米葬

江賀根

第1話

当初は、大学卒業後の同棲の挨拶のために、近々訪れるはずだった。

ところが、彼女の祖父が亡くなったことで、俺は急遽、彼女の地元を訪れることになった。


彼女からは「無理に来なくていいよ」と言われたものの、今後の同棲のこともあり、ついていくことにした。


朝早く、慣れない喪服を着て彼女と電車に乗り、三度の乗り換えを経て、彼女の実家の最寄り駅に着いた。

そこは、四方を山に囲まれた田園地帯だったが、彼女の話では、車で少し行けばショッピングモールもあるらしく「見た目ほど不便ではない」とのことだった。


改札を抜けると、一台の軽自動車が停まっているのが見えた。彼女の母親のはずだ。

俺たちの姿を見て、車から降りてきた。


彼女に紹介されたあと、俺は予め考えていた自己紹介とお悔やみを述べた。

事前に彼女から「おじいちゃん大往生だったから、落ち込んだりはしていない」と聞いていたが、その言葉どおり「わざわざこんな田舎までごめんねー」と気さくに応じてくれて、俺は安堵した。


車に乗って移動する間に、葬儀についての説明を受けた。


葬儀は、自治公民館で行われる。

開始まではまだ二時間ほどあるが、親族の女性は参列者への振る舞いの準備をしなければならない。

そのため、葬儀が始まるまで「あなたはビールでも飲んでて」とのことだった。


葬儀場でしか参列の経験のない俺には珍しく思えたが、地域ごとの風習があるのだと理解した。


車は、自治公民館へ直行した。外観からして、かなり年季の入った建物だ。


彼女の母親に案内され、玄関を上がり中へ入ると、教室を縦に二つ並べたくらいの板の間があった。


一番奥には祭壇があり、彼女の祖父の遺影が見えた。

部屋の中央には座卓が置かれており、喪服姿の年配の男たちがビールを飲んでいた。


「じゃあ、私たちは台所に行くから、あなたはこっちで」と彼女の母親に言われ、俺は男たちの方へ案内された。


その際に、喪主の伯父や自治会長など、一人ずつの紹介を受けたが、俺には区別がつかなかった。


最初こそ「まあ一杯」とビールを注がれたが、男たちは俺には関心がなかったようで、その後は放置状態になった。

変に絡まれるよりは、よっぽど有難かった。


ビールを一口飲み、祭壇をぼんやり眺めていてふと思った。

まず一度、祭壇に手を合わせておこう。


俺はグラスを置いて立ち上がると、祭壇の方へ向かった。

そして、手を合わせようとしたのだが、ない。


棺桶が見当たらない。


祭壇に、それらしいスペースはあるのだが、何も置かれていなかった。

このあとに運ばれてくるのだろうか。


疑問を感じつつも、誰かに尋ねることもできず、俺は遺影に手を合わせて元の場所に戻った。


時間が経つにつれて徐々に訪問者は増え、気づくと部屋の中は数十人になっていた。

そして、葬儀の開始時刻が迫ってくると、台所から彼女の母親の「そろそろお願いします」という声が聞こえた。

それを聞いて男たちはグラスや座卓を片付け、「じゃあ行くか」と言ってぞろぞろと台所へ向かい始めた。


よくわからないまま、俺も男たちに続いて台所に入ったのだが、そこにあるものを見て、すぐには理解できなかった。


木製の、担架のようなものが置かれていて、その上には大きな白い塊があった。

そこから漂う湯気と匂い——


白米だ。


担架の端から端まで、湯気を立てる白米が盛られている。

そして、それは人間のかたちをしていた。


まさか、


「びっくりしたでしょ?」


彼女に声を掛けられて我に返る。


「おじいちゃんが向こうでご飯に困らないように、こうしてあげるのが風習なのよ」

「……そうなんだ」


反射的にそう返したあと、頭の中で彼女の言葉の意味を考えた。


——つまりこれは、白米で人間のかたちを作っているんじゃない。遺体を、白米で覆っているのだ。

この中に遺体が——


