第22話 雪に埋もれた村道

 夜明けと同時に一面の白銀が村を覆っていた。

 初雪だった。屋根も道も森の根も、やわらかな白が静かに包み込んでいる。

 窓を開けた瞬間、冷たい風が頬を刺した。

 「わあ……きれい!」

 ミアの歓声が弾んだ。彼女の尻尾に雪が積もり、すぐにばさばさと跳ね返る。

 「うかれるのはいいが、転ぶなよ」

 「平気平気! 森が真っ白だなんて、おとぎ話みたい!」

 薬草店の前も雪が積もり、通り道がほとんど見えない。

 ベル婆さんが薪を抱えて出てきた。

 「ほら、靴底に凍りつくから気をつけるんだよ」

 「踏みしめるたびに音が鳴りますね」

 「雪の音は冬の呼吸さ。森が眠りながら息をしてるのさ」


 午前のうちは雪景色を眺めながら薬草を仕分けた。

 ミアが棚を拭きながら鼻歌をうたう。

 外の静けさがまるで別世界のようで、時間の流れまで遅く感じる。

 しかし昼過ぎ、村の鐘が低く鳴った。珍しいことだ。

 ベル婆さんが顔を上げる。

 「おや、緊急の合図じゃないかい」

 ミアが窓を覗くと、広場のほうで何人かが集まっていた。

 「行ってきます!」

 「あたしも!」

 雪を踏みしめ、広場へ向かう。息を切らして辿り着くと、村長のダグ爺が声を張り上げていた。

 「東の道が雪崩で埋まった! 谷の集落へ続く連絡路だ!」

 「被害は!?」と誰かが叫ぶ。

 「幸い、まだ通行人はいないはずだが、家が一つだけ巻き込まれたと風見人から報せがあった!」


 村人たちがざわめく。

 雪崩が起こるほどの積雪――この森では珍しい。

 「救出が必要だ。だが凍えてしまう前に手を打たなければ」

 ダグ爺の言葉に、俺は一歩前に出た。

 「俺も行く」

 「危険だぞ、薬師」

 「凍傷の手当てなら得意です。それに……放ってはおけません」

 ダグは短く頷く。

 「頼りにしている」

 その横でミアが「もちろんあたしも!」と名乗り出た。

 止める間もなく、彼女は持ち物をまとめて走っていた。


 雪に覆われた道はほとんど見えず、風が舞うたび視界が消える。

 腰まで積もった雪を腰袋の枝で掘り返しながら進むと、やがて崖に近い場所で黒い影が見えた。

 倒壊した木造の小屋――谷の集落の見張り小屋だった。

 屋根の半分が雪に埋もれ、扉は壊れている。

 中からかすかな声が聞こえた。

 「誰か……いるの?」ミアが叫ぶ。

 「応答しろ!」

 「……こっちだ……助けてくれ……」

 かすかに聞こえたのは男性の声。村人だ。

 すぐに雪を掻き出し、隙間を広げる。

 中で倒れていたのは若い獣人の男で、足に木材が食い込んでいた。

 凍り付くような冷たさに顔色は青白い。


 「ミア、火を起こせ!」

 「うん!」

 枯枝に火薬粉を混ぜ、火を灯す。雪の白さに炎が明るく広がった。

 男の体を抱き起こし、暖を取らせながら傷口を確認する。

 「骨は折れてない。ただし凍傷が始まっている。すぐ温めると逆効果だ」

 俺は袋から薬草の包みを取り出した。

 「ティルとミント、それに少しの緋光草。血の循環を戻す」

 煮出す時間もないため、乾燥葉を直接雪に押し当てて解かす。

 湯気のような香りが立ち、男の指先に色が戻っていく。

 「意識は?」

 「う……寒い……」

 「もうすぐ村に戻る。大丈夫だ」


 男をそりに乗せ、雪道を戻り始めた。

 風が強くなり、雪が頬を打つ。

 ミアの肩には白く積もった粉雪が降り続いた。

 「寒いけど、なんか――静かだね」

 「森が見守っているんだ」

 「うん……きっとそうだね」

 ミアが微笑んだ瞬間、足元の雪がぐらりと揺れた。

 「足場が崩れる!」

 咄嗟に男を抱きかかえ、近くの根元に飛び込む。

 雪煙の中で、背中に冷たい感触が伝わる。


 しばらくして落ち着くと、彼女が小さく息をついた。

 「大丈夫?」

 「問題ない。……だがこれは、地面が凍って割れてるな」

 「戻るにも、もう一度あがらなきゃ」

 風の切れ間に、遠くから鐘の音が聞こえた。村で救助隊が出た合図だ。

 「まもなく来る。ここで耐えよう」

 ミアはうなずき、そっと手を握ってきた。

 「手、冷たいよ」

 「そりゃあ雪に埋もれれば誰でもそうなる」

 「でも……生きてるね」

 その笑顔が火の代わりになるくらい温かだった。


 村へ戻ったころには夕暮れが近かった。

 救助隊の手で男は運ばれ、医務室に引き取られた。

 雪はやみ、空にわずかに青が戻る。

 ミアは息を白く吐きながら笑った。

 「ねえライル、こうして誰かを助けるの、何回目?」

 「覚えてないな」

 「じゃあ、これからもいっぱい覚えられるね」

 「それで村が守られるなら、悪くない」


 薬草店に戻ると、ベル婆さんが湯気の立つ茶を出してくれた。

 「本当によくやったねえ。あの男は命拾いしたよ」

 「雪の森も、悪夢みたいに静かでした」

 「森も冬になると眠るのさ。けれど、その夢の中には人の祈りが残る」

 「祈り……ですか」

 「ええ。『明日も歩けるように』って、足跡ひとつひとつが願いになるんだよ」

 ベル婆さんが茶をすする音がやけに懐かしく響いた。


 夜、窓の外にはまだ雪が残っていた。

 月光が白く反射して、森全体が静止した世界みたいに見える。

 ミアが毛布に包まりながら言った。

 「雪って、森の手紙みたいだね。音も匂いも全部隠して、それでもちゃんと届くの」

 「届く先は?」

 「見えないけど……きっと、あの空の上」

 「なら、そのうち返事が来るかもしれないな」

 「返事?」

 「春という名の返信だ」

 ミアは嬉しそうに笑った。


 外では小さな氷柱が風に鳴っていた。

 その音がまるで、冬の森の子守唄のように聞こえた。

 長い夜の中、静けさだけが優しく続いていた。

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