第3話 勇者と魔王、作戦会議!
「さて、魔王。もといライゼ」
「うむ」
「これからライゼも社会に出て働くわけだが」
「うむっ!」
「これから、俺のこと勇者って呼ぶの禁止な」
「な、なぜじゃ?!」
ライゼは目を見開いて雷が落ちたような驚き方をした。
「俺はこの世界で、勇者じゃない」
「それは……」
「そしてお前も、もう、魔王じゃない」
「…………」
それを聞いて、あれだけ意気揚々としていたライゼは……肩を落として、目を伏せた。
「……そう、じゃな。わしはもう、魔王では、ない」
ぽつりと呟いたライゼの声には、ヴェルディアの魔界で何十年と君臨してきた王としての重みと、その肩書を捨てたことへの寂しさがにじんでいた。
今はもう、玉座も、軍勢も、広大な魔界の空もない。ただ、安アパート畳に座り、唐揚げ弁当を頬張るだけの――ただの「女の子」。
「だから。だ」
俺は言った。彼女の伏せた瞳を正面から捉えるように、まっすぐに。
「これからは“ライゼ”として、ライゼ・ノクタールとしてここで生きていくんだろう? だったら、自分が何者なのか、どう生きていくのか。自分で決めなきゃダメだ」
「…………」
「魔王だったからじゃない。ライゼ自身がどうしたいかで決めろよ。働くのは、その第一歩だ」
ライゼは長いまつげをゆっくりと持ち上げた。その紅い瞳が、今度はじっとこちらを見据えている。
「……なんじゃ、勇者よ。おぬし、案外マシなことを言うではないか」
「“勇者”禁止。後、案外って何だ、案外て」
「あっ……む、むぅ……。うぅ……では……その、なんと呼べば……」
ぷるぷると口元を震わせながらも、必死に言葉を探している様子が妙に可笑しくて、思わず笑いそうになる。
「名前でいいだろ、普通に。“ハルト”で」
「ハ、ハルト……」
ライゼは口に出して言ってみて、頬を赤く染めた。
「むぅ……なんだか気恥ずかしいのう……っ、こ、こうなったら、そちもわしのこと“魔王”呼びはもう終わりじゃからな……」
「分かったよ。ライゼ」
その名前を改めて呼ぶと、彼女は照れ隠しのようにそっぽを向いた。
「よ、よかろう」
「まだ話しは終わってないぞ」
「なぬっ」
いい感じに終わりそうな空気だったが、ライゼが人間たちと働くことの問題はまだまだあった。
「まず、呼び方だ」
「よびかた」
「自分のことをわし、と言っているだろう? それも直す必要がある」
「わしのことをわしと言ってはダメなのか……では、何とわしのことを言えばいい……」
「できれば私、わたしと呼んでほしい」
「わ、た、し」
急に言葉を覚えた宇宙人みたいにぎこちなくなったまお……ライゼ。
「職場ではその言い方をしてほしいんだ。家の中と……あー、俺といる時は戻してもいいんだけどな。流石にその見た目でわしと言うのは……」
少し、変なんだ。
そう言うべきなのか、途中まで出かかったくせに俺は喉に詰まってしまった。
(変? ”普通”と違うから変えろって? ライゼからしたら”普通”なんて、どこにもないのに?)
「ゆ……ハルト? どうかしたか?」
「あっ、いや、何でもない」
急に名前を言われてドキッとしてしまった。ライゼは途中で言葉を止めた俺を心配そうに見つめている。
「えっと、だな。この世界では女性、ライゼぐらいの女性はみんな自分のことを「私」。あるいは名前で言うんだ。」
「ふむ」
「ライゼがよく言うわし、はな。何十年も生きた人が言うやつで……まあ間違っていないわけだが。とにかく、人間のおじいちゃんやおばあちゃんが使う言葉を若い女性のライゼが使うとそれを聞いた人は混乱してしまうんだ」
「わしは若い女性じゃないぞ?」
「知ってるよ。それでもクソ美人だろうが」
「く、くそびじん……?」
ライゼは言葉の意味がよくわからず、眉をひそめて首をかしげた。
「……それは褒め言葉なのか、罵りなのか?」
戸惑いながらも、どこか嬉しいような、でも混乱したような微妙な表情で俺を見つめている。
「あ、いや、その……だな」
焦った俺は言葉を繋ごうとして、つい口から出てしまった。
「そのクソって言葉は、まあ、ちょっと乱暴な言い方で」
「乱暴?」
ライゼはますます首を傾げた。
「えっと、あまり使わない方がいい言葉なんだ。人を傷つけることもあるからな」
俺は慌てて説明を続ける。段々自分の言っていることが自分で分からなくなってきた。
「だが、その場の感情を強調したいときに使うこともあって、クソ美人はつまり、めちゃくちゃ美人ってことなんだよ」
「ふむ? なる、ほど?」
ライゼは言葉を噛み締めるように口にして、少し考え込んだ。
「だが、わしにはまだよく分からんぞ。他者を傷つける言葉を使うとは……ハルトは相当危険な若者のようじゃな?」
言葉を理解しきれず、冗談めかして言うライゼの口調に、俺は顔が少しだけ強張らせた。
「危険じゃない。普通だ、普通!」
思わず必死に否定し、顔を手で覆った。
覆っていない耳からはまだライゼの言葉が入ってくる。
「わしからすれば、クソは汚い言葉に聞こえる。お主はそんな言葉を口にして、恥ずかしくならんのか?」
ライゼの真面目な問いに、俺は返答に困った。
「ああ、今すっげぇ恥ずかしいよ、マジで……だから、もうやめてくれ」
素直に答えたら、ライゼがふっと微笑んだ。
「それでこそ勇者……あ、ハルトじゃな。お主もまだまだ若いな」
嬉しそうに笑いながら、ライゼはぽつりと言った。
(こいつがわしって言うの? 割と直さない方がいいのか……?)
見た目はほとんど同じはずなのに、この時はライゼに優しく諭されたような気がした。
「ともかく、言葉の件は了解した。しょくばでは、わたし、と言おう。ぬし、ハルト以外の人間にもそのように言葉を改めて使おう」
「ああ、よろしく頼む」
「いや、よろしく頼むのはこちらの方だ、ハルト」
ライゼはそう言いながら、いつもの強気な顔つきに戻り、手を伸ばすと俺の手を優しく握った。
「わしはこの世界のことをまだ知らん。だからこそ、何か間違えていたら教えてくれ!」
俺もライゼに応えるためしっかりと握り返す。
「ああ、俺も腹を決めた。お前が知らない、苦手そうなことは俺が全力でサポートする。任せてくれ」
「ふっ、頼もしいな。勇者よ!」
「当然だ、魔王と唯一渡り合える人間だからな!」
数秒の沈黙の後、2人して笑いあう。
俺たちの奇妙な会話は、照れも含めて少しだけ距離を縮めていた。
魔王軍に居座られて俺の家がヤバい @Silver_Cordon
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