第2話 魔王、働く!
「はむっ……ん~っ、これだ! この味だ! 人間界の料理はなぜこうも美味なるものなのだ!」
夕飯の弁当を頬張るライゼの勢いは、まさに戦場で一騎当千の働きをする将のごとし。
ほっぺたをふくらませてむぐむぐと咀嚼し、ゴクリと飲み込んでは、今度は白米にがっつく。
ライゼはまるで小動物のように口を動かしていた。一口の大きさは肉食動物だけど。
「しかもこの米! 粒が立っておる! どれほど高価な米を使ったのか!? いや、まさか神が炊いたのか!?」
ライゼはひと口ごとに驚きの声を上げながら、うっとりと目を細めて白米を頬張る。
「神じゃなくてパートのおばちゃんが炊いて、一般的な値段のただの弁当だよ……」
「そうなのか? それに、わしはやはり! 特に、この唐揚げなるものが気に入った!」
今度は箸で唐揚げをつまみ上げ、口に運ぶ。瞳がきらきらと輝いて、満面の笑みから、うっとりした恍惚の顔、そして再び嬉々とした笑顔へ。
「初めは軽やかな衣の食感かと思えば、中はふっくら肉厚……それでいてジューシー。うま味という名の魔力が、口中にぶわっと広がるのじゃ!」
「レビューが上手いな」
またひとつ、またひとつと噛むごとに、表情が七変化していく。
「この油の香ばしさ……たまらんっ。魔界の戦場食とはまるで違う。あれはな……保存重視の硬い干し肉か、灰汁の強いスープばかりじゃった。調理担当のアンデッドどもは味覚が死んでおるから、加減というものを知らん!」
急に死んだ表情をしながら遠い昔、でもないが、過去へ思いをはせるライゼ。
「そりゃあ死人に料理頼むのが間違ってる……」
「ふふっ、これなら何個でも、いくらでもいけるな!」
勢いよく次の唐揚げを口に運ぶライゼは、まるで幼い子供のように無邪気だった。
「なあ、ちゃんと噛んで食べろよ」
「任せよ勇者、これしきの大きさではわしの胃袋は止まらな……もう、ないっ!」
そんなライゼの食レポを聞いたり、案の定唐揚げ弁当ひとつで足りないと言い出したので、残っていた三色弁当もあげることにした。
俺も鮭弁当を口に運ぶ。出来立てにはやはり叶わないが、目の前でそれは美味しそうなリアクションを取られれば、こっちも不思議とより美味しくなっていくものだ。
食卓は進み、空になった容器がひとつ、またひとつと重ねられていく。2つの弁当をぺろりと平らげて、ライゼは満足そうに息を吐いた。
「ふぅー……美味であった」
「満足したならよかったよ。俺の弁当までくれと言い出したらってヒヤヒヤした」
「なっ、わしとてそこまで極悪非道ではないぞ!」
「はいはい、分かってるよ」
怒るライゼに笑いながら、俺は目の前に座る”元”魔王を見た。
この世界に来たばかりの頃は、警戒心も強くて何にでも噛みついていたくせに、今じゃすっかり人間界の味に懐柔されてしまってる。
「もうすっかりこの世界の味に慣れたよな」
「ふふん、これもすべてわしの順応力ゆえ! 恐れ入ったか、勇者よ!」
「どの口が言う……というか、米粒ついてるぞ」
「ぬっ、どこだ!? ここか? 違うな……勇者、取ってくれ!」
「自分で取れ!」
どこだ、ここか……? と数秒苦戦したかいあって、とれた米粒を口に運んでから最後にコップへ注いでいた麦茶を飲み干し、ふぅ、とライゼは満足そうに伸びをした。
「うむ、満腹……これが“しあわせ”というやつか」
「……まあ、そうだな」
腕を上げてのびのびと背筋を反らす。髪がサラリと肩から滑り落ち、その動きに合わせて彼女の表情がふっと和らぐ。満ち足りた猫みたいな笑み。
