第3話

「ちょ、ちょっとやめて!」


 セシリアが、はっと我に返ったように叫んだ。


「あの女は一年の中でも上位の成績なの!

 あんたじゃ相手にならない!」


 必死に絞り出した声。

 そこには怒りよりも、明確な焦りと恐怖が混じっていた。


 いつの間にか、廊下の周囲には野次馬の生徒たちが集まり始めている。


「魔力もないのに無茶だろ……」

「相手、あのクラスフィーナだぞ……」


 ひそひそと囁く声が、空気をさらに重くする。


 だが――


 現は、セシリアの声をまるで聞いていなかった。


 ただ、ゆっくりと前に出る。


 一歩。

 また一歩。


「手加減はしてやるよ」


 口の端を釣り上げ、ニヤリと笑って言い放つ。


「……は?」


 クラスフィーナは、一瞬きょとんとした顔をしたあと、

 次の瞬間には腹を抱えそうなほどの嘲笑を浮かべた。


「面白い冗談ね」


 片手を腰に当て、わざとらしく首を振る。


「魔力のない貴方に、

 この子を出すのは少し大人気ない気もするけど……」


 ちらりと周囲の生徒たちを見回し、


「身の程は、教えてあげなくちゃね」


 その言葉と同時に、足元に魔法陣が展開される。


「出ておいで――グランディア」


 眩い光が弾け、床が低く震えた。


 光の中から現れたのは、

 まだ成長途中ながらも、圧倒的な存在感を放つドラゴン。


 硬質な鱗。

 大きく広がる翼。

 黄金色の瞳が、獲物を射抜くように細められる。


「ド、ドラゴン……!?」


 セシリアが息を呑む。


 周囲の生徒たちも、思わず後ずさった。


「あはは! ごめんなさいね!」


 クラスフィーナは、完全に勝ち誇った顔で笑う。


「私、貴方と違って優秀だから!」


 グランディアは低く唸り声を上げ、

 鋭い爪で床を引っ掻いた。


 キィィ……という嫌な音が廊下に響く。


 ――だが。


 現は動かない。


 一歩も、退かない。


 ただ、じっとドラゴンを見つめている。


「あら?」


 クラスフィーナが眉をひそめた。


「恐怖で声も出せないの?」


 そして、ふと思い出したように手を叩く。


「ああ、そうだわ。

 貴方がやられる前に自己紹介しなきゃ!」


 胸を張り、


「どうも初めまして。

 私の名前はクラス――」


「うるせぇ」


 低く、短い声。


 現が、真っ直ぐにクラスフィーナを睨みつけた。


 その瞬間。


 空気が、僅かに張り詰める。


「……ッ」


 クラスフィーナは一瞬言葉を詰まらせ、

 すぐに苛立ちを露わにした。


「……いきなさい!」


 命令と同時に、


「グギャァァ!!」


 グランディアが咆哮を上げ、翼を叩きつける。


 突風が廊下を駆け抜け、

 巨体が一直線に現へと突っ込んできた。


「現!!!」


 セシリアが、悲鳴のように叫ぶ。


「安心してみとけ」


 現はセシリアを振り返り、

 なぜか余裕の笑みを浮かべる。


 ――次の瞬間。






 ドン!!!!


 鈍く、重い衝撃音。


そして――


「ぐあぁぁぁぁ!!」


 現の体が、紙切れのように吹き飛ばされた。


 壁に叩きつけられ、

 ゴン、という嫌な音が響く。


「「え?」」


 クラスフィーナ。

 取り巻き。

 野次馬の生徒たち。


 誰一人、理解が追いついていない。


「ちょ、ちょっとタンマ!!」


 壁に押し付けられながら、現が必死に叫ぶ。


「い、一回こいつ止めて!!

 マジで!!」


「え? あ、あ!」


 クラスフィーナが慌てて手を振る。


「下がって、グランディア!」


 命令を受け、ドラゴンが一歩後退する。


 ずるずると壁から滑り落ち、

 現は床に転がった。


「……っはぁ……」


 ボロボロの状態で立ち上がる。


「死ぬかと思った!!」


 服は破れ、顔には煤。

 さっきまでの余裕は、見る影もない。


「ちょ、ちょっと!

 あんた、だから言ったじゃない!!」


 セシリアが駆け寄り、怒鳴りながらも心配そうに言う。


「期待させないでよ!!!」


「やべーよ……」


 現は顔を真っ赤にし、

 両手で顔を覆いながら呟く。


「あんな自信満々だったのに、もうボロボロだよ……

 えぐいわー……」


 ちらりとドラゴンを見る。


「ドラゴン、マジでエッグい……」


 内心で悪態をつく。


(クソ……よく見たらここ、妖力ねぇじゃねぇか!!

