第3話 え、あたしが裏の聖女ですか!?
その日の夜、あたしはあまりの心的ストレスで、ご飯がこれっぽっちも喉を通らなかった。
結構世知辛い世界だからさ、飯は食べられる時に食べておくべきなのはわかってる。
特にあたしは孤児で、孤児院で暮らす子供なわけで。
小学生の時、お父さんがよく言ってた。
『子供はよく食べ、よく遊び、よく寝る。それが仕事だ』
でも今のあたしは、その仕事すらこなせないくらい、精神的に参ってたのです。
だってさ、生きた心地がしなかったんだもん。
外はお祭りだけど、孤児院は平常運転。どんちゃん騒ぎはもっと上の階級の皆さんのお仕事だから、あたしら庶民には関係なし。
食堂に並んでいるのは、焼いた芋、薄いスープ、硬めのパン。いつものメニュー。
長机をぎゅうぎゅうに囲んで、チビたちが「それ大きい!」「こっちはオレの!」ってうるさくやってる。
っと……喧嘩しそうなチビが二名。
「ほらそこ、喧嘩しないの」
反射的に口が動いた。
パンを二つ抱えているのが、口の悪いクソガキのライ。今まさに泣き出しそうな眼鏡の子がミナ。
「カノンねーちゃん……ライがぁ……」
「ライ。ミナの分まで取っちゃだめでしょ」
「だってよー、先に掴んだのオレだし」
「だからって、他人から奪う悪人になっちゃダメ。あたしのパン半分あげるから、それはミナに渡しなさい」
「はーい」
ライはミナに小さく「ごめん」と謝って、あたしのパンを半分受け取る。
あたしにとっては昨日出会ったばかりの子供たちだけど、こいつらのなだめ方がなんとなくわかるのは、多分、カノン・フィリアの身体の記憶なんだろうな。
「カノンねーちゃん、食わねーの?」
「あぁ……うん、まぁ、食欲がね……」
「変なの。ねーちゃんいっつも皿舐める勢いで食うじゃん」
「あたしそんな奴だったの!? まぁいいや、あげるよ、冷める前に食べちゃいな」
チビ共に自分の分をあげて、あたしはため息をつきながら食堂を後にする。
……よし、ちゃんとねーちゃんやれたよね。
あぁもう、子供の相手って妙に疲れるんだよなぁ。正月にしか会わない親戚の子供たちにお年玉あげる時もめっちゃ緊張してたし、あたしは根本的に子供と相性悪いんだろうな。
夜風に当たろう、そう思って玄関を開けた。
孤児院の庭の向こうから、楽器の音がかすかに聞こえてくる。
夜空には、祭り用の魔法の光が花火みたいに弾けて、綺麗だった。
選定の儀の結果は瞬く間に国中に広がって、リーネは聖剣を引き抜いた剣の聖女となった。
街中お祭りムードだよ。国を挙げてお祝いしようって空気がムンムン漂ってんの。
でもね、あたしだけが知ってる。
リーネは、剣の聖女なんかじゃないってこと。
あたしが、聖剣を引き抜いちゃったってこと。
「あぁぁぁぁあああああああ……どうしようこれぇぇぇえええええ……」
リーネを救うためならなんでもやるつもりだった。
そう、なんでも。世界すら敵に回す予定ではあった。
「でもさぁ……あたしが聖女の役目、奪っちゃうとは思わないじゃないですかぁ……」
今でも、あの時の感覚が手に残っている。
最初に握った段階で、あれ、なんか軽くね? とは思った。
だからってまさか、引き抜けるとは思わなかったけど。
孤児院の壁に寄りかかり、真っ白な満月に向かって手を伸ばす。
あー、やり直したい。そう思えば、満月が段々とリセットボタンに見え始めてきた。
押したら、全部なかったことにならないかな。
……なってくれないよなぁ。
「カノン!」
そんなあたしの妄想は、あたしを呼ぶ銀鈴の音に掻き消された。
声で何となく察してたけど……あたしは、孤児院の門の外に立つ女の子の姿を見て、思いっきり頬を抓った。
いだい……子供のほっぺってすごいね、今結構びよーんって伸びたよ。
門の外に立っていたのは、見紛うことなき最推し、リーネフォルテだった。
あのドレスは脱いだのか、今度は華やかなパーティードレスを纏っている。
見たことない、衣装だった。
え、新ビジュじゃん、新衣装じゃん。
嘘だろカメラ寄越せおい、なんでカメラないんだよこの世界!!
