第10話
筋肉の国へようこそ
ルミナス帝国を出発してから馬車に揺られること数日。
国境の険しい山脈を越えた先に、その国はあった。
ガルーダ獣人国。
大陸最強の軍事力を誇る、武と筋肉の楽園である。
「……野蛮ね」
「野性的、と言ってくれ」
馬車の窓から外を眺めていた私が漏らした感想に、向かいに座るレオが苦笑いで返す。
首都の景観は、ルミナスの洗練された石造りの街並みとは対極にあった。
巨石を荒っぽく積み上げただけの家々。
舗装されていない土の道路。
そして、行き交う住民たちのサイズがおかしい。
道端で立ち話をしている熊耳族のおばちゃんでさえ、私の二倍は横幅がある。
子供たちが遊んでいるのはボールではなく、自分より大きな岩だ。
「ヒィィ……! スカーレットさん、あそこの人たち、挨拶代わりに頭突きしてますよぉぉ!」
「見てみぃリーザちゃん。あの屋台、肉しか売ってへんで。野菜ゼロや。エンゲル係数どうなっとるんや」
リーザとニャングルが震え上がっている。
確かに、ここは私たちの常識が通用しない場所のようだ。
「着いたぞ。ここが俺の城だ」
馬車が止まったのは、巨大な岩山をくり抜いて作られた、要塞のような王城の前だった。
広場には、すでに王の帰還を出迎えるために、数千人の兵士や国民が集まっていた。
扉が開く。レオが先に降り立つと、地鳴りのような歓声が上がった。
「ウオオオオオッ!! 我らが獣王陛下の帰還だァァァッ!!」
「陛下ァ! 留守中にベンチプレス200キロ達成しましたァァ!」
「俺の筋肉を見てくださァァい!!」
黄色い歓声ならぬ、茶色い怒号。
暑苦しい。気温が五度は上がった気がする。
「……よし、お前らも降りてこい」
レオに手を差し伸べられ、私が恐る恐る馬車から降りた、その時だった。
「陛下ァァァッ!! ご無事でェェェッ!!」
ドガガガガガッ!!
猛牛のような勢いで、一人の巨漢――全身傷だらけの虎耳族の男が、レオに向かって突進してきたのだ。
殺気はない。だが、物理的な質量がダンプカー並みだ。
(あぶなっ!?)
私が悲鳴を上げる間もなく、レオは片手でその突進を受け止めた。
ズドンッ!!
衝撃波で周囲の砂煙が舞う。
「……相変わらず暑苦しい挨拶だな、ゴルゴム将軍」
「ハッハッハ! 王への敬愛は、言葉よりタックルで示す! これがガルーダ流であります!」
将軍と呼ばれた男は、豪快に笑ってレオの肩をバンバン叩いた。
どうやらこれが、この国の「お辞儀」らしい。命がいくつあっても足りないわ。
と、そこでゴルゴム将軍が、レオの背後にいる私に気づいた。
彼は太い眉をひそめ、あからさまに値踏みするような視線を向けてくる。
「む? 陛下、その後ろの……小枝のような生き物はなんですかな? 非常食ですかな?」
「ひ、非常食じゃないわよ! 失礼ね!」
私が抗議すると、広場にいた獣人たちがざわめき出した。
「おい見ろよ、腕なんか木の棒みたいだぞ」
「一発殴ったら折れちまいそうだ」
「なんで陛下はあんな『弱き者』を連れて帰ってきたんだ?」
嘲笑、憐憫、困惑。
力こそ正義(ジャスティス)のこの国において、戦闘力皆無の私は、道端の小石以下の存在らしい。
ニャングルなんて、すでに私の影に隠れて気配を消している。
(……アウェーね。完全に)
私が唇を噛んだ、その時。
ふわりと体が浮いた。
「きゃっ!?」
視界が高くなる。
気づけば私は、レオの太い腕の中に抱き上げられていた。
いわゆる、お姫様抱っこだ。
「レ、レオ!? 何して……!」
「じっとしてろ。この人混みをお前の足で歩かせたら、圧死する」
レオは小声でそう囁くと、キッと広場の民衆を睨みつけた。
「静まれェッ!!」
ビリビリと空気が震える。
王の咆哮(スキル)一発で、騒がしかった数千人の獣人たちが直立不動になった。
「紹介する! この者はルミナス帝国より招いた俺の賓客(パートナー)、スカーレットだ!」
レオの声が朗々と響き渡る。
