第2話 刻数


 ガリオスの葬儀そうぎを終えた翌朝。

 自分の部屋で目を覚ました俺は、異変に気づいた。


「……なんだこれ?」


 視界のはしに、やたら存在感を主張するが浮かんでいる。


 ——6。


 空中にぼんやりとにじむみたいに「6」という数字。

 まばたきしても消えない。

 目をこすっても消えない。

 なんならまぶた閉じても残像が居座いすわってくる。しつこい。


「気味が悪いな……」


 自分の身におきた変化に思わず呟く。


 この謎イベントの原因として思い当たるのは、昨日の葬儀の最中で拾ったのことだった。


 ガリオスの棺に収められていた見覚えのないアミュレット。

 身につけた途端に襲われた頭痛と謎ボイス。

 そして、身につけたはずのアミュレットは、こつぜんと消えてしまった。


 そんでもって今日は、視界に謎の「6」。

 確実にまともじゃない。


 ――が、今の俺にとって最大の問題は。


「腹減ったんだよな……」


 空腹状態で考えるとロクなことにならない。これは人生の真理だ。


「まずメシだ」


 俺はそう結論し、身支度をして食堂へ向かった。


 

 


 ファウルトていの大食堂は、一階の中央。

 上流貴族らしく豪奢ごうかな装飾がされた、ファウルト家の一族がそろって食事を取る、いわゆる「表」の空間だ。

 

 だが俺はその扉をスルーして、廊下の奥へ直進する。

 突き当たりにあるボロい扉。


 ここが、俺専用の小食堂だった。

 兄弟たちは、当主ガリオス(もう死んだけど)と母クラウディアと並んで大食堂で食事をする。

 

(俺——ジューダスだけは別。ホント、わかりやすい差別だぜ)


 扉を開けると、こじんまりとした部屋の中央に、簡素な木のテーブルセットが一つっきり。


 その壁際には、メイド服に身を包んだが、背筋をしゃんと伸ばして控えていた。


「おはようございます、ジュダ様」


 俺の顔を見るなり、彼女はニコニコと笑顔を浮かべた。


 こいつはルイン。

 この屋敷でただ一人、俺に仕える使用人だ。

 

 元は奴隷として売られていた彼女を、子供の頃の俺が引き取り、今の立場に置いた。

 そういう意味では古い付き合いである。


 ルインの挨拶を返すことなく、俺はドカッと腰を下ろす。

 テーブルの上には、すでに朝食が用意されていた。


 黒パンと野菜スープ。

 

 ……以上。


 仮にも公爵家の息子が食べる朝食は思えない質素なメニュー。

 同じ時間帯、大食堂にいるクソ兄弟どもはきっと、焼きたての白パンや、香りのいいベーコン、果物の盛り合わせなんかを食ってるんだろう。

 

(生まれが違けりゃ、扱いも違うってわけだ——)


 俺に対する家族の差別は今に始まったことじゃない。

 頭では理解してるし、今までは特に気にしていなかった。

 

 だが今日は違う。


(……イラつくぜ)


 本来ならガリオスから開放された喜ばしい日。

 なのに好奇心があだとなって、妙なアミュレットに頭をぶち抜かれ、視界には意味不明な「6」がふよふよと揺れている。


 いろいろな不快感が混ざり合い、胸のあたりに黒い塊みたいになっていた。

 やがて、黒いモヤモヤが——ぷつんと弾けた。


「……気に入らねえ」


「ジュダさま?」


 ルインが戸惑とまどいの声をあげる。


「なんだよ、このエサは」


 パンの乗った木皿を指差して、ルインの顔をにらんだ。

 黒いモヤモヤが、勝手に俺の口を動かした。


「当主を失った翌朝よくあさっぱらから、よくもまあこんなシケた飯で済ませられるな。けっ。所詮、俺はめかけの子だからなぁ。豚のエサでも食わせておけってことか?」


 その言葉に、一瞬、ルインの瞳が揺れた。

 

 けれど、すぐにいつもの従順じゅうじゅんな色に塗りつぶされる。


「ジュダさま、お口に合わず申し訳ありません……!」


 ルインは、心の底から申し訳なさそうに頭を下げた。


 別にこの質素すぎる朝食は、ルインのせいじゃない。

 むしろ彼女は、ファウルト家から与えられるわずかな食材の中で、少しでもまともな食事になるよう工夫を凝らし、俺のために準備してくれている。


 そのことは理解している。

 だから、俺がしているのは、ただのだった。



 だってかまわないだろ?

