第7話 再建と閉鎖
志摩 昭夫(しま あきお)教授の胸部大動脈瘤切除・人工血管置換術は、技術的には成功裡に終わった。九条 慧は、神速かつ完璧な手技で、腎機能保護という至上命令を果たし、黒川 雅(くろかわ みやび)事務局長が仕掛けた契約解除の罠を一時的にかわした。
しかし、外科医の仕事は、吻合が完了しただけでは終わらない。
九条は術野から目を離さず、麻酔科医の一ノ瀬 杏(いちのせ あん)に指示を出す。
「離脱開始。プロタミン投与。大動脈カニューレ、段階的抜去」
全身のヘパリンによる抗凝固状態を解除するため、拮抗薬のプロタミンが慎重に投与される。一ノ瀬は血圧と凝固能の変動に集中し、体外循環からの離脱をサポートする。
出血点を慎重に確認する。人工血管の吻合部からは、わずかなリークも認められない。九条の吻合の精度が、ここでも証明された。
「止血確認。モノポーラで微細な出血点を確実に焼灼する」
九条は、モノポーラ式電気メスを用いて、熱損傷を最小限に抑えながら、術野の隅々まで止血を徹底した。
次に、開創器(リトラクター)が外され、胸骨を閉鎖する工程に入る。
「胸骨縫合。サージカルスチールワイヤー、5本」
九条は、外科用鋼線(サージカルスチールワイヤー)を用いて、切断した胸骨を強固に縫合する。ワイヤーが折れ曲がらないよう、細心の注意を払って胸骨の間に通し、トルクドライバーで一本ずつ確実に固定していく。胸骨の強固な再建は、術後の安定と呼吸機能の回復、そして感染予防に直結する、重要なQOLの要素である。
続いて、胸腔内のドレナージ処置を行う。
「胸腔ドレーン挿入。28フレンチ。気胸と水分の管理を確実にする」
九条は、胸腔内に溜まる可能性のある血液や浸出液を排出するため、ドレーンを慎重に挿入し、固定する。
次に、筋肉と皮下組織、そして皮膚の閉鎖だ。
九条は、メスで切開した大胸筋(だいきょうきん)の層を、吸収性の縫合糸(バイクリル)を用いて丁寧に縫合していく。筋肉層の確実な再建は、術後の上肢の機能回復に直結し、これもまた九条がこだわるQOLの領域である。
「皮下組織、連続縫合。皮膚は真皮縫合とする」
皮膚表面を縫合糸で縫い付けるのではなく、真皮の深層を縫い合わせる真皮縫合は、傷跡を最小限に抑える美容的配慮が目的だ。九条は、患者の見た目の回復(整容性)もまた、QOLの一部であると考えていた。
「皮膚をアドソン
九条の精緻な手技により、皮膚の切開線は、ほとんど目立たない一本の線となる。
「閉腹完了。記録、出血量400ミリリットル、輸血なし」
「手術時間 5時間 20分 13秒。麻酔時間 6時間 45分 20秒。」
「お疲れ様でした。」
手術は無事終了した。しかし、九条の戦いは、手術室を出た瞬間から再び始まる。志摩教授の腎機能は維持されるのか。そして、黒川事務局長は、この勝利を九条への新たな罠に利用するだろう。
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