が――次の瞬間、表情が変わった。
「勇者よ、今日は重要な話しがある」
いつになく真剣な声色だった。
さっきまでの陽気な笑顔が消え、今度は眉間にしわを寄せた、かつての威厳ある魔王の顔に戻っていた。
鋭く、真っすぐに俺を見つめる紅い瞳は、玉座から世界を睨み据えていた時のような圧を放っている。
「ん、そうか」
俺も思わずコップを置いた。ぴんと背筋を伸ばした魔王に倣って、こちらも姿勢を正す。
食卓にあったぬるい空気が、ほんのわずかに張り詰める。
「わしもだいぶこの世界に慣れてきた。あまりにも違いすぎる文明や技術、それに魔力もない。まだ戸惑うことはあるが、わしなりに受け入れているつもりだ」
語る口調はどこか静かで、自分に言い聞かせているようでもあった。目を伏せ、何かを振り返るように言葉を選んでいる。
「ああそうだな。もう体調を崩すこともなくなったよな」
思い出す。こっちに来たばかりの頃、人間じゃない魔王は魔力のないこの世界に適応できず三日間寝込んだことがあった。
「うう、あの時はすまん」
耳まで赤くなって、魔王は小さく俯いた。あの魔王が「すまん」と言う姿は、何度見ても妙に新鮮だ。
「いいって、それで?」
俺が先を促すと、魔王は深く息を吸い込んだ。そして、まるで覚悟を決めた戦前のような表情で、顔を上げる。
「うむ、わしは……」
一瞬の間。
「働こうと思う!」
びしっ、と勢いよく手のひらで自分の胸を叩く魔王。体内の魔力に反応して金色に変わった瞳が、燃えるように輝いている。そこには、かつて世界を征服しようとした時と同じ、異様な迫力すら感じた。
「あまり驚かないのだな?」
「まあ、な」
拍子抜けしたように目を丸くする魔王に、俺は肩をすくめて返した。
「いつかは言ってくるだろうと思ってたよ。思ったよりずっと早かったけど」
魔王とはそう少なくない時間を共にした。こいつは責任感が強く、誰かによりかかったまま生きるのを良しとしないやつだ。
そんな俺を見て魔王はむふーっと鼻息を荒くして、腕を組んだ。
「そうか、やはり見透かされておったか……さすがは勇者よな」
「いや、そこまで大したこと言ってないけどな」
「うぬ。だがわしは本気じゃぞ? この世界に住む以上、わしも役目を果たしたい。力なき者にもできることがあるはずじゃ」
(力なき者、ね)
その言葉には、かつて配下を統べていた王としての矜持がにじんでいた。けれど、それを語る表情にはどこか不安げな影があった。ほんのわずかに唇が震え、視線も俺から逸れている。
「……まあ、そう言っても何から始めればよいのかわからぬのだがな」
小さな声でぼそりとこぼす。
そう、これがこの魔王のかわいいところだ。
「はは、なんだよ。もう志望動機までバッチリかと思ったのに」
「む、からかうな!」
魔王がむっと唇を尖らせる。けれど、どこか安心したような表情になっていた。俺が魔王を責めるとでも思っているのだろうか。
この世界に半ば無理やりつれてきたのは、俺だというのに。
「で、何かやりたい仕事があるのか?」
「うぬ。よくぞ聞いてくれた!」
魔王は胸を張り、ぐっと拳を握りしめた。そして、堂々と言い放つ。
「わしは、この世界の民どもを守るっ!」
……。
「んっ? どういう意味だ?」
あまりにも突拍子のない宣言に、俺の脳が一瞬処理を拒否した。文字通りの意味なら、それは――警察か、自衛隊か……ヒーロー? いや、魔王だぞ?
