第2話 七色の花火に包まれて

「――レオナール様の生誕を祝って」

 王女の言葉に続き、みながグラスを持ち上げる。

 生粋の王女として生まれたカサンドラ様は、グラスを口に運ぶその仕草までもが美しい。

 隣国王室も手を焼くほどの我儘わがままな王女だという噂。

 でも目の前にいるのは、噂とはまるで違う、薔薇のような気品を備えた女性。

 ……あの噂は嘘だったのね。

 そう思うほどに、レオとの婚約は揺るぎないものに見えた。


 田舎領地で育った私が、わずか数年の宮仕えでそれを補えるはずもない。

 彼女にはきっと、敵わない。

 婚約者候補でありながらただ一人、カサンドラ王女の側に控えていた私は、そんな諦めにも似た気持ちを抱きながら王女に優しく瞳を細めるレオを見つめていた。


「カサンドラ様。口をつける仕草だけで大丈夫でございます。無理に召し上がる必要はございませんから」


 一口飲んだだけで頬に朱が差すカサンドラ王女を可愛らしいなと思いながら、小声でそう伝える。

 彼女の母国では、さほど酒をたしなまない。

 ましてや成人したばかりの姫にグラスを空にしろと言うのは酷だろう。

 そう思ったのだけれど。


「大丈夫よ、セリーヌ。レオナール様が手ずから注いでくださったんですもの。すべて……受け入れたいの」

 可憐な姫は、おっしゃることまで可愛らしい。


 ドーン、パラパラパラ。


 夜のとばりが降りて、彼の誕生祝いを兼ねた花火が打ち上げられた。

 婚約者候補の3人も、白いレースの手袋を外し、祝いの華を咲かせる用意を始める。胸の前で手をかざし魔力を込めて空へと放つと、色とりどりの蝶が夜空を舞った。


 あちらこちらで感嘆の声が上がる。


 カサンドラ王女は、初めて魔法の花火を鑑賞したはず。

 そう思い何気なく表情をうかがうと、青白く今にも倒れそうだった。


「カサンドラ様、大丈夫でございますか?」

「セリーヌ、化粧室へ案内してくれない?」

「かしこまりました」


 衛兵へ目配りし、彼らに前後を警備してもらいながら王女を化粧室へと案内する。


「シャンパンを飲みすぎちゃったみたい。貴女の忠告を、聞いておくんだったわ」

 シャンパンは色こそ淡いが、アルコール度数が低いわけではない。

 かくいう私も、昨年のデビュタントで失敗した。


 衛兵に聞こえないように小声で

「こういう場合は、吐き出してしまった方が却ってスッキリいたしますわ」

 と伝えると、王女は麗しい瞳を溢れそうなほど大きく開けて、

「まぁ! 貴女、そんな経験があるの?」

 人は見かけによらないものなのねぇ、なんて首を傾げている。

 その仕草までもが可憐で庇護欲を誘う。


 人は見かけによらないもの――。

 両親を早くに亡くし、叔父夫婦のもとで遠慮しながら育った私は、人の顔色をうかがい空気を読んでその場で好まれる言動をとることに長けている。

 加えて、宮仕えで得た鉄仮面という名の防御壁。

 そんな外面だけは完璧な淑女の中身が、長年の片思いをこじらせている、ただの非力な少女であることは、誰も知らない。


 さすがに衛兵に化粧室の中までついて来られるのははばかられて、内部に誰もいないことを確認してもらうと入口で待機しているように伝えた。


 個室に入り、カサンドラ殿下の背中をそっとさする。

 ようやく落ち着いた頃――外の気配が変わったのを感じた。

 ざわめきが騒音に変わり、衛兵のものとは異なる硬いブーツの音が大理石を叩く。

 私は急ぎ、個室を出た。

「セリーヌ……どうしたの?」

「カサンドラ様。無法者かもしれません」

「そん……な。でも、衛兵がいるわ」

 刀がぶつかり合う金属音。

 人が倒れる鈍い音。

 油に混じった血の匂いが化粧室まで届いた。


「……当てにできないやもしれません」

 私は、清掃具が納められている扉を開けた。

 奥には、緊急時に一人が隠れられるスペースが設けられている。


「こちらへお入りください。少し窮屈ですが、外からは開けられない仕様になっております」