「リーネ、どうしたの?」
「パーティーを抜け出して、会いに来ちゃいました!」
満面の笑みで無邪気に笑うリーネの姿に、ドクン、と心臓が高鳴る。
あー……やっぱ好きだぁ、この子。
スクショしたい。今の一連の表情四方向から一コマずつ切り取って保存したい。
「ちょっと待ってね、今そっちに行くから!」
あたしはそう言って、孤児院を囲う壁を軽くよじ登って向こう側に着地。
そう、カノン・フィリアは魔法適性こそ貧弱のゴミカスだけど、身体能力は異常値っぽいんだよね。
例えるならそう……コントローラーで自分というキャラを操作している感じ。
着地してからリーネのもとに駆け寄る。
彼女の白銀の髪が月明かりに照らされて淡く輝いているように見えて、あたしの心臓が強く脈打つ。
カメラがないなら仕方がない。眼球に焼きつけよう。
「改めて、こんばんは、カノン」
「こ、お、ばんです、リーネ」
「最近のカノン、前よりも面白いですね」
「い、いえ、いや、とんでもない。あはは」
推しを前にすると、あたしはひどく挙動不審になる。
そんなことも気にせず、天使・リーネフォルテは女神のような微笑みをあたしに向けてくれる。その優しさが、疲れた心には超しみる。
そうだ、ひとまずこれを伝えなきゃ。
あたしがぶち壊しちゃった選定の儀だけど、表向きはちゃんと、リーネは聖女になったんだから。
「選定の儀、おめでとう。リーネ」
「え、あ、はい。ありがとうございます!」
リーネは一瞬、何て返せばいいのかと戸惑うような顔をして、またいつもの調子に戻った。
あたし、曇らせはどっちかといえば好きだけど、自分が推しを曇らせんのはなんかやだな。
「聖剣ってどうだった? やっぱ重かった?」
わかりきってるくせに。
「それほどは。握ってみたら、すんなりと」
「へ、へぇー……そうなんだ、軽いんだ」
なんだこれめっちゃ心いてぇ……!
リーネは自分が選ばれていないことを知っているのに、あたしの前で嘘をつきながら強がってる。
そりゃそうだよ。だってリーネからすればあたしは友達で、あたしが先にレーヴァ=ルクスを抜いちゃったなんて知らないんだから。
「ねぇ、カノン」
ふと、リーネがあたしの目を真っ直ぐ見た。
え、ちょ、待って、推しに見つめられるとか、何これあたし死ぬの?
「私、カノンにだけは言っておきたいことがあるんです。誰にも言わないでくださいね」
「は、はひ……」
え、何なにどういう状況ですかこれは?
まさかあれか、無事聖剣を引き抜けたらあたしに告白しようと思ってたとかそういうやつですか。
んなわけねぇだろ、自惚れんな。
リーネはじっと黙っている。何を言おうか、迷っているみたい。
そして、ようやく決心したのか、深く頷く。
「私、実は……剣の聖女じゃないんです」
小さくこぼれるようにリーネの口から飛び出したのは、ある意味で、愛の告白にも匹敵するほど衝撃的な告白。
と同時に、胃がキリキリと痛んできた。
リーネはおそらく親友であるあたしに、真実を語ろうと勇気を出してくれたんだろうけど。
ごめん、リーネ。
聖剣を引き抜いたの、あたしなんだ。
って言えたらどれだけ楽だったことか。
「そ、それは、どういう……」
「どうやら、私が聖剣に触れる前に、何者かがそれを抜いてしまったようなんです。だからほら、私では、これを抜くことができません」
リーネはそう言って、聖剣を鞘ごと持ち出してあたしの前で実践してみせる。
どれだけ引っ張ってもビクともしない。真っ白な鞘は、一ミリも動かない。
胃に、爆弾が投下されたような衝撃がきた。
どどっ、どどどどどうしよう。
改めて見せられると、なおのことつらい、きつい、しんどい。
推しの曇った顔を見るのもしんどいし、何よりそれをもたらしたのがあたしのやらかしってのが尚更胃痛を加速させる。
さっきからずっと、みぞおちの辺りが誰かにきゅーっと掴まれているみたいだ。
リーネが掴んでくれてるなら、あたしはそれで全然構わないんだけどね。
「それでですね、カノン」
「あ、はい」
「私はカノンを信頼しています。だから、嘘をつかずに答えて欲しいのですが……」
「あ、えっと……はい」
一体何を聞かれるんだろう。
わかんないよ。ゲーム本編のリーネは開始時点でもう既に剣の聖女で、世界を背負う覚悟固めた後だったんだから。
リーネの琥珀の瞳がまた真っ直ぐあたしを見る。
心まで見透かすような真剣な眼差し。
大丈夫、安心してよリーネ。
あたしは絶対、推しに嘘はつかないから。
嘘はね。
「これを抜いたの、カノンですよね?」
「……はい」
嘘はつかないと宣言した手前、「いいや違うよ?」と誤魔化すこともできず。
あたしはあっさりと、自らの罪を認めてしまったのだ。
「やっぱりそうでしたか」
だけど、思いの外リーネは冷静だった。
意外だ、という印象はなくて、むしろどちらかといえば、納得しているような反応。
「えと、なんで、わかったんすか……」
「なんでって……昨日、カノンが宣言してくれたじゃないですか」
「昨日?」
昨日……昨日って確か、あたしがこの世界に転生して、リーネと出会って、明日のイベントをどう壊してやろうか考えながら眠った日だよね。