これで、祭壇に遺体がない理由は理解できたが、目の前の光景はあまりに異様だった。


しかし、この場で動揺を見せるわけにはいかず、俺は平静を装って、男たちが担架を持ち上げるのを手伝った。

そして、それを慎重に祭壇へ運んだ。


喪主から、まもなく葬儀が始まることが告げられると、部屋に並べられた座布団の上に、全員が座り始めた。

喪服に着替えた彼女と母親は最前列に座ったが、何の縁もない俺は最後尾に座った。


そこから前方を眺めると、参列者は思っていたより多く、五十名ほどはいるようだった。

そして奥には、白い塊——先ほど運んだ彼女の祖父の遺体が見えていた。


俺がここに来たのは、正しかったのだろうか。


そんなことを考えていると住職が入場し、読経が始まった。

それから焼香、法話と、流れは一般的な葬儀と同じだった。


だが、住職が退場したところで、ふと疑問が浮かんだ。

あのまま納棺して火葬するのだろうか……


しかし、そこから納棺の準備は始まらず、部屋に座卓が並べられ始めた。

状況が理解できず立ち尽くしていると、彼女がこちらに気づいて近寄ってきた。


「これからみんなで食事するのよ。私たちはいろいろ仕事があるから、あなたは遠慮せずにどんどん食べてね」


そう言うと彼女は台所の方へ向かった。


その後、彼女や母親、親族と思われる女性によって、次々と料理やビールが運び込まれた。


これが、彼女の母親の言っていた振る舞いか。


全ての座卓に料理が揃うと、喪主の挨拶のあと、食事会が始まった。

その場はたちまち、賑やかな宴会のような雰囲気になった。


一方、俺は中央付近の座卓に案内されていたが、こんな状況で食欲が湧くはずもなく、ほとんど料理に手をつけることはなかった。

時折り近くを通る彼女が「食べて食べて」と声を掛けてきたが、とにかく俺は、早くこの時間が終わってほしかった。


苦痛な時間を一時間ほど過ごし、ようやく人々の箸が止まり始めた。

彼女たちも一段落ついて腰を下ろしたようだった。


その様子を見て、そろそろ終わりか、と俺が期待したときだった。

喪主が立ち上がり、祭壇の前へ行くと、参列者に向かって口を開いた。


「じゃあ、今からお配りしますんで、一列でお願いします」

手にはしゃもじが握られ、横には山積みの茶碗が置かれていた。


喪主の言葉を合図に、前方から順に、人々が祭壇の前に並び始める。

まさか——しゃもじと茶碗から、恐ろしい想像が脳裏をよぎる。


「どうぞ」と隣の席の人に促され、自ずと俺も列に入れられた。


並んでいる位置からは祭壇前の様子は見えないが、席に戻る人々の手には白米が盛られた茶碗があった。

そして彼らは席に着くと、躊躇なくそれを口に運んでいた。


——あれは、遺体を覆っていた白米だ。

そんなもの食べられるはずがない。


俺の体が小刻みに震え始める。

彼女の姿を探したいが、後ろに列ができていて確認できない。


少しずつ列が進み、俺の番が徐々に近づいてくる。

とりあえず受け取って、残すしかない。


そして、ついに俺の番となった。


「今日はありがとうございます。若いからたくさん食べて下さいね」


そう言って、喪主から白米が盛られた茶碗を渡されたのだが、ない。


遺体がない。


既に、頭部から胸あたりまでの白米がなくなっていたが、そこに遺体はなかった。

これは、全て白米だったのか。


そうなると、新たな疑問が浮かぶ。

じゃあ、遺体はどこだ。


唖然としたまま茶碗を受け取った俺は、席に戻る際に彼女の姿を探し、後方の座卓にその姿を見つけた。

彼女は、大きな骨付き肉に夢中でかぶりついていた。

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米葬 江賀根 @egane

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