第3話 光る蔦
夕方の街路を一人でトボトボと歩いていた。
目の前をカラスが横切り、驚き仰け反る。
「うおっ!」
カラスはそのまま拓海の数メートル先に着地。歩道の上に落ちていた木の実のようなものを咥えると、近くのフェンスの上に飛び移った。
「な、なんだよっ、ビビらせるなっ」
驚いて腰が抜けそうになりながら、必死にカラスに悪態をつく。が、カラスの方は素知らぬ顔だ。そのやりとりを近くで見ていた女子高生二人組が、クスクスと笑っている。
黄昏時にはまだ早いが、長く伸び始めたビルや樹木の影が、街路全体に色を落としていた。カラス相手にムキになっていることを自覚しながら「馬鹿にしやがって……」とカラスを睨み付ける。その視線を感じ取ったのか、カラスもジッと睨み返してきた。見つめ合うこと数秒。「カァ」と鳴いてそっぽを向いたカラスに毒気を抜かれ、そばのベンチにどっかと腰を下ろした。
今日は、以前に卒業式の取材で訪れた高校を訪れた。四月から校長が変わるとのことで、急遽、新校長のポートレート撮影に呼び出されたのだ。「そういうことはもっと早めに言ってくれねーかな」と内心でボヤきながら学校まで行くと、話はそれだけで終わらなかった。
新校長は自己顕示欲の塊だった。ウェブサイトの更新内容はすでに確定していて、デザインとコーディングもほぼ完了していた。なのに、ああして欲しい、こうして欲しいと、大幅な変更を要求してきたのだ。前校長が決めた内容を踏襲するのが気に入らないらしい。
学校側の卓袱台返しに、粘り強く抵抗した。頑張って軌道修正を試みたが、それが余計に校長の怒りを買った。
「君じゃ話にならないから上司と話をさせてくれ」と言われ、渋々とプロジェクトリーダーの
打ち合わせ後、学校を出たところで再び石見に電話し、お詫びと感謝を伝えた。
『いやいや、本条くんは、悪くないよ。まあ、校長には僕の方からうまく言っておいたからね。まあ、本条くんの気持ちも分かるけどさ。せっかく校長もやる気になっているんだから、多少の言うことは聞いてあげてよ。ということで、後は頼んだよ』
「——はい、すみません……。石見さん、ありがとうございます。いえ、助かりました。では、お疲れ様です」
そう言って電話を切ったが、石見への怒りが湧いてくる。
「——全然うまくやってねーよぉ。どうすんだよコレ、完全にやり直しじゃん……」
はぁっ、と極大のため息をつき「また石見さんの悪癖が出たよ」と、がっくり肩を落とした。
三年先輩の石見は、所属するチームのリーダーを任されている。そしてその正体は、上司にもクライアントにも徹底した〝イエスマン〟。当然、内と外で両立するわけもなく、皺寄せはすべて部下にいく。悪者になるのもサービス残業をするのも、すべて部下。しかし、成果は自分のもの。口癖は「後は頼む」と「うまくやっといて」。部下からは、それはもう嫌われている。
チーム内のフォローは俺の役目だ。ギクシャクしたチーム内の潤滑油となり、メンバーを鼓舞し、率先して作業を手伝う。石見が介入しそうなトラブルに先回りして対処する。本当は今回、校長と石見をしゃべらせたくなかった。痛恨の極みである。
そして現在、わずかに残された気力もカラスに奪われ、ベンチに座り込んでいた。何度目かのため息をついた後、ふと目線を上げ周囲の様子を伺って気づく。
「あ……、ここ、キラキラ男子とコワモテ猫を見た道だ……」
それはつまり〝耳元囁き男〟に遭遇した場所でもある。嫌なことを思い出したな。すると後ろで、カァ、とさっきのカラスが鳴いた。
「おま……、まだいたのかよ……」
もう怒る気力も沸かない。そのとき、ふわっとした細長いものが、視界の下の方に入り込んだ。よく見たら、猫の尻尾だ。猫が一匹、ベンチの前にやってきた。
「あれ? お前、コワモテ猫?」
誰がコワモテ猫だ、と言いたげな顔で茶トラの猫が下から見上げてきている。右へ左へ、目の前をゆっくりと往復しながら、視線だけはこちらに固定されている。まるでガラの悪い不良少年に値踏されているようだ。ちょっと怖い。
猫は背後のカラスに気づいた。今度はカラスをロックオン。カラスも猫のことをじっと見つめたまま微動だにしない。見つめ合う猫とカラス。
「おお、シュールな光景だな……」
そのとき、小さな子どもの声がした。
「タイガ! 遠くに行っちゃダメだよ!」
声の方に目をやると、先日の少年がこちらに駆けてくるのが見える。
「——あ、キラキラ男子くん……」
やはり目の前の猫は、先日のコワモテ猫だったのだ、と納得しつつ「お前、タイガっていうの?」と声を掛ける。猫はこちらを一瞥すると、またすぐにカラスに向き直る。どうもカラスが気になるらしい。
その間に少年が、息せき切らせながら拓海の前までやってきた。
「おじさん、ボクの猫——タイガと知り合いなの? タイガってば、おじさんを見たら急に走り出しちゃって……」
おじさん……。くりり、とした目で興味津々に顔を覗き込んでくる少年。
「待って、おじさんじゃなくてお兄さん……」
不思議そうな顔で小首を傾げる少年を見て、反論は無駄だと悟る。仕方なく少年の質問に答えることにした。
「えーと、君の猫——タイガだっけ? このあいだもここで見かけてね、そのとき、目が合ったらスッゴイ睨まれちゃって……、ははっ、何だろうね。
実は、お兄さんさ、今日仕事でイヤなことがあってね……、だから、タイガが励ましに来てくれたのかな」
「イヤなこと?」と少年は心配そうに尋ねてきた。
「うん、ちょっとね」と苦笑する拓海に、
「おじさん、元気だしてね?」と、少年が両手をこちらに差し出してきた。
な、なんて優しい子! おじさんではないけども!
