第31話 地下 (2)

上げ蓋から顔を出した成瀬の目に最初に映ったのは大きな幹だった。

左右を眺めた時に、ここが庭だと分かった。

恐らくこれは黒岩の緊急時の脱出路だったのだろう。

成瀬は蓋を開けっ放しにして梯子を降りた。


「どうだった?」


日差しに照らされた清水は成瀬に尋ねる。


「この先は家の庭に続いているだけだった」

「そう…」


まだ黒岩の秘密の部屋があるのかと期待していたが、さすがにそこまでの用意は無かったようだ。

ワクチンが見つからない、という事は皆の死が刻一刻と迫ってきていた。

暫く沈黙が続いたが、只野がその静寂を打ち破った。


「私の報告をしていいですか?」


そういえば只野が調べた成果を聞いていなかった。


「黒岩先生のパソコンがあったので調べてみましたが、データは初期化されていました」

「初期化?」


来た道を引き返し、元の隠し部屋へ戻る。

ワクチンが無いという現実を今更受け止める事ができないまま、只野の後ろをただついていった。

部屋の隅に黒岩のデスクトップパソコンが置かれていた。

只野が電源を入れると、初期設定画面が現れた。

確かにデータは消されているようだった。


「専門家が見れば復元できるかもしれませんが、現状だと難しいです」

「そうですね。でも、どうしてデータを消したのか…」

「犯人にとって都合が悪い事があったんでしょうか」

「黒岩先生が消したとは思えないですよね。死ぬ間際になったら、表沙汰にならないように消すかもしれませんが」


清水はふと処方箋の事を思い出した。


「あ」

「どうした?」

「あ、いや、黒岩って人、何かの病気だったみたいって言うの忘れてたなって」

「病気?」


成瀬は清水が探した付近に行くと、机にある処方箋を手に取った。


「清水さんが言ってた処方箋、これは不整脈の薬だ」


成瀬はにやりと笑う。何がそんなに嬉しいのだろうか。

黒岩が病気だったからといって何だと言うのか。


「何笑ってんの?」

「そりゃあ笑うさ。まだ希望はある」

「希望?」

「ああ、不整脈を患っている人は肌見放さず持っていないといけない物がある」

「持っていないといけない物?」

「ピルケースだよ。突発的な発作を抑えるために常に薬を持ち歩いていたはずだ。でも、彼の持ち物を探したがそんな物は見当たらなかった」

「犯人が持ち去ったって事ですか?」


薬師寺が言った。


「ええ、その可能性があります」

「だから、申し訳ないが皆さんの荷物を確認させてほしい。清水さん以外は身体検査もしましょう」


成瀬の視線が一瞬向けられる。

清水以外は全員男性だ。女性の身体検査はやり辛いという事だろう。


「私もやるよ、別に。疑われたままでいたくないし」


持ち物は全員机の上に並べた。

只野はナイフ、財布、小型ラジオ、イヤホン。

薬師寺は成瀬からもらったブラシの他、コンパス、腕時計、ボールペン。

成瀬は鉄パイプ、ボールペン、虫眼鏡、折りたたまれた紙、ライター。紙の中身は昨日見ていた一条希美の資料だろう。

清水は虫よけブレスレット、ハンカチ、ガムテープ、カッター。

皆、比較的身軽な装いの為、持ち物が少ない。

ピルケースを持っている人も、不審な物を持っている人もいなかった。

続いて、各自の服のポケットの中身を調べる等、簡単に身体検査を行ったが、この場にいる誰もピルケースは持っていなかった。

黒岩も持ってない、家の中にも無い、誰もワクチンを持っていない。

もうこれ以上どこを調べればいいというのだろうか。

一条希美、久保田、黒岩と次々と死体となって現れた。

頭がおかしくなりそうだ。

清水はもう何も考えられなかった。いや、考えたくなかった。


「これは…」


成瀬はパソコンが置かれた机を指でなぞると、指同士を擦り合わせていた。

よく見ると、その指から白い粉が僅かにこぼれる。

虫眼鏡を取り出すと、その粉をじっと見つめていた。

すると突然、粉のついた指をペロリと舐めた。


「ちょっと!?」

「…塩だ」

「塩?」


何故こんな所に塩があるのか疑問だった。

黒岩の実験に使用したのだろうか。

成瀬は塩のついた指先をじっと見つめると、三人に向き直る。


「ピルケースは中村さんが持っている可能性があります」

「え、なんで中村さんが?」

「中村さんが持ってると確信があるんですか?」

「はい、向かいながら説明します」


ここまで自信に満ちた成瀬を否定する者は誰もいなかった。

タイムリミットは残り五時間。

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