黒天使様は“ケイコク”する

@min-asakura

プロローグ 子豚の目覚め

0-1



 フリージア家の子供達の明るい未来は約束されていたはずだった。

 長男、次男は眉目秀麗、頭が良くてスポーツ万能。揃って名門校を卒業したのち、王家付きの要職へ。

 末の娘はまだ幼く、病気がちで引っ込み思案ではあったがその優しい性格が評判で、噂では王家の次男の婚約者とされていた。


 そんな娘がある日、失踪の末謎の死を遂げる。その死は人間業と思えないほど不自然な状況だった。王家を含め、たくさんの容疑者が浮かぶ中、何故か容疑者候補にすら上がっていなかったフリージア家の使用人の1人が突然自殺(?)してしまう。一つの謎から連鎖する謎、何かを隠す容疑者たち、妹について不自然なほど関心を見せない兄たち。

 事件を調査するのはと王家次男の“本当の”婚約者にして商家の娘・ローズ。自らも容疑者として疑われながら、フリージア家の闇を暴き事件の真相解き明かす異世界ミステリー。



「…みたいな感じなんですけど」

「んー、せっかくなら魔法やモンスターも登場させません?」

「いや、ミステリーとして成立しないでしょソレ」

「ですよね」

 担当編集の小坂井は苦笑して、プリントされた紙の束を引っ込めた。

 と思ったら再びそれを差し出して、

「では、いっそのこと転生令嬢モノにするというのは」

「……」書くわけないだろ。

「ですよね」

 私の無言の微笑みを受けて、小坂井は今度こそ紙束を引っ込めてカバンに突っ込んだ。既に他の紙束で膨らんだカバンは、薄ピンク色で柔らかい革製なのも相まって不恰好に歪んだ子豚の死骸に見えた。実に持ち辛そうなカバンである。

「とにかく、来週までに企画書だけでも何本か挙げて欲しいんです。できれば、そう、新ジャンルで」

「先に出したやつではダメですか」

「んー…少々、地味ですね。普通の長編ならまだしも、今回はシリーズモノを考えているので」

 最低でも3巻は出したい、と小坂井は指を立てて見せた。そのままその手がカウンターに置かれたお猪口…を通り越して、徳利に伸びていく。

 まさかと思いつつ見守っていると、小坂井は豪快に煽って見せた。

「というわけで、異世界の転生令嬢モノでどうですか」

 結局言いたいのはそれか。うーん、と考えるフリをしつつ、無いなと思っていた。

 そりゃ、書こうと思えば書けるとは思う。そのための参考図書なら巷にいくらでもあるから、適当に何冊か読んでみて、設定を織り交ぜて名前も変えて、それっぽく仕上げればいいのだ。

 正直、どれも似たり寄ったりだしな。まあ流行っている以上は、売り上げはある程度保証されるから安全パイなんだろうけど。

 でも。


(シンプルに苦手なんだよなぁ、あの手の話は…。)


 ネットには異世界令嬢モノの漫画、小説が溢れるほどあって、ひとたびスマホをひらけば見たくも無いのにその手の広告が目に飛び込んでくる。おかげで読む前からこちらは食傷気味だ。

 そもそも、今回の企画の草案を考えるにあたってミステリーの舞台をわざわざ異世界にしたのだって、『異世界モノを書け〜異世界モノ〜』と遠回しに周波を送ってくる小坂井に根負けした形である。

「転生がダメなら、成り変わりでも良いですよ」

 その2つはほぼ同じだろうよ。

「書いてくださいよ。つい先日3年付き合ってた彼氏に浮気されたこの私に免じてお願いしますよ」

 おい突然重いプライベートをぶっちゃけるんじゃない。だいたい編集者のくせに会話に脈絡がないってどうなんだ。

 結局、そこからは打ち合わせも何もあったものではなく、1人で次々とお酒を飲み干す小坂井の元彼の愚痴を聞くだけで夜は更けていった。さては、今日“打ち合わせ”と称してわざわざオシャレな居酒屋街を指定してきたのもヤケ酒をするためだな?

 私はというと、柚子サワーを一杯飲んだだけである。「そういえば明日も平日だから先生は仕事ですよね?」「いえ、会社の方は本日付で退社しましたよ」「エッ!…寿退社ですか?」「んなわけ…これからは執筆業に専念しようと思って」「ついに専業作家になるんですね!めでたいじゃないですか!今夜は飲み明かしましょう‼︎」という会話を経て、乾杯する流れになったからだ。

 そして、私が時間に余裕があると知るや否や、小坂井はいよいよ常軌を逸した飲みっぷりを披露し始めた。店を三軒ハシゴしたあたりからだいぶ呂律は怪しくなっていたが、この店に辿り着いた時点ではまだ会話は成立していたのだ。

 ところが何を思ったか店員の顔を見るなりウォッカを注文し、勢いで3分の2まで飲みしたところでトイレに駆け込んだ。今頃便器と仲よししている事だろう。ちなみに彼女が最後に発した意味のある言葉は「ヤバい。上からも下からも全部出そう」。それ以降は嗚咽と呻き声が延々と薄い扉越しに聞こえてくる。全く、トイレの近くの席に座るんじゃなかった。ちょうど水を持ってきてくれた店員にも聞こえたらしく、あからさまに引いた顔をしている。

