第32話 真実 (1)

車に乗り込むと、後部座席が一列分空席になっている事に気が付く。

三時間程前には埋まっていた席が空くなんて想像もしていなかった。


「それで中村さんが二人を殺害したと言える根拠はなんでしょうか?」


成瀬がエンジンをかけたと同時に薬師寺は急かすように問いかける。


「今日、ここに来るのを知っていたのは我々と中村さんだけです。我々の中に久保田さんを殺害した人がいないなら、消去法で中村さんが犯人という事になります」


成瀬の説明では薬師寺は納得していないようにみえた。


「でも、中村さんが久保田さんを殺す理由はないのでは?私達は昨日初めて中村さんに会ったんですよ」

「それは恐らく…昨日久保田さんが言った『マウスの選定』がきっかけだと思います」


昨日、久保田が酔っ払っていた時に言った言葉だ。

あの瞬間は確かに空気が張り詰めた感じがした。


「昨日はその言葉を理解できませんでしたが、あの実験室を見ればその意味は分かります」


成瀬は助手席に座る清水を横目に見た。清水は大丈夫だと言うように、コクリと頷いた。


「あそこに集められた人達は久保田さんが仲介していたんでしょう。あの中に中村さんの知り合いがいるなら、久保田さんに対して殺意が湧いてもおかしくありません」


一条希美も久保田とどこかで出会っていたのだろうか。あんな男についていく前にどうして相談してくれなかったのか。そうすれば死ぬ事なんてなかったのに。

次第に久保田への憎しみが湧いてくる。もし中村が久保田を殺したとしても、彼を責める事はしないだろう。


「それともう一つ、黒岩先生の殺され方です。あそこにある遺体は全員首を切られていました。切った理由は首輪を外すためだと思います」


首輪にはGPSが仕込まれている。

研究室を隠しているとはいえ、詳しく調べられたらすぐにバレる。

研究を続けるためにも、受刑者の居場所を知られる物を身に着けたままにはできなかったのだろう。

あまりに利己的で非人道的だ。


「黒岩先生も同じ様に首を切られていましたが、そもそも黒岩先生は首輪をつけていません。だから首を切る必要はない。それでも犯人は首を切った。あれは報復に近い殺し方です。それに、犯人は古賀みどりさんを持ち去っている。恐らくそれが黒岩先生を殺した動機に関わっていると私はみています」

「中村さんと古賀みどりさんに何か関係があるって事?」

「たぶんな。そこから先はまだ仮説だから、本人に確かめたいところだが…」


成瀬の歯切れが悪くなった。口振りからして、今は話すつもりは無いようだ。


「中村さんに二人を殺害する動機があるのは分かりますが、全て状況証拠じゃないですか?」


座席に深くもたれかかる只野が横槍を入れた。


「もう二つあります。一つは机の塩です。あれは恐らく海水の塩だと思います」

「海水?」

「黒岩先生が精密機器の近くに塩を置くなんて思えません。塩は機械の故障に繋がる可能性があるからです。あんな危険な実験を行っている黒岩先生が、塩分を含むものをパソコンの傍に置くことは考えにくい。それに、あの塩はかなり小粒で少量でした。塩自体をこぼしたわけじゃない。そうなると可能性として挙げられるのは海水です。机についた海水の水分が蒸発して塩だけが残った」


中村は普段から釣りをすると言っていた。釣り具が海水に濡れてもおかしくはないという事か。


「最後に物理的な時間。黒岩先生の死亡推定時刻は二十四〜三十六時間前です。つまり、昨日アリバイが証明できない人物が犯行に及んだ事になります。しかも犯人は黒岩先生の首を切り、古賀みどりさんの遺体をどこかに運ぶ、という相当な時間がかかる事をしています。そんな余裕がある人は街にはいません。仮にいたとしても久保田さんを殺害はできないはずです。もちろん昨日ずっと一緒にいた我々にも黒岩先生は殺せない」


この点については皆納得しているのか黙って聞いていた。

成瀬は話を続ける。


「要するに黒岩先生と久保田さんを殺害できる人物は中村さんしかいないんです」


直接的な証拠はないが、状況的には中村が犯人だと示しているように思えた。

もちろん容疑者が何人もいる場であれば、中村を犯人として追及するのは難しいかもしれない。

だが、今は非常時だ。まともに動ける人間自体がほとんどいない。

これだけの証拠が揃えば、中村が犯人と問いつめるには充分だろう。

しかし、本当に中村があんか残虐な行為をしたのだろうか。

昨日突然押しかけてきた面々にも、嫌な顔一つせず、もてなしてくれるような人だ。

半信半疑ではあったが成瀬の話に説得力があったのも間違いない。

だが、彼が殺人をしたかどうかは正直どちらでもよかった。

一条希美がいなくなった今、生への執着は薄まっていた。

仮に生き延びたとしても、やりたい事も行く所も無くなってしまったのだから。


中村の自宅が見えてきた。

日の下に照らされた家は、傷みが激しく今にも崩れそうだった。

昨日と同じように玄関前に車を停めると、成瀬は中に向かって呼び掛けた。


「ごめんくださーい!」

「あれ、どうされました?」


中村は玄関からではなく、昨日眠った部屋の縁側から顔を出した。

そのまま下駄を履くと、こちらに歩み寄る。


「実は黒岩先生のお宅へ伺ったんですが、もう既に亡くなっていました」

「えぇ!そんな!」


清水には中村の反応がわざとらしく感じた。

中村は成瀬の背後にも目を向ける。


「湯村さんと久保田さんは車の中ですか?」

「…湯村さんはゾンビ化してしまいました。久保田さんは殺されました」

「そうですか…。湯村さんに襲われてしまったんですね」

「いえ、彼は殺されました。胸にナイフが刺さっていたんです」


中村は明らかに動揺しているようにみえた。これも演技なのだろうか。

そうだとするなら大した演技力だと感心する。


「誰がそんな事を…」

「それで少しご相談したいのですが…」

「え、ええ、どうぞ。上がってください」


昨日と同じ部屋に通された。

四対一のように向かい合って座る。

中村は淹れたお茶を配り終えると、自分の分を一口飲んだ。


「それでお話というのは?」

「単刀直入に言いますと、黒岩先生のピルケースを渡していただきたいんです」

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