第12話 収穫祭と村の音楽隊
峠の祠の封印作業から十日後、風は完全に穏やかになっていた。
瘴気の気配も消え、森の花々が再び咲き誇る。
季節は盛春。ルナフィアの村は、一年でいちばん賑やかな日を迎えようとしていた。
「収穫祭」の朝――森からの恵みに感謝し、草木や薬草を神に捧げる日。
空気には焼いた穀物の香ばしい匂いが混じり、どの家も灯を飾っている。
子どもたちは花飾りを頭に乗せ、犬耳をふりながら駆け回っていた。
ミアは朝から大騒ぎだった。
「ライル! 早く着替えて! お客さんみんな集まっちゃう!」
「落ち着け。祭りは逃げない」
「でも、一番最初の“癒し茶”を出す役はベルおばあちゃん家なんだよ!」
言われるが早いか、ミアは俺の肩を押し出す。
外に出ると村の中央広場には色とりどりの布が掛けられ、屋台やテントが並んでいた。
パン屋のシェナは大鍋で香草スープを作り、羊獣の職人たちは木彫り細工を並べ、楽師たちは笛と太鼓を調整している。
「森中が笑ってるみたいだな」
「そうだね、きっとお祈りも通じたんだよ」
ミアは嬉しそうに言って、籠を手に取った。
中には乾燥した薬草と、ベル婆さん特製の香り茶がぎっしり詰まっている。
「これを配るの。一年間健康でいられるおまじない」
俺は一つ摘み取り、その香りを吸い込んだ。ティルとハールの穏やかな香り。
森の光と空気がそのまま詰まっているようだった。
昼を過ぎる頃、祭りはさらに賑わいを増していった。
太鼓が鳴り、笛の高い音が風に乗る。
ベル婆さんも腰を上げ、村長のダグと肩を並べて大通りを歩いている。
「ようライル! 風見人からの手紙が届いたぞ!」
ダグが声をかけると、俺は受け取った封筒を開いた。
そこには短くこう書かれていた。
“封印、完全に安定。森の風、清し。まじないと薬効、調和せり。”
エルネの筆跡だ。
胸が温かくなるのを感じる。あの夜の儀式は無駄ではなかった。
「よかったね」とミアが遠くから手を振る。
まるで陽光の化身のように明るい笑顔だった。
その横で、子どもたちが列を作っている。
「なにをしてる?」
「村の音楽隊だよ! 笛と太鼓、それから歌!」
「歌うのか?」
「うん! 見てて!」
子どもたちは輪になり、年長の少年が笛を吹き始めた。
軽やかなメロディが広場に広がり、仲間たちが太鼓を叩く。
ステップを踏む足が地面の砂埃を舞い上げ、獣耳が風に揺れる。
やがて、ミアも輪の中に飛び込んだ。
「おいミア!」
「楽しむのも薬だよ!」
笑いながら腕をくるりと上げ、足を軽く跳ねる。
その姿は森の妖精のようだった。
笛がひと際高く鳴り響き、歌声が重なる。
それは古い伝承の歌。
“風と森と獣の魂が、再びめぐりて人を癒す”
――戦いの時代が終わり、共に歩むための歌。
村人たちは拍手を送り、笑顔が弾けた。
俺はその光景を見て、不意に昔の仲間の顔を思い出した。
剣と憎しみに明け暮れていた日々。それでも、誰かの笑顔を見たくて戦っていた。
けれど今は剣ではなく、この土地の香りと音が人を癒している。
生きる意味は、こういう瞬間にこそあるのだと思えた。
祭りの終盤、夕暮れが空を橙に染めるころ、ベル婆さんが俺の肩を叩いた。
「ライル、次はあんたの出番だよ」
「出番?」
「ほら、薬草屋の若先生の“森の演説”さ」
「……そんなもの聞いてません」
「言ったろ? 一年の終わりに、今年の恵みに感謝の言葉を贈るんだ」
ミアがにっこり笑って手を振る。
「がんばって!」
仕方なく壇に上がると、村人たちの視線が一斉に注がれた。
焚き火がゆらめき、赤い光が顔を照らす。
「ええと……この村に来て、もう季節がひとめぐりしました」
少し間を置き、言葉を探す。
「俺はずっと戦いの中で生きてきた。勝つことに意味があると信じてきた」
ざわめきが静まる。
「けれど、この村で知ったんです。命は守るものでも奪うものでもなく、“分け合う”ものだと。森の草も、人の笑顔も、同じように息づいている」
焚き火の光が風に揺れ、温かい輪が広がった。
「この先、どんな闇が来ても、俺はこの村を守ります。命を癒し、風のように寄り添えるように」
静寂のあと、拍手が広がる。
ダグ爺が大声で笑いながら「いいこと言うじゃねえか!」と叫んだ。
ミアが走ってきて、長い髪が夕陽を反射する。
「かっこよかったよ、本当に」
「そうか。それならよかった」
「ねえ、今度一緒に歌おう? “癒し草の歌”」
「……そのうちにな」
ミアは満足そうに笑った。
空には星が瞬き始め、村の音楽隊が再び奏でる。
人と獣の声、笛と草の香り、焚き火の音。
すべてがひとつの調べのように溶け合っていた。
俺はふと夜空を見上げた。
風見人の山の方角から、やわらかな風が吹く。
月光に照らされた森の葉がさざ波のように揺れる。
その風の中に、ベル婆さんが教えてくれた言葉が浮かぶ。
――命を癒すというのは、生きようとする音を聴くこと。
笛の音が遠のく中、俺は静かに目を閉じた。
戦いではなく、祈りに似た静かな日々。
こんな夜が、ずっと続けばいいと思った。
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