「あの、お連れ様は大丈夫なんですか」

「いつものことですから」知らんけど。

「でも、動けなくなったりとか」

「ちゃんと便器まで自力で歩いていきましたから」

「……オレが、見に行きましょうか」

 ふむ。「なんでアンタが付いててやらないんだ」という言葉が透けて見える言い方だ。

 いくら同性といえど、他人のクソもゲロも見たくないし、見られたくもないだろ普通。もっとも、こんな時間まで開いてる店で店員やってるアンタは慣れているんだろうが。むしろ、好きだったりして。

「…実は彼女、プライベートで色々あったみたいで。今は1人にさせてあげてください」

 そもそもいくら傷心中だからといって、ただの仕事関係者の前で正体をなくすまで飲むのが悪い。本当に動けなくなったらスマホで呼ぶなりすれば良いし。とはいえ、さっきから呻き声が聞こえなくなったので一度見に行こうと思っていたら、あっさり扉が開いて小坂井が出てきた。何事もなかったかのようにカウンター席に腰掛け、私が頼んだ水を奪って飲みほし、「それで、長編の企画ですけど」と急に編集者の顔に戻った。おもしれー女。そういうとこ、嫌いじゃないよ。

「さっきいただいた草案って、アレですよね。藤宮家がモデルですよね」

「わかりますか」

 まあ、わかるわな。藤宮家→フリージア家ってのは我ながら安直すぎたと思うし。

 事件からおよそ15年も経過した今年になって何やら進展があったらしく、世間では藤宮家のことで話題沸騰中である。

「なら、実際の事件について詳しく知らないといけませんね」

「…まあ、あくまでモデルにしただけで創作なので」

 取材とかめんどくさい。

「んーでも、今回はシリーズモノですから。一貫して同じ事件を扱うとしても、せめて上・中・下編で、もっと複雑で派手なプロットにしないと。犠牲者が1人や2人出たぐらいじゃ盛り上がりませんからね」

 言い方。

「そういった意味でも、藤宮家をモデルにしたのは目の付け所が良いと思います」

「…え?」

 小坂井の目はすっかり酔いが醒めたらしい人のそれで、理性的で鋭かった。

 その鋭い視線が、カウンターか斜め向かいの棚に置かれた小型テレビに向く。

 それは早朝のニュース番組で、まさにこの瞬間、藤宮家の話題に切り替わったところだった。これは驚いた。もうそんな時間になっていたのか。

 画面ではちょうど数日前の記者会見の振り返り映像が流れていた。

「確か、つい最近息子さんの1人が亡くなったんですよね」

 名前は忘れたけど。はて、そもそも亡くなったのは長男だったか次男だったか。私がかろうじて覚えているのは最初に亡くなった娘の名前だけだ。

 記者会見のテーブルには藤宮家の人間だけでなく、血縁関係のなさそうな人間も座っている。藤宮家のベテラン使用人だという老婆はともかく、内田って誰だよ。如何にも綺麗どころという雰囲気(そう、あくま“雰囲気”というのがポイントだ)を出している女だからか頻繁にカメラがフォーカスするものの、被害者について大した情報を持ってないらしく、話の内容が薄い薄い。

 客の1人が文句を言ってテレビの音量が下げられ、女の声が完全に聞こえなくなったところで「あの家は」と小坂井が口を開いた。

「昔からどこかおかしかったんですよ、本当に」

 何その意味深な発言。別に知りたくもないと身体ごと背けて目の前のグラスを煽って「…ぁえ"っ」喉がカッと熱くなった。


「藤宮家の周りは、最初の事件が起きるずっと前から不穏でしたから」


 まるで見てきたように言うじゃん。どうした小坂井。厨二か。茶化す言葉は声にならない。喉が焼けた。てか、現在進行形で燃えてる。今喋ったら口から火ィ吹くかも。視界が回って、体が傾いで、落としそうになったグラスを慌てて掴む。…あ、これ小坂井のウォッカじゃん。 


 瞼が一気に重くなる。

 ゆっくりと瞬きをするたび、景色が変わっていく。


 音の無いテレビの中で熱心に喋る老婆、その隣で泣く母親らしき女性と、太った子供のピンぼけ写真。

「子供の頃から今の私の2倍くらいありますね。女子なのに」


 無表情で目は虚ろな廃人同然の父親と思しき男性、視界を遮る青いグラスと低い男の声。

「チェイサー挟んだほうがいいッスよ」


 青いグラス越しに見える若い男はまるでゾンビのよう。

「たしか実の兄妹じゃなくて、養子らしくて」


 天井からぶら下がるオレンジ色の電球、その光を反射する窓の外の朝焼け。「違う違う、次男の方は実の息子。で、さらに下に1人いたんスよ、ソイツが…」


 ローファーを履いた自分のつま先。

「先生、ホントにタクシー呼ばなくていいんですか?」「あ、待ってこれもし良かったら。俺の連絡先ッス」


 早朝の電車はガラガラで、その車両には私と小坂井しかいない。電車は緩やかにホームに停車しようとしている。「じゃあ先生、あとで藤宮家の資料を送りますんで」


 車両間の扉が開き、小走りで近づいてくる誰かのヒールの足音。「……先生?」電車を降りようとしていた小坂井がふと振り返って訝しげな表情をして、

「……?」

 瞬きを一つ。

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