第4話


 予想外の問いに、御影は目を瞬かせた。

 だが、口は先に動いた。


「知ってる。熱傷や外傷の再建に使われるものだ。美容医療でも、シワや陥没の補填に応用されている。確か、合成高分子材料と生物由来材料を組み合わせて作られてるんだ」


 説明しながら、グラスを握る指に冷たさが染みた。

 氷の表面に浮いた細かな気泡が、静かにほどけていく。

 その瞬間、御影の胸を圧迫するような不安が広がる。自分の理性が溶けていくような感覚に、息が急にしづらくなった。


「普通はそうだ。だがな、俺の開発したものは違う」


 戸羽の言葉が、まるで溶けかけた氷のように、御影の内面に浸透していく。


「珠代の皮膚を採取して、それを培養し再生させている。言ってみれば――珠代の肌だ」


 その言葉だけで御影の胸がざわっと揺れた。心臓がわずかに跳ねる。


「しかも、中身はまったく別物だ。表面は珠代の肌そのものだが、触れると温かさまでも感じられる。さらに、神経の代わりにセンサーを埋め込んでいて、触れた指先の力や動作、感情の反応まで拾える」


 戸羽の滔々とした説明を聞きながら、顔のない人形に珠代の肌が覆われていく光景が脳裏をよぎる。そんなはずはない、と御影は頭を振る。奥底から冷たい嫌悪が這い上がってくる。


「……お前は、珠代を――」


 続きは声にならなかった。戸羽は静かに笑い、視線だけで肯定した。


「完成させるんだ、御影。記録じゃなく、生きる珠代を――お前と俺とで」


 氷の割れる音が、沈黙をいっそう深くした。


「ハード部分、つまり容れ物は俺に任せろ。完璧に再現できる自信がある。

 だから、お前は中身だ。ソフトウェアの魂だけに集中しろ」


 戸羽はこつ、こつ、と自分のこめかみを指で叩いた。青白い照明に照らされた右手が、金属のように冷たく見え、御影の背に粟が立つ。


「……仕草や癖まで、再現する気か?」


 御影の声は細い。しかし、戸羽は楽しげに笑った。


「当然だ。呼吸のリズム、瞬きの間隔、口癖に至るまで。情報が揃えば、人格は再現できる。人間の魂だって、結局は情報の集合に過ぎないんだからな」


 御影は息を呑んだ。理論としては成立する。

 だが、その冷徹な正しさが逆に恐ろしい。


「……それでも、倫理的にはどうなんだ。人を……、死んだ人間を――」


 かろうじて口にすると、戸羽は鼻で笑った。


「倫理? 御影、お前も科学者だろう。倫理は後付けで作られるものだ。俺たちがやることは、可能性の探求だ」


 その目は、理性と狂気の境界で光っていた。

 その光が御影の心に侵入し、抵抗を内側から削り始める。


「この三年間で珠代のすべてを集めるだけ集めた。今も集めている最中だ。声、視線、心の動きまで、全てだ。そこにお前の力を加えれば、形にできる。データは裏切らない。人間の脆さも嘘も排除できる」


 御影の指に力が入り、グラスの氷が軋んだ。

 その乾いた音が、現実と虚構の境目をゆっくりと破っていく。


「……俺は、科学者として正しいことしかできない。だが、お前の言うことは――」


 言葉が途切れる。胸の奥で、何かがゆっくりと軋む。

 珠代の姿が、ありありと脳裏に現れる。笑うときの頬の緩み、気まずいときに指先で髪を触る癖、語尾のわずかな震え。

 そのひとつひとつが再現可能な情報として並び替えられていく光景が、恐怖を塗りつぶし始めた。


 気づけば、御影の指は小型SSDへ触れていた。

 理性はまだ抵抗している。だが戸羽の確信が、御影の理性の壁を細いノミで削り落とすように、じわりと入り込んでくる。


「なあ、御影」


 甘い声が耳に落ちる。戸羽の声だ。

 だが、ほんの一瞬、別の誰かの声に重なった。珠代の声に、よく似ている気がした。


「神の描いた定義を超える。それが、俺たち科学者の本懐だろう?」


 戸羽の口元を照らす淡い灯が揺れ、影が三日月のように歪んだ。

 その笑みが、御影の網膜に焼きついたまま動かなかった。


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