宣言なんて何も───
いっこあったわ。
「『その運命、あたしが全部ぶっ壊してあげる!』って、カノンが言ってくれたんですよ?」
「……そう、みたい、っすね」
言ったわ。
勢いに任せて言ってたわ。
あたしの真似をして声を張り上げたリーネがくっそかわいい。
でもあたしが頷いた瞬間、リーネは少しだけ目を伏せて、寂しそうに笑った。
やめて、その笑い方やめて。
あたしにとってのリーネフォルテの遺影と、全く同じ笑い方してんのよ。
「なんか……ごめん」
絞り出すみたいに、あたしは謝罪の言葉を口にした。
本当はもっと言いたいことがあるんだよ。
リーネが好きだとか、リーネを守りたかったとか、リーネが犠牲になる未来を許せなかったとか。
「謝らないでください、カノン」
リーネはあたしを気遣って首を横に振る。
月明かりで揺れた髪が、さらさらと夜風に踊った。
「私は聖剣に選ばれなかった。それだけのことですから」
リーネはそっと剣の柄を撫でながら言った。
その仕草が、少し名残惜しそうだった。
「ねぇ、カノン。カノンは、私の運命、壊してくれるんですよね?」
「え、あ……うん」
そうだよ。だってあたしはそのためにここに来たんだ。
「考えてみたんです。カノンは聖剣を抜いただけで、私が聖女になること自体は変えなかった理由……私に、偽物の聖女を演じて欲しい。そうですよね?」
推しが賢くて怖い。
なんでその考えに至るのさ。
「わかっています。カノンは恥ずかしがり屋だから、聖女として皆の前に出るのは嫌でしょう?」
はい、めっちゃ嫌です。
あたしが聖女とかムリムリ。コミュ障陰キャのオタクに務まるわけないでしょ。
「でも私が聖剣を抜いて聖女になったら、カノンとは離れ離れ。こうして、人目を忍んで会いに来ることすら難しい……だから私、こう考えてみたんです」
いや、あのさ、ドヤ顔で推理披露してるとこ申し訳ないんだけどね。
目の前の女、そこまで深いこと考えてないよ。
「私が表、カノンが裏の聖女になることで、二人でずっと一緒にいられるんじゃないかって!」
やだ、あたしの推しマジで賢いな!?
そんなの思いつかなかったよ。
なるほどね、表ではリーネが聖女として振る舞うのね。
んで裏、つまり、実際に聖剣を抜かないと対応できないヤバい案件には、あたしがそれとなく対処すると。考えたな、リーネ。
え、でもそれつまり、最前線に送られんのあたしでは?
あ、そっか、まだ深淵の波発生してないんだ。
そりゃリーネもこの国も、楽観的でいられるよなぁ。
ゲームじゃ今から三年後、この国は滅んじゃうっていうのに。
「だから、カノン」
リーネはあたしの両手を掴んで、真っ直ぐあたしを見た。
まさに昨日、あたしが運命ぶっ壊し宣言をした時と同じ構図で。
「あなたを、聖女の守り人として指名したいのです」
守り人───それは、剣の聖女が最も信頼する近衛の名前。
ゲームじゃ、主人公がその実力を評価されて守り人になったところで、事件が起きてプロローグが終わるんだけど。
あたしがまさか、そのポジションに?
「いやいやムリムリムリムリ! リーネの護衛とか責任重大すぎて胃に穴が空くって!!」
こんな至近距離で推しと会話してるだけで幸せなのに、四六時中一緒にいるとか幸せパルスが臨界点突破して爆散する。
それもそうだし、もっと真面目な話すると、何の戦闘能力も持たないあたしがクレストリアの騎士たちを差し置いて聖女の守り人とか、そんなの世界が認めないでしょ。
「だめ……ですか……?」
「やりますやりますやらせていただきます、やるからには全力でリーネを守ると誓うのでどうか末永くよろしくお願いします!!」
推しに嘘はつかないって誓ったもんね。
あたしがリーネを守りたい。その気持ちは、どんな状況だろうと変わらないわけだし。
大丈夫だよ、今から鍛えてレベル上げれば!
あたしにはほら、聖剣もあるし!
……大丈夫、だよね?
でもそんな漠然とした不安は、中心街から聞こえてきた突然の爆発音にかき消されて、夜の闇に消えていった。
「なにが―――!?」
この展開をあたしは知ってる。
ゲームだと三年後のはずなのに、くそっ、そうか、剣の聖女の守り人の決定。それがイベント進行のフラグだったってわけ!?
何故かやれると確信できたパルクールで、建物の屋根に登って中心街を確認。
祭りの中心から、火柱が上がっていた。
ズキリと頭が痛み、まるであたしに目の前の光景を説明するかのごとく、記憶がインストールされる。
逃げ惑う人々、暴れ狂う機械兵器、そして、聖剣を手に立ち向かうリーネの後ろ姿。
ゲームのムービーとは違う映像……だけど今は、そんなこと気にしていられない。
断界機―――ソルファリオ。
クレストリア北方に空いている巨大な大穴。大深淵を監視し続けていた、旧時代の機械兵器。
こいつが汚染されたことで、深淵の波が一気に溢れ出して、世界中を覆っちゃうっていうのが、この物語のチュートリアルで、プロローグ。
神様……まさかあたしに、聖剣を使ってあれを倒せと言うんですか??
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