0-2

 次に目を開いた時、私は自分が見知らぬ場所に寝かされていることに気が付いた。

(うわ、やらかした…)

 おそらく、急性アルコール中毒でぶっ倒れたのだろう。記憶は曖昧だけど、ウォッカの後も小坂井に勧められるがまま何杯か飲んだ気がするし。もう2度と出勤しなくていいと言う喜びではしゃいでいた自覚はあったので。

 何かが頰に貼り付いていると思ったら、最後に入った店のショップカードだった。『居酒屋eto.』、その文字の横に走り書きされた携帯番号とアルファベット。…きったねぇ字だな。見てるだけで頭が痛くなってくる。

 カードを放り出し、重厚な赤い布で囲まれたやたら大きなベッドから起き上がると、丸々と太った子供と真正面から目があった。


「……」

(……いや、ホントびっくりするぐらい丸いな。何このデブガキ)


 彼女は私の向かいのベッドで、同じように身を起こして、正面からまっすぐに私と視線を合わせていた。

 見たところ、小学校の高学年くらいか。

 何故か白いレースがゴテゴテとあしらわれたドレスのような服を着て、頭の上にはなんと天使の輪を模したアクセサリーを付けている。コスプレか?ベッドの上でなんて格好だよ。

 当の本人は、何やら驚いてポカンと口を開けているつもりのようだが、頬肉に圧迫されてひょっとこの真似をしているようにしか見えない。

 白い肌が膨張色として機能しているにしても、太り過ぎである。世界でも食生活がヘルシーと評判なこの日本で、一体どれだけ食ったらそうなるんだよ。ここまでくると、奇抜な服装もあって何となく日本人離れしているように思えてくる……そういや、どこかで見たような顔だな?

 そんな外人風ひょっとこデブ天使が座っているベッドというのがまた大きい。つまり、見たところお揃いな私のベッドも大きい。やたらダダっ広い部屋だなここは。明らかに駅の休憩室ではなさそうだから、病院か。

「あー、あのさぁ、」

 日本語わかる?ここが何処か教えて欲しいんだけど。


 そう話しかけようとした私は二重の衝撃でぎょっとした。


 まず、自分の発した言葉が拙く、やたらと甲高い声で聞こえたこと。…そう、例えるなら幼い子供のような声。

 そしてもう一つは、向かいの子供が、私と全く同じように口を動かしたこと。ただし、『あー、あのさぁ』と、音になった声はひとつだけ。


(…いやいやいや、)


 私が思わず身を引くと、向かいの子供ものけぞる。

 試しに手を振ってみると、子供も手を振る。

 コンマ1秒と違わないその動作、ただ違うのは私が左手を振ったのに対して子供は右手を振っていること。


 それはまるで鏡写しのように。


(待って待って待って)


 私は左手をそのまま自分の頭上にやった。

 向かいの子供が頭上に掲げた右手が、天使の輪の下をくぐる。続いて輪に触れようとした手は、ただ空を切る。触れているのは間違いないのにそこには質感がなく、ソレは白い光の輪として、ブレることなく、ただ頭上に浮いている。ように、見える。

 下ろした自分の左手を見れば、それは白い肌をして脂肪でムチムチに膨らんだ肉塊だった。要するに、私は壁一面の鏡に映った自分の姿を見ていたのだ。


(いや、待って。ほんとに待って)


 コレってあれだよね。転生ってやつだよね。

 しかも私が大の苦手で生涯踏襲することはなかったであろう、悪役令嬢系。


 時代錯誤でファンタジックな異世界で、すでに正統派ヒロインor他の転生ヒロインのライバル的な立ち位置にに転生しちゃって、悪役である以上家でも学校でも疎まれ、ストーリーが進むに連れヒロインと共にあらゆる事件に巻き込まれるものの悪役だから誰にも助けてもらえず、足掻けば足掻くほど状況は悪化し泥沼に嵌った挙げ句、婚約者には公衆の面前で婚約破棄され、最終的には重い冤罪を着せられてギロチンだの火炙りだのやたらグロテスクに処刑される…で、死んだと思ったらまた時間が巻き戻って、前回の結末を回避すべく努力に努力を重ねて暗躍していたら何処からか新たなイケメンが現れ、ソイツとイチャコラしつつヒロインサイドとバッチバチにやり合う系の、アレだよね。


 ……ふッッッざけんなよ‼︎‼︎


 怒りのあまりか、皮膚が泡立つような感覚がする。身の毛がよだつ、とはまさにこのことだった。何だってこの私が。よりにもよって、こんなタイミングで。

 そりゃ、私だっていわゆる“お姫様”に憧れたことが全くないとは言わないし、少女漫画やら乙女ゲームなるものだって多少は通ってきた。

 でもそれは、幼少期〜思春期の話なんだわ。

 大人になった今、本気でその手の世界に転生したいだなんて思うわけねえんだわ。ていうか、私に限らず本気でそう思っている大人なんかいねえだろうよ。

 …まあ、違うという人間も極々稀にいるかもしれないが、考えてもみてほしい。


 まず、私たち“読者”のほとんどは、格差はあれど法治国家のもと文明的な生活を送っているはずだ。社会には秩序というものがあって、犯罪が検挙されるのだって綿密な科学捜査を経た証拠が元で、刑は法律に則って執行される。…権力者に喧嘩を売らない限りは。

 お城のような家でドレスやら宝石やらを身に纏い、イケメンがそこかしこに居るキラキラした世界。そんなものは見せかけだけである。実際には、誰かの悪意によるでっちあげ発言ひとつで、あるひ突然罪人として断罪され、大した捜査も裁判もなく牢獄へ直行するような危険を孕んだ、サバイバルな世界だ。

 そこに夢なんかあるか?

