。城を、守ってくれて、ありがとう」

「どうして……どうしてここに!?」

「お前の手紙を、読んだ」

 カイゼルは、僕を抱きしめる腕に力を込めた。

「エドガーの件、そして、敵襲の可能性があることも。いてもたってもいられなくなった。王の許可も得ず、一人でここまで駆けてきた。……馬鹿な主君だろう」

 自嘲するように笑う彼に、僕は首を横に振った。

 嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらなかった。

 彼は、僕のために帰ってきてくれたのだ。


 その夜、カイゼルは僕を彼の部屋に呼んだ。

 暖炉の火が、僕たち二人を静かに照らしている。

 彼は、僕の前にひざまずくと、僕の手を両手で包み込んだ。


「リヒト。王都にいて、お前のことを考えていた。戦のことよりも、何よりも、お前のことばかりを」

 真剣な眼差しが、僕を射抜く。

「お前を失うくらいなら、俺は、この地位も、名誉も、何もいらない。お前がいない世界など、俺には意味がない」

「カイゼル……」

「俺は、お前を愛している」


 はっきりと告げられた、愛の言葉。

 それは、僕がずっと心のどこかで聞きたかった言葉だった。

 でも、同時に、恐れていた言葉でもあった。

 僕のような者が、この完璧なアルファに、愛される資格などあるのだろうか。


「……駄目です」

 僕は、彼の大きな手から、自分の手を引き抜こうとした。

「私は、あなたに相応しくない。出来損ないの……」

「言うな」

 カイゼルは、僕の言葉を、その唇で塞いだ。

 それは、初めての口づけだった。

 驚きで見開かれた僕の瞳に、彼の苦しそうな顔が映る。


「俺にとって、お前以上の存在など、この世のどこにもいない。お前が、俺の唯一の番だ。運命などという、不確かなものではない。俺が、俺自身の意思で、お前を選んだんだ」


 彼の言葉が、僕の最後の躊躇いを、跡形もなく打ち砕いた。

 ああ、そうか。

 運命だから、惹かれるのではない。

 僕がカイゼルで、カイゼルが僕だから。ただ、それだけの理由で、僕たちは惹かれ合ったのだ。

 涙が、頬を伝って落ちる。

 それは、悲しみの涙ではなかった。


「……私も」

 僕は、震える声で答えた。

「私も、あなたを愛しています。カイゼル」

 僕の告白を聞いたカイゼルは、まるで子供のように、顔をくしゃくしゃにして笑った。

 僕が、初めて見る彼の泣き顔だった。


 僕たちは、どちらからともなく、再び唇を重ねた。

 今度は、甘く、深く、お互いの存在を確かめ合うように。

 外は、まだ厳しい冬の嵐が吹き荒れている。

 けれど、僕たちの心の中には、もう、春の陽だまりのような温かさだけが満ちていた。

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