第21話 焚き火のまわりで語る夢

 冬の気配を告げる冷たい風が、森の隙間を通り抜けた。

 朝は霜が降り、村の屋根が白く光る。獣人たちは厚い毛布をまといながら荷を運び、薪を積み上げている。

 森の木々は葉を落とし、空の青さがいっそう際立っていた。


 薬草店の裏ではミアが火を起こしていた。

 「ライル、ほら、昨日拾った乾いた枝がよく燃えるね!」

 「火の扱いがうまくなったな」

 「えへへ、森の風が教えてくれたの」

 寒さに頬を赤らめながらも、ミアの顔は明るい。

 ベル婆さんは店の奥で香草を調合しており、その香りが外まで漂っていた。

 その穏やかな日常の中、ミアがふと思い出したように言った。

 「ねえライル。今夜、焚き火を囲んでお話ししない? 最近なんか、村のみんな元気ないし」

 「たしかに、寒くなると気持ちまで縮こまるな」

 「じゃあ決まり! 森の外れで火を焚いて、夢の話をするの」

 その勢いに押されて、結局俺は了承することになった。


 夕方、森の入り口に小さな焚き火が組まれ、村人たちが少しずつ集まった。

 シェナが焼きたてのパンを持ってきて、フルトの姿もある。

 ベル婆さんは湯を沸かし、温かい香草茶を注いで回った。

 火の光が輪のように広がり、村の小さな広場がひとときの宴になる。

 「みんなで夢を語るなんて、いつぶりだろうねぇ」

 ベル婆さんが笑う。その声に空気がやわらいだ。


 最初に話し始めたのは若い獣人の娘だった。

 「わたしはね、外国の海を見てみたいの。森の外の世界を歩いて、薬草を探してまわるの」

 子どもたちが目を輝かせて聞いている。

 「海、見たことない!」

 「風が塩の匂いらしいぞ!」

 笑い声が火の粉に混じった。

 次にミアが立ち上がる。

 「じゃあ、あたしの番だね!」

 勢いよく手を広げ、目をきらきら輝かせた。

 「わたしの夢は――この村を、みんなが安心して笑っていられる場所にすること!」

 「すでに笑ってるじゃないか」と誰かが言って、また笑いが起こる。

 ミアは頬をふくらませて言い返した。

「まだだよ! 森が眠る冬にも、春のような笑顔でいられるようにしたいの!」

 その真っ直ぐな言葉に、胸が温かくなった。


 ベル婆さんもゆっくり口を開く。

 「わしの夢かい? そうだねぇ……風に乗って昔の呪文をもう一度聞きたい。若いころ、風見人たちが歌う声を聞いた気がするんだ。その続きを知りたいねぇ」

 「きっと風はまだ歌ってますよ」

 「そうかい、それなら安心だ」

 にこりと笑い、ベル婆さんは火を見つめた。


 やがて皆の視線が俺に向く。

 「ライルは?」ミアが言う。

 「え?」

 「ライルの夢、まだ聞いてない」

 「……俺の夢か」

 焚き火の炎がゆらめき、光と影が頬を照らす。

 かつて剣を振るっていたころは、夢なんて考えたこともなかった。

 けれど、この村に来てから、小さな灯のように胸に芽生えたものがある。

 言葉を選ばずに口にした。

 「森の音を残したい。薬草の香りも、人の声も。戦や争いで消えていったものを、もう二度と失わないようにしたい」

 静寂が一瞬だけ流れる。

 ミアが微笑んで言った。

 「それ……すごく素敵だと思う」

 「おお、詩人だな」とフルトが笑い、場の空気がまた和んだ。

 ベル婆さんが火をつつきながら言う。

 「夢というのは、風に似てるね。掴めそうで掴めない。でも確かに温もりを残していく」


 火の勢いが少し弱まり、皆がそれぞれの湯飲みを手に取った。

 香草茶の湯気が夜気に溶け、森の匂いに混ざる。

 「ライル、あたしね」

 ミアが小さな声で言う。

 「昔ね、風が“あなたを見つけた”って言ってたの。だからあたしの夢は、ずっとライルと風を追いかけることだったのかもしれない」

 「……そんなことを言うと、簡単にどこかに吹き飛びそうだな」

 「いいの。風と一緒なら怖くない」

 柔らかく笑う彼女の瞳が、焚き火の赤を映していた。

 その光を見て、ふと胸の奥が痛む。守らなければ、と思った。

 この小さな村、この穏やかな時間を。


 夜が更け、星が見える頃には、焚き火の周りにいた皆が毛布を持ち寄って肩を並べていた。

 ベル婆さんが最後に小さな祈りを口にした。

 「この炎が消えても、わしらの心は暖かいままでありますように」

 そして火にハーブの片をひとつ投げ入れる。ふわりと甘い香りが立ち上った。


 ミアが隣で欠伸をしながら呟いた。

 「ねえライル、これも夢の一部分なのかな」

 「どういう意味だ」

 「だって、こんなにあたたかい夜が続くなんて、まるで……夢みたい」

 「現実じゃないか」

 「ううん、夢が現実の形してるのかも」

 彼女のまぶたがゆっくり閉じ、尻尾が静かに丸くなった。

 火がパチパチと鳴る。

 俺はその火を見つめながら、静かに心の中で誓った。


 ――このぬくもりを絶やさないように。


 星空の下、風が森を渡り、木々がささやく。

 その音はどこか懐かしく、まるで未来の約束のように聞こえた。

 焚き火の火がゆっくりと小さくなり、夜の闇に吸い込まれていく。

 けれど、心の中の炎だけは、消えることなく燃え続けていた。

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