「貴女は?」

「ここに、残ります」


 スカートの裾をめくり、小刀を取り出す。

 胸元で髪を切り落とすと、指先が震えた。

 この小刀は、王妃様の側仕えを始めた頃、直々に授けられたものだ。

“尊厳を奪われる前に、名誉ある死を選びなさい”――そう言われて。

 ネックレスに通していた、金の輪をはめる。

 一級魔術師だった母が、私にのこしてくれたもの。

 母の魔力が込められた、特別な指輪。


“セリーヌ。これをあなたに――。どうしても必要な時にだけ、使いなさい”


 お母様。

 今が、その時ですわよね?


「この髪は、弟へ」

「何を言ってるの! 一緒に逃げましょう?」

「王女殿下をお守りするのが、私の役目です」

「そんな……」

 王女の返事を待たずに、彼女を隠し扉へと押し込んだ。


 謝罪の言葉も、許しの言葉も、聞きたくなかった。

 この状況を招いたのは、王女の無邪気さと、王国側の油断。

 私が死ねば、誰かが責任を背負うことになる。

 それでも――隣国の王女が殺されるよりは、ずっとましなはず。

 王女が生き延びれば、外交は揺らがず王国の面目も保たれる。

 何より、レオの立場が傷つかずに済む。

 それなら、私でいい。

 私が、ここで終わればいい。


 でも。

 こんな最後を迎えるのなら、レオに想いを伝えておけばよかった。

 自分の気持ちと、ちゃんと向き合っていればよかった。

 ――大好きだよ。

 たったの五文字。

 ただ、それだけだったのに。


 深く息を吐き、頭を軽く振る。

 今は、感傷に浸っている場合じゃない。

 窓を背に立ち、震える両手を胸の前で組む。

 幼い頃、母に教えられた言葉を唱える。

 ――お願い。

 どうか、間に合って。


 指輪が熱を帯び、世界がぐにゃりと反転した。

 ほわんとした淡い光が、私を包む。


 その瞬間、扉が蹴破られ、黒装束の男たちがなだれ込んできた。

「カサンドラ王女。悪いが、命は頂く」

 認識魔法で王女に化けた私を見て、彼らは迷わず刃を向けてきた。


 お母様。

 わたし、もうすぐそちらへ行きます。

 でも、どうか怒らないで。


 滑るような無駄のない動きで男たちが近づいてくる。

 私は腕を振り上げ、風魔法を発動させた。

 竜巻が起こり、男たちをまとめて窓の外へと吹き飛ばす。

 地上十数メートル。無傷では済まないだろう。

 化粧室はめちゃくちゃになった。

 でも、隠し扉の奥にいる王女は無事なはず。


 自分の役割は果たせた。

 そう思った瞬間、全身から力が抜けて、膝から崩れ落ちた。

 指輪の力を借りるのには、代償が必要だ。

 魔力なしの私にとっては、おそらく――この命。


 ――セリーヌ。

 遠くから、私を呼ぶ懐かしい声が聞こえた気がした。


 窓の外に、特大の花火が咲いた。

 七色の光が、化粧室の中まで届く。

 私には、それがレオの魔力によるものだとすぐに分かった。

 大きくて、優しくて、揺るがない。

 会話のないお茶会で、ふわりと漂っていたレオの魔力とおんなじ。

 あったかい。


 ――花火。

 いっしょに、見たかったなぁ。


「――セリーヌ。セリーヌ! ……セリ!」

 セリ――私のことをそう呼ぶ人は、今ではもう、レオしかいない。


 命の灯火が確実に弱まっていくのを感じる。

 なのに――なぜだか、彼の腕に抱かれているような不思議な安らぎがあった。


 もう一度だけ、彼を「レオ」と呼びたかった。

 たとえ叶わぬ恋だとしても、想いを伝えたかった。

「レオ……大好きだよ」


 七色の光に包まれながら、私は静かに目を閉じた。

 私が守りたかったのは、カサンドラ王女じゃなくて、レオだった。

 レオの、未来。


 共に歩むことは、もう、できないけれど。


 それでも――魂は、寄り添うことができるかしら。

 あなたの中に、どうか、私が残りますように。

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