 俺はこいつより強いんだから。



「こんな豚のエサを食えるかッ!!」



 俺はテーブルの皿を、まとめて横へ払った。


 ガシャーン、と派手な音を立てて、皿が床に落ちる。

 パンとスープが床にぶちまけられた。


 その瞬間だった。



 ◤汝の罪を確認した◢



「あ……?」


 頭の中に、昨日と同じ謎の無機質ボイスが響いた。

 視界の「6」が、ピコッと赤く光る。



 ◤償いを要求する◢



 突如、脳天から雷を叩き込まれたみたいな痛みが襲ってきた。


「――うぎゃああああああああっ!?」


 視界が真っ白に弾け飛ぶ。

 足元の感覚がなくなり、身体がぐらりと揺れた。


「ジュダさまっ!?」


 俺の名を呼ぶルインの声が遠ざかる。

 だが、その声を最後まで聞く前に――


 俺の意識は、真っ逆さまに闇へ落ちていった。


 





「……様。……ジュダ様」


 暗闇の中、どこか遠くから、ふわっとした声が聞こえた。

 その声が俺の重たい身体を引き上げるかのように、ゆっくりと意識が浮上していった。


 重たいまぶたをゆっくりと開ける。

 視界に飛び込んできたのは、見慣れた天井だった。


 感じるのは、身体に馴染む、柔らかいベッドの感触だ。


「ここは……俺の部屋……?」


 俺は自室のベッドの上に横たわっていた。

 首をもたげて周りを確認する。

 照明が落とされた室内は少し薄暗い。

 窓の外の光の感じからして、今は夕方といったところだろうか。


「俺は……食堂で朝食を食べて……それから……?」


 朝食の場で……

 ルインの奴にイライラして……

 皿をぶちまけて……

 そして――


 自分の身に起きたことを思い出そうとしていると、


「ジュダさま!」


 俺の名前を呼ぶ大きな声が、思考をぶった切った。


「……ルイン?」


 視線を声の方にずらすと、ルインの大きな瞳とかちあった。

 ルインは枕元の椅子にちょこんと腰掛けて、今にもポロポロと泣き出しそうな目で俺を見つめていた。


「よかったぁ……目を覚まされたのですね……」


 その顔が、今朝の出来事を俺に思い出させた。


 俺はルインに八つ当たりをした。

 そしたら、頭の中に謎ボイスが響いて。

 頭が爆散するかと思うほど激しく痛んで……。


「俺は気を失っていたのか」


「はい……朝食中に倒れて、もう半日もずっとですよ……ぐすっ」


「なんで泣いてんだ?」


「だって、ジュダさま全然起きないから……」


 目にいっぱい涙をためたまま、ルインが続ける。


「回復魔法も全然効かなくて……奥様にお伝えしても、お医者さまも呼んでくれなくて……ぐすっ……」


(意味がわからねえ。なんで、俺のことを心配しているんだ、コイツは……)


 俺はルインのことを常に邪険に扱っている。

 正直、今朝のような八つ当たりなんて日常茶飯事だ。

 なのになんでコイツは——俺から離れようとしないんだろう?


 だが、そんなどうでもいいことに思いを馳せたのは一瞬だった。

 すぐに自分の視界に映る違和感に気づいた。


 ——5。


 相変わらずぼんやり光をまといながら、俺の視界の端に浮かぶ謎の数字。

 その番号が変化していた。

 今朝の段階では、カウントは「6」だったはずだ。


「……数字が、減った?」


 正直、嫌な予感しかしない。

 寝てる場合じゃなかった。

 俺は慌てて起き上がろうとして——


「……ダメです!」


 ルインが、ぽすっと俺の肩を押し戻す。


「ジュダさま! まだ安静にしてなくちゃいけません!」


 ルインの柔らかい身体が俺に押し付けられる。

 くそ、ちびのくせして胸の大きさだけは……

 いや、そこは今どうでもいい。


「別にどうってことねえ。もう治った」


 わざとぶっきらぼうに返す。

 ルインの腕を振り払い、ベッドから立ち上がった。


「もう大丈夫だ。下がれ」

「ですが……!」

「聞こえなかったのか? 下がれって言ってんだよ」


 語気を強めるも、ルインは食い下がってくる。


「ジュダさま!」

「……んだよ」

「わたし、本当にお身体が心配なんです! 今は動かないほうが……せめて、少しだけお休みになってから――」


 ルインにしては珍しく、ぐいっと前に出てくる口調だった。


(くっそ……なんで俺なんかに……そんな必死なんだよ……!)