差し出された少年の手。
その周囲に、
何やらキラキラと光るものが、
ある。
「ん?」
太陽はもうビルの影に隠れており、陽の光が反射しているわけではない。そもそも光を反射するようなものが、手のまわりを漂っているというのは、普通じゃない。
何度も目を凝らして見たが、見間違えではない。半透明の紐状の光るものが数本、少年の手のひらあたりから生えている。ゆらゆらと揺らめく紐状の何かの表面を、光の脈動が血管を流れるように伝っていく。まるで生き物だ。それは〝
そして、その〝光る蔦〟はこちらに向かってゆっくりと伸びてくる。
な、なんか、変なものが見えるんですけどぉ!?
恐怖を感じて、咄嗟に〝光る蔦〟の一本を振り払う。
——パチンッ
と、静電気が走るような痛みが走り、「
少年が無言のまま見つめ合っているうちに、〝光る蔦〟は、先端部からはらはらと風化していくように崩れ、光の粒子となって空気中に消え去っていった。
少し落ち着いてきたが、固まる少年にどう声をかけて良いか分からない。よく見ると、少年の手は小刻みに震えている。
そのとき、少年との間に割り込むように、タイガが横から飛び込んできた。
体を低く沈ませてこちらを威嚇するような姿勢を取る。と思ったら、間髪入れずに地面を蹴り、顔面目掛けてジャンプしてきた。
「ちょ——」と驚きつつ、両手をクロスさせてガードしたが間に合わず、鋭い痛みが頬に走った。
「フゥゥゥッッ!!」と唸りながら臨戦態勢を解かないタイガに、ようやく我に返った少年が「あ……」と小さく声を漏らした。
頬にそっと手を触れる。指先が薄っすらと血で赤くなっていた。タイガはまだこちらを威嚇している。
少年の顔がみるみるうちに青ざめていく。
ダメだ。ここは平気なところをアピールしなくては。
「あ、はは…はっ! び、びっくりしたあ!
なんかオレ、タイガを怒らせるようなことしちゃったかな? ゴメンね?」
「でも、血が——」と少年の目には、涙が浮かんでいる。
「ごめ、ごめんなさい、おじさん……」
「だ、大丈夫だから! こんなの痛くも痒くもないし!
それよりも〝おじさん〟と言われる方が、お兄さんダメージ深いぞぉ?」
「
そのとき、女性の声がした。
いつの間にか少年の真後ろに女性が立っていて、少年の両肩を包み込むようにぎゅっと抱きしめた。少年の母親だろうか。あまりに気配なく突然現れた第三者に驚く。
いつからいました?
栗色の髪をハーフアップにまとめた優しそうな女性だった。が、今は眉間にシワを寄せて、蓮と呼んだ少年を守るように少し前かがみになり、キッとこちらに警戒の表情を向けている。
「あ……、ママ……? タイガが、おじさんのホッペを引っ掻いて……」
蓮の言葉に、俺の頬の傷から血が滲んでいることに気がついたようだ。
「あっ! 大変! す、すみません! ウチの猫が?」
母親が駆け寄ってきて、傷の様子を伺う。
「結構血が出ている……、手当てをしないと……!」
「だ、大丈夫ですっ、このくらい、何でもありませんのでっ」
不意に年上の美人が顔を近づけてきたので、反射的に後ろに身を引いた。
あ、なんかイイ匂い……
一瞬呑気なことを考えながら、顔が近いので慌てて目を逸らす。逸らした目線の先にはタイガいて、目が合った。
スッと横を向くタイガ。目が泳いでいる。
ものすごく気まずそうにしているぅ!
これが漫画だったら、タイガは汗を滝のようにだらだらと流しているに違いない。自分がやらかしたことに気がついたのだろう。オロオロと蓮と母親の様子を伺っている。
「家がこのすぐ近くなので、一緒に来てもらえますか? 消毒しますので!」
「え? いや、そんな、平気ですから、本当に大丈夫です!」
「ダメです! バイ菌が入っているかもしれないので、すぐに消毒しないと!」
蓮の母親、小野寺
「ちょ、ちょっと待ってください! 本当に大丈夫ですから!」
すると、瑞希が掴んだ反対側の手を、蓮がそっと握ってきた。懇願するような目で見上げてくる。
「おじさん……」
これはアカン……
逆らえないパターンである。救いを求めるように、タイガを見る。まったく目を合わせてくれない。
こいつ! 絶対に気づいているクセにぃ!
二人に連行されるように歩き始める。
せめて、〝おじさん〟呼びをやめてもらいたいな……と、現実逃避をしながら。
そして——
そんな三人と一匹の後ろ姿を、フェンスに止まったカラスの黒い瞳が、じっと見つめていた。
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