第5話 感謝

 テーブルの上には、ルインの奴が用意したいつものメニューが並んでいた。


 固い黒パン。

 具の少ないスープ。


 ……以上。


 ……ん? ちょっと待て。


 テーブルの上には、いつものメニューに加えて、ひとつ、見慣れないものが増えていた。


「……卵焼き?」


 素朴な見た目の卵焼きが小皿に乗っていた。


「なんだこれ?」

「えへへ。ジュダ様、ここ数日ずっとお疲れのご様子だったので……少しでも元気が出ればいいなって、奥様方の食材からこっそりくすねて……焼いてみましたのです」


 指先でもじもじとエプロンの裾をつまみながら、ルインが恥ずかしそうに笑う。


「そんなことして、もしバレたら、ただじゃ済まねえだろうに。バカかお前?」

「ジュダさまが元気になってくれれば、お仕置きされても構いません!」


 思わず言葉を失う。

 どう考えてもを、ためらいもせず実行に移せるルインの感性が、理解できない。


 そんな俺の心の中など、つゆ知らず。

 ルインは目をキラキラとさせて、俺を見つめる。


「ジュダさまっ! お口に合うか分かりませんけど。どうぞ、お召し上がりください!」


 俺はため息をついて、テーブルに座る。

 小皿にのった卵焼きを一切れ、フォークでそっとすくい上げ、ゆっくりと口元に運んだ。


 その味は――


 柔らかい卵が舌の上でほどけ、ほんのりとした甘みが広がる。

 見た目は素朴なのに、驚くほど丁寧に作られた味だった。


 なんとなく、子供の頃、母さんが作ってくれた温かな食事の味を思い出した。


 ふと視線を感じる。

 見るとルインが優しげな眼差しを俺に向けていた。

 彼女が用意した卵焼きを、純粋に美味いと思ってしまったことが気恥ずかしくて、俺はさっと視線を外す。


「ジロジロ見てんな。食いづらいだろ」

「あ、ごめんなさい!」


 ルインが慌てたような声を上げた。

 そのあまりにも素直な反応に、胸の奥がわずかにざわついた。


(……まて。今の言い方、またアミュレットに罪だなんて判定されたら終わりだ)


 刻数のことが頭をよぎり、俺は小さく息を吐く。


 だから仕方なく——本当に仕方なくだ。


 言葉を噛み直した。


「……うまかった。……りがとう」


 言った瞬間、顔がカッと熱くなる。


「ふええっ!?」


 ルインは、ルインで頓狂とんきょうな声を上げた。


「ジュダさま……い、今、なんと……?」


 ルインはわなわなと、青い瞳をぱちぱちとまたたかせながら、信じられないといった様子で俺のことを見つめている。


「聞こえなかったのか? ありがとうって言ったんだよ!!」


 俺はぶっきらぼうに言い捨てる。

 ルインはしばし口をぱくぱくさせたあと、ぱあっと顔を輝かせた。


「……はいっ! どういたしまして!!」


 その笑顔が、妙にまぶしくて。

 見続けるのが、苦しかった。



 俺が朝食を終えたところで、ルインが片づけようと皿を重ね始めた。

 俺は立ち上がり、ガシッと彼女の手をつかんだ。


「……ジュダさま?」


 ルインは目をぱちくりさせ、俺を見上げる。

 驚きと戸惑いがまじったその表情。

 なぜかその頬がちょっと朱に染まっていた。


「その皿、俺が洗う」

「え?」

「二度いわせんな。俺が使った皿だ。俺が洗う」


 俺の言葉に、ルインの目が盛大に泳いだ。


「えっ!? だ、だめです! そんなそんな、ジュダさまに、そんなことをさせるわけには――」

「うるせえ黙ってろ」


 俺はルインの抗議をぶった切る。


「いつもてめえに世話になってんだ。たまには恩返しさせろ」


「お、おん……」


 ルインが、一瞬だけ呆けた顔をした。


 そして、じわりと目に涙がにじむ。

 ルインの目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


 コイツが突然泣き出したことで、大いに戸惑うのは俺の番だ。


「は、はあ!? て、てめえ、なに泣いてんだよ!?」

「だって、だって……ジュダさまが……わたしに……!」


(そんなに俺に手伝われるのは嫌なのか!? クソっ、このままじゃ、また刻数が……!!)


 だが、次に放ったルインの言葉は、俺の予想の斜め上をいく言葉だった。


「うえええええん、ありがとうございます!」

「え?」

「ジュダさまが……わたしのために……その……夢みたいで……っ」

「ルイン……」


 ルインは、本当に嬉しそうに泣き笑いをしていた。

 ルインが放ったの言葉。


 昨日の他の使用人共とは違う。

 恐怖や義務感じゃなく、心の底から湧き上がっただった。


 その泣き笑いの顔を見た瞬間――


(……あー、クソ)


 胸のあたりに、じわっと温かいものが広がった。

 気持ち悪い、と言いかけてやめる。


 代わりに、皿をひったくるように受け取った。


「てめえは座って休んでろ。邪魔だ」

「はいっ!」


 ルインは嬉しそうに、俺の憎まれ口に返事をした。



 その日は一日中、ルインの仕事を手伝った。


 廊下の掃除。

 シーツ替え。

 荷物運び。


 途中で何度も「やっぱり私一人でやりますから!」と止められたが、そのたびに、


「いいから黙って手伝わせろ」


 と半分キレ気味に押し切った。


 そのたびにルインは、困ったように笑いながらも、何度も何度も「ありがとうございます」と言った。


 そのありがとうが、だんだん耳障みみざわりに感じなくなったことが――

 ありがとうと言われるたびに、心の奥がそわそわとうずくことが——


 俺は気に入らなかった。


(くそっ、アミュレットの呪いさえなければ、誰がこんなクソみたいなこと!)


 そんな風に心の中で毒づきながらも、俺は、ルインに与えられた仕事をすべて片付ける。

 一日の終わり、ルインが笑顔を俺に向けた。


「ジュダさま! 本当に今日は、ありがとうございました!」


 そう言われた瞬間——

 視界の端に浮かぶ、刻数が輝いた。


 ————4。


 カウントが「3」から「4」へ増加する。


「……増えた」


 思わず、安堵の声が漏れた。


「つまり……これが、人助けってわけか」

「ジュダさま……? どうしました……?」


 ルインの言葉を無視して、俺は視界にぼんやりと浮かぶ数字を見つめ続ける。


 罰のアミュレット。

 償いの刻数。

 人助け。


「ろくでもねえ……」

「え?」

「なんでもねえよ、邪魔したな」


 俺は踵を返して、廊下を歩き出す。

 ルインに礼を言われるたび、胸がムズムズするような気色悪い気分を思い出していた。


「それでも――どんなにろくでもないことでも、続けるしかない」



 罰のアミュレットの呪いに打ち克つために。

 死なないために、人助けを続けるしかないんだ。






次話、ヒロイン視点回(R15)

本日、18:02に公開です!

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人を助けないと即死亡の呪いを受けた悪役貴族の俺、しぶしぶ一日一善してたら、史上最高の名君に成り上がってしまう〜災厄貴族ジューダス・ファウルトの偽善〜 三月菫@12月22日錬金術師5巻発売! @yura2write

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