 恋愛におけるライバルの蹴落とし、たかが痴情のもつれで、相手を死に追いやる…そんなことが簡単にできてしまう社会に、秩序も何もあったものじゃないだろ。

 刑の重さだって、ヒロイン側やソイツに取り入られた王子様とやらのの心情一つで変わるんだぞ?で、大抵はソイツらがやたら残機が強いせいで、ただの死刑ではなく、その前座として拷問受ける羽目になる。それを他ならぬ己の家族に高みから見物を決め込まれる、あるいは大衆の面前で見せ物にされる、もしくはその両方という地獄。そんな地獄が、個人の裁量で簡単に成立するような環境そのものがまず劣悪すぎるだろ。

 で、そんな目にあったら普通、幼少期に巻き戻って二周目の人生が始まったとて、トラウマで恐慌状態に陥るだけだろ。復讐に燃えながら色々画策して逆に相手の罠を逆手にとって華麗に暗躍した挙句、今度こそ幸せになりまぁす!…なんて、気概はどこから湧いて来るの?一度でも残酷な拷問&死を経験した後で、自分がそこまで正気を保っていられるとでも?それとも、別の世界から来た自分は特別だって自信があるの?私はねえよ。自分を現実的に、客観視できる性分なんでね。

 だいたい、日頃から兄弟・姉妹は常にマウントの取り合いでいがみ合い、結婚相手のステータスでコロコロ立場が変わるような社交界とか不安しかないだろ。まあ、だからこそ、少しでも自分の幸せやら立場を確固たるものにするために…と必死になるのはわかるが、ライバルを退場させるにしてももっとスマートなやり方があるよね?それとも実は現代でも、己の所業がバレる危険さえなきゃライバルを殺してでも男を手に入れる、そんな前提でみんな恋愛してるわけ?違うよね?

 令嬢という立ち位置になった途端、人間っていちいち気に入らない相手の血を見なきゃ気が済まなくなるもんなの?ほとんど殺し合いじゃねえか。サバンナじゃねーんだから。いくら煌びやかなドレスを身に纏ったとて、思考がほとんど獣のソレである。そんな危険人物が跋扈してる世界なんてこっちから願い下げなんだわ。隙あらば気に入らない相手を嵌めようと、虎視眈々狙っているサイコキラーの隣で怯える(もしくは張り合う)人生を過ごすなんて、私はごめんである。そんな世界、生きてるだけでしんどいわ。おまけに何処もかしこも汚えし。

 というのも、令嬢モノの舞台はいわぬる中世ヨーロッパの貴族社会をモデルにしてるわけだけど、あの時代はトイレなんてものがまず無いからね?キラキラのドレスの下で糞尿垂れ流しだからね?

 繰り返すようだが、私は他人のクソもゲロも見たくないし、見られたくもないのである。


(…よし、死のう)


 私は絶望し、潔く死を決意した。

 この外見からして、負けが(少なくとも1周目は)確定した令嬢でであることはまず間違い無いはず。はい、最低。

 なら、面倒なことに巻き込まれないうちに、さっさと死んでしまうにかぎる。

 重い体を引きずるようにしてベッドから降り、やたら重厚なカーテンを開け放つと、強烈な日差しが目を焼いた。

(よし、高さは十分だな)

 私が住んでいたアパートのエントランスくらいある窓を開け放つと、熱気を孕んだ空気と共に騒音が押し寄せた。どうやらそれは蝉の声で、季節は夏真っ盛りらしい。

 …へえ、異世界にも“蝉時雨”ってあるんだな。

 ほんの少し違和感を覚えたものの、善は急げだ。鉄棒の要領でなんとか窓枠に身を乗り出したところで、ノックの音がした。そして、私が返事をする間もなく扉が開けられ、現れたのはワゴンを押したメイドだった。正確には、メイド服を着た小太りメガネの中年おばさんである。


「…っ⁉︎リツカ様…‼︎」


 はい、と咄嗟に返事ができたのは、私の名前もまた“リツカ”だからだ。おばさんは何やら必死に「危ないですから」「早く降りてくださいませ」だの早口で捲し立てているのだが、私はワゴンの上に置かれたあるものに釘付けにだった。

 ワゴンの上にはホテルのビュッフェもかくやという料理が並べられていて、如何にもご令嬢のお食事、という感じ。でも、その中にどう見ても場にそぐわないもの一つがあった。

 電気ケトルだ。

 動かない私に焦れたのか、おばさんは私を抱き抱えるようにして窓枠から引き剥がしにかかった。

「さ、せっかくご自分で起きられたんですから。お食事の前に、顔を洗ってらっしゃい」

 笑いかけてくるその顔とハキハキとした物言いに、ひどく既視感があった。

「……リツカ様?」

 そうだ。私が知っている彼女の顔は、もっと老けていたはずだ。その顔を私はつい数時間前、居酒屋のテレビの中で目にしていた。藤宮家の関係者にして、使用人の中でも古株の1人。記者会見で、口の重い両親の代わりに喋るのは、だいたいこの人の役目だった。「…田代さん」

「はい」


 …なるほど。

 つまり、今の私は藤宮律花ふじみやりつかの成り変わりってわけだ。

 ならば時は平成。

 命を狙われる不安な立場であることには変わりないが、とりあえず最低限の衛生環境は確保されたわけである。水洗トイレ万歳。


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