 うわー……ちゃんと確認しとけばよかった……)


「えっと……」


 クラスフィーナが、気まずそうに声をかける。


「……降参、する?」


「いや! 大丈夫だ!」


 現は即答した。


 そして、手のひらを突き出す。


「だが!

 少し待って欲しい!」


「……わかったわ!」


「ちょ! もうやめときなさいよ!」


 セシリアが、ほとんど悲鳴に近い声で叫んだ。


「ダメに決まってるだろ!

 ここで引いたらダセェ!」


「いやもう十分ダサいわよ!!」


「それに――!」


 拳を握り、歯を食いしばる。


「あいつらの総大将として、負けは許されん!!」


 その言葉に、セシリアは目を見開いた。


「……は?」


 何を言っているのか分からない。

 だが、今の現は明らかに様子がおかしかった。


「もういいかしら?」


 クラスフィーナが、やや引きつった笑みを浮かべて言う。


 最初の嘲りは消え、代わりに戸惑いが滲んでいる。


「ああ、いいぜ!」


 現は、やけに爽やかに親指を立てた。


「案外、お前いいやつだな!」


「……は?」


 理解が追いつかないまま、クラスフィーナは叫ぶ。


「いきなさい! グランディア!」


 命令を受けたドラゴンは、先ほどとは違った。


 低く唸りながら大きく息を吸い込み、

 喉の奥が赤く、熱を帯びて輝き始める。


「……っ!」


 セシリアとクラスフィーナ、二人同時に顔色が変わった。


「クラスフィーナ!!

 ブレスなんて吐いたら死んじゃう!!」


「分かってるわよ!!!」


 クラスフィーナは必死に叫ぶ。


「グランディア! ダメ!

 やめなさい! ブレスはダメ!!」


 だが。


 グランディアは、止まらない。


 赤熱した光が喉の奥で渦を巻き、

 熱気が周囲の空気を歪ませる。


「なんで……?」


 クラスフィーナの声が震える。


「なんで言うこと、聞いてくれないの……?」


 ――それは。


 この場でただ一体、

 グランディアだけが気づいていたからだ。


 目の前の“人間”の中で、

 何かが、明確に変わったことに。


「焦るなよ、セシリア!」


 現が、肩を回しながら言った。


「さっきまでの俺とは、もう違うぜ?」


 口元に、不敵な笑み。


「来いよ、グランディア!」


「何言ってるの!?

 あんたさっき吹っ飛ばされたじゃない!!」


 セシリアが叫ぶ。


 だが、その瞬間。


 ――現の周囲で、空気が揺れた。


 見えないはずの何かが、

 ざわり、と集まり始める。


「……え?」


 クラスフィーナが、思わず息を呑む。


 魔力――ではない。


 だが、確かに“力”だった。


 周囲に満ちていた魔力が、

 吸い寄せられるように現へと集まっていく。


 そして。


 その魔力は、現の中で別の何かへと変質していく。


 妖力。


 魔力を媒介に、

 無理やり性質を書き換える――本来なら不可能な行為。


(……ふぅ)


 現は小さく息を吐く。


(少しは溜まったか)


 その瞬間。


「グギャァァァァァァ!!」


 グランディアが、ついにブレスを吐いた。


 灼熱の奔流。

 廊下を焼き尽くす勢いの炎。


「ダメぇぇぇぇぇ!!」


 セシリアの叫びが、かき消されそうになる。


 ――だが。


「荒天殴!」


 現が、地面を踏み抜いた。


 拳が振るわれた瞬間、

 爆風のような衝撃が走る。


 拳圧だけで、

 炎のブレスが正面からかき消し飛ばされた。


 空気が裂け、

 熱が霧散する。


「――なっ」


 クラスフィーナの言葉は、音にならなかった。


 止まらない。


 現は、そのまま踏み込み――


 ドンッ!!!!


 鈍く、重い衝撃音。


 拳が、グランディアの顎を捉える。


 次の瞬間、

 巨体が宙を舞い、廊下の先へと吹き飛ばされた。


 壁が砕け、床が割れる。


 静寂。


 あまりにも、突然の結末。


 誰も、声を出せなかった。

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妖怪達の総大将、正体を隠して高校に通っていたら異世界で使い魔として召喚された @toneru1111

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