「彼女は『知恵』と『文化』という、我らにない武器を持つ強者だ! 俺の隣に立つに相応しい女として、丁重にもてなせ! ……もし彼女に手出しする奴がいれば、この俺が直々に沈める!!」
シーン……と静まり返る広場。
獣人たちは目を丸くして、レオの腕の中にいる私を見つめている。
「へ、陛下がそこまで仰るとは……」
「あの女、そんなに強いのか……?」
「いや、物理的には弱そうだが……」
困惑は消えていないが、侮蔑の視線は消えた。
レオは満足げに頷くと、私を抱いたまま王城への階段を登り始めた。
「ちょ、ちょっと! もう降ろしてよ! 恥ずかしいじゃない!」
「いいだろ、減るもんじゃないし。……それに、こうでもしないと、お前すぐに他の男に潰されそうだしな」
レオはニカッと笑う。
その胸の鼓動が、背中越しに伝わってくる。
守られている安心感と、大勢に見られている羞恥心で、私の顔はきっと茹でダコみたいになっているはずだ。
◇
その夜。王城の大広間で歓迎の宴が開かれた。
テーブルに並んだのは――肉。肉。そして肉。
野菜も飾り付けもなく、ただ巨大な骨付き肉が、ドン! ドン! と山積みにされている。
「……ワイルドね」
「味付けは塩のみだ。素材の味を楽しんでくれ(意訳:料理技術がない)」
レオが申し訳なさそうに耳を垂れる。
私はナイフとフォーク(これも無骨な鉄製だ)で肉を切り分け、口に運んだ。
……硬い。ゴムを噛んでいるようだ。
そして味がない。肉自体のポテンシャルは高いのに、調理法が雑すぎて全てを台無しにしている。
周りを見渡せば、獣人たちは手づかみで肉を食らい、酒を浴びるように飲み、そして「力がみなぎってきたァ!」といきなり取っ組み合いの喧嘩を始めている。
食事を楽しむというより、ただのエネルギー補給だ。
「スカーレット様……ワイ、胃もたれしてきましたわ……」
「お野菜……サラダが食べたいですぅ……」
ニャングルとリーザが死んだ魚のような目をしている。
確かに、ルミナスの洗練された文化に慣れた身には、この環境は過酷かもしれない。
だが。
私はフォークを置き、口元の脂を拭きながら、静かに笑みを浮かべていた。
「……ねえ、レオ」
「ん? どうした、口に合わなかったか? すまんな、すぐに俺が厨房に入って作り直して……」
「ううん、違うの」
私は広間で暴れまわる筋肉質の男たちと、退屈そうに肉を齧っている女性や子供たちを見渡した。
「ここには何もないわね」
「ああ。言ったろ、筋肉しかないって」
「美味しい料理も、繊細な服も、心を躍らせる音楽もない。……つまり」
私はワイングラス(中身はただの濁酒)を掲げ、不敵に宣言した。
「ここは『ブルーオーシャン(未開拓市場)』よ。競合他社はゼロ。私たちが持ち込むラーメンも、アイドルも、マグナギアも……すべてがこの国にとって『衝撃(イノベーション)』になるわ」
私の言葉に、レオがポカンとし、やがて嬉しそうに口角を上げた。
「ハハッ! さすが俺の相棒だ。この状況で『商機』を見出すとはな」
「当然よ。覚悟しなさい、レオ。貴方の国を、骨の髄まで『文化』漬けにしてあげるから」
私の目には、金貨の山と、ペンライトを振って熱狂する獣人たちの未来図がはっきりと見えていた。
そう、この時はまだ思っていたのだ。
ここには「競合」はいないと。
だが、宴の扉が再び開き、凛とした声が響き渡った瞬間、その目論見が甘かったことを知る。
「――遅くなりました、獣王陛下! 北部遠征より戻りました!」
現れたのは、鋭い虎の耳と、しなやかで強靭な肢体を持つ、美しい女戦士。
彼女の視線が、レオの隣に座る私を射抜いた。
「……して、陛下。その貧相なメスは、何者ですか?」
バチバチと火花が散る音が聞こえた気がした。
筋肉の国でのビジネスは、一筋縄ではいかないようだ。
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