猫又は肴をこしらえ、錬金術師が酒を出す
音喜多子平
第1話
その日。僕は突如として見知らぬ場所で、見知らぬ男の前に現れた。
最初に過ったのは「異世界転移」という五文字。それ以外のワードでこの状況を説明できなかったのだ。
ここからはテンプレ通り王様に謁見したり、ステータス確認されたり、はたまたチートスキルを貰ったり……する雰囲気じゃないんだよなぁ。
目の前に座っている人もちゃぶ台使ってご飯の真っ最中だし。今こうして座っている部屋も生活感に溢れる畳の六畳間で、召喚の儀式してたりとかあるいは女神様がいるみたいな場所じゃないだもの。
というかテレビにスマホにエアコンまであるんだけど、本当に異世界かここ。
「…誰だ、お前」
古き良き日本の和室にはまるで似つかわしくないマントローブ姿の男が僕にそう尋ねてくる。
夜明け前の空を思わせる青黒い地のローブには白く古代文字のような紋が縫い込まれていて童話や物語の中に出てくる魔法使いや死神のようだ。僕はふと、昔に見た「隠者」のタロットカードを思い出した。
袖から出ている手には手袋をしているので、深く被ったローブの下から僅かに顔半分しか男の肌は見えない。
そんな仰々しい格好なのに座布団に座って箸と茶碗でご飯を食べているのだからどこか滑稽だ。
「あ、えと…泉環と言います」
混乱の一歩手前の頭でどうにか自己紹介をした。
◇
改めて僕の名前は泉環、十五歳。趣味は料理で、特技は平均台の上でバク宙ができる事。
地元の学校に通う帰宅部の料理好きな高校生…に化けている『猫又』という妖怪だ。
日本の原風景残る田舎町を思い浮かべて見れば、あら不思議。それが僕が育ち、そして今を以て住んでいる町を想像したことになる。そんなド田舎で慎ましく人間に溶け込んで暮らしていたと言うのに。
自宅の庭で母親の私物の虫干しを手伝っているところ。突如として閃光に包まれたかと思えば全く以て見も知らぬ場所に飛ばされていた。
そりゃ腐っても妖怪だからいずれは人間離れした出来事に巻き込まれるだろうなと不安と期待が入り交じった日々を送っていたことは認めるけど、まさか異世界に行くことになろうとは思わなかった。
中学生に擬態して学校に通う中でできた人間の友人にその手の漫画やアニメを教えてもらい、布団の中で夢想したことはあったけれども。
まず今の課題は、目の前の相手が善人か悪人かどうかを見極める事だろうか。
「よし、環だな。とりあえずちゃぶ台から降りてくれ」
「あ、はい」
僕はいそいそと対面に降りると一応は正座で姿勢を整えた。
「失礼しました。それで改めてですけど、ここはどこなんでしょうか?」
「なんと言えばいいか…かくりよ、隠れ里、もしくは桃源郷、あるいは某同人ゲームの幻想郷とか言えば分かるか? 要するに人間の世界とはちょっとずれた所にある妖怪の世界ってやつになるのかな」
「ああ…なるほど。よく分かりました」
「本当かよ?」
「僕も妖怪ですかね、そういう世界があるとは聞いたことありましたんで」
「やっぱり妖怪か。尾が割れてるから猫又だろうなとは思っていたけど」
「ちなみに何て言う世界なんですか?」
「『
「はい? 天国? 僕、死んだじゃないですよね?」
「多分、思っている字が違う。天国の『国』じゃなくて地獄の『獄』。つまり天国の皮を被った地獄みたいなところだ。安心しろ」
「安心できないんですけど!?」
「Wi-Fiだって飛んでるぞ?」
「もう一回聞きますけど、異世界なんですよね?」
見れば茶碗に盛られたご飯とおかずの他に日本酒飲んでるし、酒好きなのかもしれない。というかWi-Fiとか通じてる時点で完全な異世界じゃないだろ、ここ。
けどローブ男のその一言は若干の落胆と同時に得も言われぬ安心感を連れてきた。地名とか現代用語が通用するって事はちゃんと家に帰れる可能性が上がったからだ。
異世界へ召喚とかちょっと憧れてたけど、実際に我が身に起こってみれば恐怖以外の何物でもない。物語の主人公はよくあんな簡単に順応できるな、すげえよ。
「僕も…お名前を聞いてもいいですか?」
「あ、そうだったな。俺は
「いや御覧の通りじゃ分からない格好してますよ?」
どう考えたって『魔王に命じられて封印の書でも保管してそうな魔導士』にしか見えない。
これで居酒屋切り盛りしてるおっさんなのはギャップがあり過ぎるだろ。
そもそも円さんの見た目を除けば、今のところ異世界に来た感が一向に感じられない。
しかし、だ。円さんは、その見た目の怪しさに反して親切心に溢れていて、話しやすい。現状の僕は頼りにせざるを得ない。
そして一番肝心なことを聞いた。
「元の世界には帰れますよね?」
「帰れ…なくもない」
「なんすか、その微妙な答え」
「ちょっと事情ができてな。この一、二年は出入口がめちゃくちゃになって昔ほど自由に行き来ができないんだよ」
「と言うと?」
「人間の世界…天獄屋じゃ『此の世』って言うんだが、帰るだけなら今すぐにでもできる。けど道がはちゃめちゃになって日本のどこに出るかが分からん。運良く地元近くに出られりゃいいけど北海道の山ン中とか、沖縄の名もなき島とかに出る可能性も否定できない。近頃じゃ海外に繋がるって話も聞くし。旅費が賄えるんならすぐにでも連れてってやるけど?」
「一文無しっす」
「だよな」
マジかよ。なんだこの痒いところに手が届かないもどかしさは。帰ろうと思えばすぐにでも帰れるのに金銭的に異世界から脱出できないなんて!
中途半端に希望を見たせいで余計に絶望的だ。賭けに出るにしたって分が悪すぎる。一体どうすれば。
「とりあえず飯、食え。動揺してるときはまず米。これ、日本人の基本な」
「人じゃないですけどね」
僕が宙返りをして普段の中学生の学ラン姿に化けると円さんは戸棚から食器を取り出しては、電子ジャーのご飯をよそってくれた。そして箸と共に僕に差し出してくる。
折角の好意だし有り難く頂戴しよう。こうして思うと結構暢気な奴なんだなと再自認をしていた。あまりにも混乱し過ぎて逆に落ち着いているだけかもしれないけれど。
いずれにしも、もそもそとご飯を食べつつ僕は今後のことについて円さんと話をし始めたのだ。
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