第2話
「ところで」
「ん?」
「何か僕の対応が手慣れてません?」
「ちゃぶ台に転移してきた事を除けば、環みたいのは初めてじゃないしな」
「そうなんですか?」
「頻繁に起こりはしないけどよ。最近は本当に天獄屋の出入り口がおかしいらしくてね」
円さんはそう言って笑う。けどそれにしたって親切だな、見も知らぬ猫又の面倒を見てくれて。
「それに…昔にちょっとあってね。猫又には親切にしてやりたいんだよ」
と、ぼそりと呟いた。その雰囲気には一瞬だけものすごい影があったような気がした。
「昔、猫又に助けられたとか、ですか?」
「いや恋仲でいい感じなった女がいたんだけどよ…イケメンで器がでかくて天獄屋で権力まで持ってる猫又に取られた。絶対に許さねえ」
「それでよく僕を助ける気になりましたね!?」
どこまで本気なんだ。仮に今の話が真実だとしたら聖人君子過ぎるだろ。
借りてきた猫とは真逆の騒々しさで終えると、円さんは食後の一服を決め込んだ。ライターではなく指パッチンで煙草に火を付けたのが異世界らしくて少しカッコいいと思う。
ご馳走になりっぱなしでは流石に申し訳なさを感じてしまい、僕は食器洗いを申し出た。
案内されるままに台所に出ると再び異世界らしからぬ風景に肩透かしをくらう。
ステンレス製のシンクに水道が備え付けられている他、冷蔵庫や電子レンジまでも完備されていたのだ。流行りのシステムキッチンと言うわけではない。昭和に作られた田舎の家の台所といったら分かりやすいか。古めかしさはあるものの、やはり現代日本に通じている。
「どうかしたか?」
「何というか、異世界に来た感が全く湧かないんですが」
「あぁ…俺の家が特殊なんだよ。やっぱ家電がないと不便だからな」
「じゃあこの家の外は異世界感があるんです?」
「ヨーロッパ風の剣と魔法の世界とはいかないけど、それでも和風ファンタジーっぽさなら味わえると思うよ。行くかい?」
「え? いいんですか?」
「なんの因果か知らないけど折角天獄屋に来たんだ。観光したってバチは当たらんだろ。どの道すぐに帰れないんだし」
「それもそうですね」
話がまとまると円さんと一緒に表に出る算段となる。
円さんの家は住居兼店舗の住まいで、さっきまで食事をしていたのは奥座敷だったようだ。一段低くなっている店先に出るとすぐに鼻を酒精がかすめた。
店はショットバーというやつでカウンターとちょっとした座席が用意され、こじんまりりとした店舗だ。隠れ家的なお店として雑誌とかに載ってそうな佇まいと雰囲気がある。
棚に並んでいるのは洋酒、特にウイスキーが多い。てかウイスキーしかないと言っても良いくらいの品揃えだ。
唯一、和テイストを感じるガラスの引き戸を開けて外に出る。店先には暖簾が掛かっていたけれど、僕の身長では届かなかった。そしてそれよりも何よりも表に広がる光景に圧倒されたのだ。
店の外は木造の廊下になっていた。出て右の方向に向かって登り坂になっていて所狭しと商店が立ち並んでいる。その店々の佇まいが昔ながらの趣で、提灯やぼんぼりなどを使った暖色の灯りに満ちている。
純和風のアウトレットモール、もしくは螺旋状の万華鏡の中にいるかのような印象を受けた。
僕は円さんに連れられるままにすぐ脇にあった朱色の欄干が鮮やかな橋の上に立って全体を見渡した。
橋の上から周りを望めば、四角形が螺旋を成して上下に果てしなく続いているような、何とも妙な風景が広がっている。その四角の辺には、やはり色々な店舗が並んでおり、多少離れているこの場所からも活気は伝わってくる。どうやらその奥にも、脇道と店舗が広がっているようなのだが、生憎とここからはよく見えない。
今立っているこの橋は、その四角の辺と辺の真ん中を繋ぐように掛かっている。構造上、螺旋の辺を繋ぐと橋は斜めに架かるはずなのだが、どういう訳か水平になっている。これがまた騙し絵を見ているかのようで、こちらもまた不思議な感覚に陥る。それと同時に人智の及ばぬ妖怪の世界に来たのだと、初めて実感を湧かせてくれた。
「どうだ? 少しは異世界っぽいか?」
「はい! なんかもう、言葉にできないですよ!」
「だろ? あえて言うなら『千と――」
「言わないで」
「千尋』?」
「言わないでって!」
それからは再び円さんに連れられて周辺を案内された。橋の袂を出たところで振り返って見る。橋は向こう側へ下るように掛っていた。やっぱり騙し絵のようだ。
通路へ入ると、左回りに四角い螺旋を上へ上へと向かう。あちらこちらから料理の香りが溢れており、それと同じくらいお酒の匂いが漂っていた。
妖怪の住処ではあるのだろうけれど、おどろおどろしさはまるでない。景観は全体的に純和風の趣がある。足元は板張りで、天井がつまりは上の階の通路と言う事になる。まるで露店の並んだ旅館の中でも歩いているような気になるので、ついウキウキと浮かれ気分になってしまう。
店々の軒先では、前に設置された腰掛で酒を飲み交わしながら将棋を指したり、それを覗いていたり、はたまた井戸端会議で盛り上がったりしている。そのガヤガヤとした賑やかさは、提灯のぶら下がった路地の方でも同じようだった。
やがて廊下をぐるりと一周して戻ってくると円さんが言った。
「おっと…何だかんだやってるうちにこんな時間か。悪いけど店を開けなきゃいけないから、奥で暇を潰しててくれ」
「…あの!」
「え?」
「ここまでして頂いてただ待ってろというのも申し訳ないです。何かお手伝いできることでもあれば…」
「手伝い、ねぇ。けどバイトの経験とかあるのか?」
「いえ。向こうにいた時は中学に通っていたので…ただ」
「ただ?」
「料理は得意です」
「ほう。丁度いいや。俺は酒にうるさいけど料理はからっきしなんでね。台所にでも立ってもらうか」
「はい!」
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