 ルインの思いやりにあふれた眼差し。

 それが、俺をイラつかせた。


「しつけえんだよ!」


 思わず、ルインの腕を乱暴に振り払っていた。


「きゃっ――!」


 体重を預けていたせいか、ルインの身体がバランスを崩す。

 小さな悲鳴とともに、ルインは床に倒れ込んだ。


「いたっ……」


 鈍い音。

 小さな悲鳴。

 床に尻もちをついたルインの肩が、小さく震える。


(あ……)


 一瞬だけ、胸の奥がチクリと痛んだ。

 だが、そのことを自覚する前に——



 ◤汝の罪を確認した。償いを要求する◢



「っ……!」



 頭の中に、またあの声が響いた。

 視界の端の「5」が、激しく赤く点滅する。


 頭の中に杭をぶち込まれたかのような痛み。


「ぐがああああああああッ!?」


 再び、脳を内側から殴りつけられたような痛みが襲ってきた。


 視界がぐにゃりと歪む。

 床が遠ざかり、天井が近づく。

 吐き気と眩暈が一気に押し寄せてきた。


「ジュダ様っ!?」


 ルインの悲鳴が、遠く近く反響する。

 

 痛みに襲われながら、それから逃れようと、必死に思考を回す。


(罪? 償い? んだよ、それ……!)


 朝、俺はルインの作った朝食を気に入らないといって、食器を床にぶちまけた。

 そして今は、俺の体調を案じてきたルインを突き飛ばした。


 その結果が、頭に響く謎ボイス。

 そしてこの激痛だ。


 視界の端で「5」が、赤く激しく点滅している。

 そのカウントが――「4」に切り替わった。


(朝も……頭痛はルインに八つ当たりしたあとだった。そして今も——)


(罪って……まさか、ルインを突き飛ばしたことか?)


 頭の痛みは激しさを増す一方だ。


(罪を償え、だと……!?)


 頭蓋骨の内側から、何か鋭いものでガリガリと削られているような感覚。

 このままだと俺はまた気を失う。

 いや、死んでもおかしくないレベル。

 

(くそ! やればいいんだろ!?)


 俺は頭を片手で抑えながら、必死にルインの方に向き直る。


「ル、イン……!!」


 床に尻もちをついたまま、俺を見上げるルインの青い瞳が、びくりと揺れた。


「……わ、悪かったッ!!」


 言いたくもない言葉を、喉の奥から無理やり搾り出した。


「お前に! 当たるつもりじゃ……なかった! すまな! かった……!」


 俺がルインに謝ったその瞬間——

 すっと波が引くかのように、さっきまでの激痛が嘘みたいに消え失せた。


「……あ?」


 さっきまで耳鳴りと吐き気でぐちゃぐちゃだった世界が、急に静かになる。

 視界の端を見る。


 ――4。


 数字のカウントは、静かにそこに浮かんでいた。


(……とりあえず、止まった、のか?)


 試しに頭を振ってみても、もうあの痛みは戻ってこなかった。

 俺は冷や汗ダラダラの額をぬぐう。



「ジュダ様! やっぱりお医者さまに診てもらわないと!」


 ルインは身を起こすと、まだ涙の残る瞳で、こりもせずに俺に歩み寄ってきた。

 コイツは……さっき俺に突き飛ばされたのに――まるで怯む気配がない。


「ジュダさま、顔が真っ青です! もしかしたら大きな病気なのかも。きちんとお医者さまに――」

「だから、しつこ……」


 思わず、いつもの調子で暴言を返しかけて――慌てて思い直す。

 また、あの頭痛に襲われたら洒落にならん。


「ごほん……大丈夫だ……」


 咳払いをしてから、俺は実に俺らしくない言葉をルインに投げかけた。


「心配かけたな。、ルイン」

「えっ!? あ、ありがとう!?」


 逆立ちしたって俺が言うはずのないセリフに、ルインが目を瞬かせる。


「えっ!? ありがとうございます!? ええっ!? ジュダさまが!? わたしに!? えええええ!?」


 まあそうなるよな。俺も言ってて変な汗出てきてる。


 だが、いつまでもここでルインとじゃれている場合じゃなかった。

 俺は踵を返して廊下へ続くドアへ向かう。


 ドアノブに手を伸ばしたところで、背後からルインが俺を呼び止めた。


「ジュダさま! どこに行かれるんですか?」

「図書室だ。ちょっと、調べたいことがあるだけだ」


 短く答え、俺は自室を後にした。

 


(クソ……! あのアミュレットのこと……調べないといけねえんだよ!)



 

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