第4話 設計図の緊急修復

青柳 悟の病室は、一触即発の緊張感に包まれていた。内科の佐倉医師が独断で九条の投薬プロトコルを標準量に引き下げた結果、青柳は激しい神経系の痛みに襲われ、治療計画全体が崩壊寸前だった。


「私の指示に従ったまでだ! 過剰な処方は、患者の身体に不必要な負担をかける。貴方のやり方は、外科医の傲慢だ、九条!」

佐倉医師が怒鳴る。


九条は佐倉を一瞥するだけで、会話を成立させる気はなかった。彼の視線は、苦痛に顔を歪ませる青柳の、僅かな痙攣と脈拍に集中していた。


「杏先生。予備の麻酔薬を」


九条の指示に、麻酔科医の一ノ瀬 杏は素早く動く。佐倉医師の制止を無視し、九条が求める薬剤を準備した。


「何をするつもりだ、九条! これ以上、私の専門領域に手を出すな!」佐倉が九条の腕を掴もうとする。


九条はそれを払いのけ、青柳に静かに告げた。

「メスは使わない。だが、今から身体の設計図の電気配線を、外科医の知識で修復する」


九条が始めたのは、手術室でも通常行われない、高度な神経ブロックと鎮静を組み合わせた手技だった。


彼は、青柳の脊椎損傷部位の下にある神経根に局所麻酔を打ち込み、一時的に感覚を完全に遮断する。単なる鎮痛ではない。佐倉医師の乱暴な投薬変更によって生じた、興奮しきった神経回路を強制的にリセットするのだ。


外科医として持つ、身体の解剖学的構造と神経走行に関する完璧な知識がなければ、一歩間違えば患者に永続的な麻痺を負わせかねない危険な処置だった。


処置の間、九条の呼吸は深く、脈は常に一定だった。その集中力は、メスを握るときと何ら変わらない。



数分後、九条が手を引くと、激しく痙攣していた青柳の身体が弛緩し、額の脂汗が引いていった。


「痛みの波は、引きました」一ノ瀬 杏が、九条の指示通りに青柳のバイタルをチェックしながら報告した。


佐倉医師は呆然としていた。彼の標準的な治療法が機能不全に陥った痛みを、九条は専門領域を逸脱した『手技』で一瞬にして静めた。


「佐倉先生」九条は淡々とした口調で、敗北を突きつけた。


「貴方の処方は、機能回復を諦めた人間のためのマニュアルです。彼の身体は今、車椅子で生きるための『土台』を築いている最中だ。その繊細な設計図を、マニュアルで破壊することは許されない」


九条の処置により、青柳の神経系はリセットされ、立花 健が考案したリハビリプログラムを再開できる状態に戻った。


しかし、この勝利は九条の立場をさらに危うくした。


神宮寺教授は、外科医ではない医師の領域への無許可の介入に激怒し、九条の契約内容の見直しを事務局に要請した。そして、事務局長黒川 雅は、九条への次なる一手を用意していた。


「無秩序な天才は、病院という組織にとって最も有害だ」


黒川は、九条を合法的に排除するための、徹底的な監査を水面下で開始した。九条が過去に携わった全ての治療の記録、そして彼の個人的な財政状況までもが、冷徹な計算機のまなざしに晒され始めたのだ。


九条 慧の戦いは、手術室から、病院の経営層と、彼の過去の影へと、その戦線を拡大していた。

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