第3話


 僕は張り切って店の準備を手伝った。


 しかし。店を開けたというのに店内は閑古鳥が鳴いている。硝子戸の向こう側にはそこそこの往来があるというのに、精々中の様子と看板をチラ見するだけで一向に戸に手が掛からない。


 僕は、くあっと出かかった欠伸あくびをどうにか噛み殺した。


「日本の妖怪に洋酒は人気がなくてね」


 特に尋ねた訳では無いのに円さんがカウンターの奥で呟いてきた。そして暇を持て余した円さんは煙草を取り出して火を付けた。


 ふうっと白い息を吹いたところで僕はある事に気が付く。木とアルコールの香りが立ち込める店中で全くヤニ臭さが感じられなかったのだ。


「円さんの吸ってるのって煙草じゃないんですか?」

「ああ、煙草じゃない。『おばけけむり』ってんだ」

「なんすか、その駄菓子屋に置いてそうな奴」

「平たく言えば消臭剤だな。妖怪が吸えば煙草みてえな嗜好品になるけど、人間が吸うと人臭さを消せるんだ。天獄屋には人間臭さを嫌う奴だっていなくはない。ピート香、モルティ、エステリーとウイスキーの香りは醍醐味だろ? だからこうして定期的に消臭しているのさ」

「ははあ。気を使っているんですね…ん? あれ?」

「どうした?」

「ってことは円さんは人間なんですか?」

「おう」


 僕は少々虚をつかれた。ローブ姿の怪しさからてっきり妖怪の類いだと思い込んでいたからだ。


 人間という事は、きっと妖怪を相手にしても平気な術とかを使えるんだと思うけど、どんなことをするんだろう。妖怪の立場からぱっと思い付く脅威というと陰陽術とか法力、もしくは修祓とかが考えられるところだけど、如何せん円さんからは和っぽい属性を何一つとして感じないんだよな。


 洋酒好きってところから見ても、きっと扱う術も西洋風なもののはず。とは言え聖職とは思えないし、そもそも僕は西洋の術にはそんなに明るくない。ザックリ纏めてしまうと…。


「ずばり正体は『魔法使い』とかじゃないですか?」


 僕は名探偵ばりにビシッと指を差してみた。絶妙な間があったので図星を付けたかと思ったが、当の本人に否定されてしまった。


「ぶっぶ~。はずれ~」

「違うんですか? 指パッチンで火とか着けてたからそうだと思ったんですけど」

「方向性が丸っきり違うとは言わないけど、魔法は使わん。一時期興味があって習ってみたけど性に合わんかった」

「え? 魔法を習えるんですか?」

「西洋から流れ込んできた妖怪もそれなりにいるしな。魔女とか悪魔も結構いる。というか最近じゃ海外から入ってくる妖怪がかなりの数いて、どう受け入れていくのかとお偉いさんたちは苦労しているらしい」

「妖怪の世界も移民問題があるんすか」


 とことん異世界情緒がねえな、おい。


 けど円さんを思えば結構なチャンスなんじゃなかろうか。海外の妖怪は当然海外のお酒を求めるだろうし。他にもホームシックを解消するような需要が色々考えられるような気がする。


 日本人だってよく海外旅行先で味噌と醤油が恋しくなって、街頭で日本語の歌を聞いただけで泣けるみたいな話も聞くから。


 なんて事を考えている最中、ふと表の硝子戸を見て「…ヒィっ」と声にならない悲鳴を上げた。


 モジャモジャの髭面で僕の三倍はあろうかという巨体なお爺さんが硝子戸にへばりついていたからだ。


 格好は身綺麗とは言えず、没落したサンタクロースみたいだ。両手を戸に押し当てて呆然とした様子でこちらを伺っている。まるで玩具屋のショーウィンドウに釘付けになる子供のようだった。


「いらっしゃい」


 円さんはまるで臆する事なく戸を開けた。巨大なおじいさん…巨じいさんは遠慮しがちにキョロキョロと店内を見回しながら入ってくる。顔は緊張しているけれど瞳の輝きには喜びの色が見えていた。


 そして円さんに向かって恐る恐る片言の日本語で話し始めた。


「ここ、ウイスキー、ノムですか?」

「はい。飲めますよ」

「ウレシイ…」


 巨じいさんはそこで初めて笑顔らしい笑顔を見せた。片言の日本語から察するに先程話題に出ていた海外の妖怪だろう。人間に化けちゃいるがAIで作ったイラストみたいに所々に本物とは違う綻びのようなものがある。


 僕は早速おしぼりとメニューを持って席へと案内した。ところが巨じいさんは辛うじて話すことは出来ても日本語のメニューはまるで読めないようだった。


 ど、どうしよう。


 するとその時、円さんから助け船が入った。


「Are you able to speak English?」

『! おお、あなたは英語が話せるのか』(二重鍵かっこは外国語と思って)

『うまくはないですがね。ご出身は?』

『イングランド』

『ああ、確かにイギリス訛がありますね』


 と、端目に見てても齟齬なく英語でやり取りを行っていた。


 僕は素直に「すげー」とアホみたいな感想を抱く。学校で習ったんだからキチンと勉強しておくべきだったと今更ながらの後悔をしていた。


 しばらくはよく分からない英語の応酬を観戦しているばかりだったが円さんがカウンターの方へ動いた。反射的に僕もついて行くと巨じいさんの身の上について教えてくれた。


 巨じいさんの名前はスワンプさんと言って、大方の予想通り最近になって天獄屋へと流れ着いたそうだ。正体なイングランドのヤースキンという妖怪らしい。


 正体を聞いたところで今一つピンとは来なかったが、円さんはそうではなかった。


 曰く、ヤースキンというのはイングランドの湿原に住んでいて出会った際に人間が貢ぎ物を渡すと豊かな食物を与え、無礼を働くと災いを招くという。その説明を聞いて対価を求める座敷わらしみたいな妖怪かと漠然と思った。


 巳坂の階をふらふらとしていたら居酒屋ばかりの並びの中にウイスキーの香りを嗅ぎ付けてやって来たと言う。


「嬉しい話じゃねえか。こう言う時、この店をやってて良かったと思うよ。こんなケースは初めてだけど」

「初めてなんかい」

「ともかくありがたいお客様だ。ウイスキーは特上の奴を振る舞うとして、アテは…」


 そう言って僕の事をまじまじと見てくる。キチンと円さんの意図を汲み取った僕はニヤリと笑って答えた。


「任せてくださいよ。こっちも飛びっきりのを作ります」

「よしきた。始めは酒と乾き物とトークで繋いでおくから旨いもんを頼む。台所にあるものは何でも使っていい。ただやっこさん、いわゆるホームシックっぽいから…」

「イングランドの料理を出せれば最高、って事ですか?」

「できるのか?」

「できますよ」


 僕は親指を立てて返してやった。

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猫又は肴をこしらえ、錬金術師が酒を出す 音喜多子平 @otokita-shihei

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