「つまりだな。わしは考えたのだ。この世界には魔力はもちろん魔物もおらん。だが、夜の街には“闇”があると聞いた」
どこでそんな情報を仕入れたのか、魔王は得意げに腕を組む。
「この世界の闇に立ち向かい、民を守る者――それが“けいさつ”という存在らしいではないか!」
ああ、そういうことか。
思わずため息が漏れそうになるのをこらえた。たぶん、昨日見ていた深夜のドキュメンタリーに影響されたんだろう。
「……もしかして、警察官のこと?」
「うむ! あの制服、格好よかったぞ。あと、あの“インカム”というやつも、魔導通信っぽくて良い」
完全にテレビのヒーロー感覚だった。
だが魔王はいたって真剣だ。目に宿る光はふざけていない。
「魔法という力を失った今のわしにも、守れるものがあると知って、心が震えたじゃ。これは……わしにもできるのではないか、とな」
「なるほど」
口元が笑いそうになるのをなんとか抑えて、俺は頷いた。
こいつなりに、この世界でできることを、必死に考えていたのだ。
「お前の心意気、とてもいいと思う」
「おおっ、やはりぬしもそう思ってくれるか!」
魔王は嬉しそうに顔をほころばせ、キラキラした瞳で俺を見た。
だが、警察官か……。
現実的に考えれば、異世界から来た人間――いや、魔王が国家公務員になれるはずもない。身分証もないし、戸籍もない。いくら本人が真剣でも、法や常識的にもハードルが高すぎる。
そのことをどう伝えようかと考えていた俺の脳裏に、ふと、ある職業が浮かんだ。
(……いや、待てよ。警察じゃなくても、似たような仕事ならあるじゃないか)
警察官の制服が頭に浮かんだおかげでもうひとつの職業が自然と思い起こされた。そう、“警備員”。
民間企業が運営する職業で、主に建物や施設に常駐したり、時にはイベントに行って周囲の安全を守る仕事だ。制服もあるし、インカムもつける。なにより、「人々を守る」という魔王の望みには、かなり近い。
しかも、資格不要のアルバイトから始められるところも多い。魔王の体力と真面目さがあれば、意外とすんなり馴染めるかもしれない。
少なくとも、警察官を目指すよりは現実的だ。
「だが、警察官にはなれない」
「なん……じゃと」
「まあ待て」
表情が一気に落ちそうになる魔王へ手を上げて留める。ここの世界がホームの俺が頑張らなければ。
「代わりと言ってはなんだが、警備員というものがある」
「けいびいん?」
「ああ、それはだな……」
案の定知らなかった魔王へ俺が知っている限りの警備員がする仕事を教えた。すると。
「それは、けいさつと何が違うのだ?」
「それは、資格というか、より組織的というか」
魔王の純粋な疑問に喉がつかえるような心地を感じる。魔王のいうことは理解できて、違いも説明できる。
けど、それを魔王に分かりやすく説明する言葉がすぐには出てこない。
俺は数秒考えて、ライゼのいた異世界――ヴェルディアに例えることとした。
「警備員が商人や貴族に雇われた冒険者で、警察が国家騎士団。みたいなもの、だと思う」
「おお、そういうことか!」
魔王は俺の拙い説明で理解してくれたらしい。
「なるほど、それならば素性の知れぬわしがけいさつになるのは無理であろう」
「分かってくれたか」
「うむ、わしはこの世界ではただの”人間”。まずは小さなことから始めなければなるまい」
「ああ、その通り」
良かった。理想と仕事の分別はライゼなりについているらしい。いきなり国の偉い人を拉致したり脅そうとする直接的な判断はしないようだ。
悟られないよう内心胸をなでおろす。
(しかし、”元”魔王がこの世界の民を守るため闇に立ち向かう……なんともおかしな話しだ)
お前は魔王なんだから闇の生まれだろう。なんて心無い言葉を言う気もない。今はライゼの高いモチベーションに俺も乗っかろう。
「じゃあ、まずは警備員のバイト探しからだな」
「うむ! ”ばいと”は知っておるぞ! 始めに履歴書というものを書けばよいのだろう? この前勇者が書いていたのを見て、同じように戸棚から拝借して書いたのじゃが、書き方がよくわからんかったが、“特技”の欄に“全軍統率・雷撃魔法・身体強化”と書いておいた!」
「全部アウトだよ!」
おいおいと頭を抱える俺の横で、魔王は満足げに頷いた。
この世界で、魔王はまた“新しい戦い”を始めようとしている――そんな気がした。
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