第3話

謎の大富豪は同郷人

「……つゆだくが、お好きですか?」

 私が放ったその言葉は、VIPルームの空気を完全に凍りつかせた。

 ニャングルが「は? つゆ……なんやそれ?」と呆けた声を出し、リーザが私の背中に隠れる。

 だが、目の前の獣王――レオの反応は劇的だった。

 彼はガタリと音を立ててソファから立ち上がると、猛獣のような速さで私の目の前まで詰め寄ってきたのだ。

「ひっ!」

「……おい、女」

 レオの顔が至近距離にある。

 黄金の瞳が、私を射抜くように見つめている。

 怖い。食べられる。物理的に。

 私が死を覚悟したその時、彼は震える声でこう囁いた。

「紅生姜(ベニショウガ)は……?」

 私はごくりと喉を鳴らし、反射的に答える。

「……山盛りが、ジャスティス」

「生卵は?」

「必須です。途中で溶いて、味変します」

「――同志(とも)よ!!」

 ガシィィィッ!!

 レオが私の両肩を掴み、激しくシェイクした。

「うおおおおお! まさかこんなところで『同郷』に会えるとはなぁ! しかも牛丼派! 俺はもう、この世界の味の薄いパンとスープに絶望していたところだ!」

「わ、わかります陛下! お米……お米が恋しいですよね!?」

「そう! 醤油と出汁の味がな! あとコンビニ!」

 私たちが謎の言語(日本語)で盛り上がっているのを、ニャングルとリーザは恐怖の表情で見守っていた。

「……ニャングル様。お姉ちゃんと王様、何かの呪文を唱え合ってます……」

「あかん、あれは『古代語』や。高度な魔術契約の儀式に違いあらへん……。スカーレットはん、何者なんや……」

 ◇

「コホン。……下がっていいぞ、ニャングル」

 ひとしきり故郷トーク(主に食への渇望)で盛り上がったあと、レオは咳払いをして冷静さを取り戻した。

 ニャングルとリーザを部屋の隅のソファに待機させ、私たちは防音結界の中で向かい合った。

「改めまして。元公爵令嬢のスカーレットです。前世は芸能マネージャーをやっていました」

「俺はレオ。こっちでの名は獣王レオだが、前世は『獅子田 玲央(ししだ レオ)』。しがない営業職のサラリーマンだ。享年二十五」

 レオは自嘲気味に笑いながら、ソファに深く座り直した。

 さっきまでの威圧感はどこへやら、今は仕事終わりの居酒屋で会う同僚のような親近感がある。

「で、だ。スカーレット。お前がニャングルに持ち込んだ『アイドル計画』だが……」

「はい」

「ぶっちゃけ、勝算はあるのか?」

 レオの瞳が、経営者のそれに変わる。

 私は背筋を伸ばし、事業計画書を指し示した。

「あります。この世界には『娯楽』が少なすぎます。特に、平和になったルミナス帝国では、人々はパンとサーカス……新しい刺激に飢えています」

「ふむ」

「歌や劇はありますが、それは貴族の高尚な趣味か、酒場のBGM止まり。私が提案するのは『会えるスター』。未完成の少女が成長していく物語(ストーリー)を売るビジネスです」

 私は熱弁した。

 リーザの歌声の力。グッズ販売による収益構造。そして、ファンクラブによる囲い込み。

 こちらの世界の人間には理解されにくい「推し活」の概念を、元日本人のレオなら理解できるはずだ。

 レオは羊皮紙を見つめ、ニヤリと笑った。

「『握手券商法』に『限定ガチャ』か……。あくどいな、お前」

「褒め言葉として受け取っておきます。でも、これは経済を回しますよ」

「ああ、わかるぜ。俺の国(ガルーダ)なんて筋肉馬鹿ばっかりでな。産業といえば傭兵輸出か狩猟くらいだ。……『文化』がねぇんだよ」

 レオは深いため息をついた。

 獣人国は軍事力こそ最強だが、文化レベルや経済活動は未発達らしい。

「このアイドル事業が成功すれば、俺の国にも輸入したい。歌と娯楽で外貨を稼ぐ……いいじゃないか。俺の国を『筋肉の国』から『エンタメの国』に変えられるかもしれん」

 レオはバシッと膝を叩いた。

「乗った。金貨百枚……いや、足りんだろ。二百枚出してやる」

「えっ、いいんですか!?」

「ただし条件がある」

 レオが身を乗り出し、私の目をじっと見つめた。

 その顔は、王の顔でもサラリーマンの顔でもなく――少しだけ、男の顔をしていた。

「俺は、この世界で話が通じる相手に飢えてるんだ。……今後、事業報告はニャングルを通さず、俺に『直接』しろ。定期的にな」

「へ?」

「つまり、あれだ。……メシ友になれって言ってんだよ。お前なら、俺の知らない日本食の再現レシピとか知ってるだろ?」

 なんだ、ご飯の話か。

 私は拍子抜けしつつも、強力なバックアップを得られたことに安堵した。

「喜んで。牛丼の再現、手伝いますよ」

「交渉成立だな!」

 ガシッと固い握手を交わす。

 こうして私は、大陸最強の獣王と「メシ友」兼「ビジネスパートナー」になったのだった。

 ◇

「……信じられまへんわ」

 VIPルームを出たあと、ニャングルは幽霊でも見たような顔で私を見ていた。

 手には、レオのサインが入った「金貨二百枚」の小切手と、ゴルド商会の「プラチナ会員証」が握られている。

「あの堅物の獣王陛下が、即決で融資を決めるやなんて……。スカーレットはん、アンタ一体どんな魔法を使うたんや?」

「ふふ、秘密よ。強いて言うなら……『胃袋を掴んだ』ってところかしら」

「胃袋……? 恐ろしい女やで……」

 ニャングルはぶるりと震えると、今度は揉み手をしてすり寄ってきた。

「へへっ、これからは『スカーレット様』と呼ばせてもらいますわ! ワイも商会を挙げて全力でバックアップしまっせ! さあさあ、まずはリーザちゃんの衣装選びからでんな!」

 現金な猫だ。でも、頼もしい。

 私は隣で目を白黒させているリーザの背中を叩いた。

「見たでしょ、リーザ。これが『大人の交渉』よ」

「す、すごいですスカーレットさん! 私、頑張ります! お歌、いっぱいいっぱい練習します!」

 リーザの瞳に、希望の光が宿る。

 金は手に入った。コネもできた。

 あとは、彼女を磨き上げるだけ。

(見てなさい、元婚約者。そして私を追い出したお父様。……今にこの国を、私の作ったアイドルで征服してあげるから!)

 私はゴルド商会の窓から王宮を見下ろし、不敵な笑みを浮かべた。

 だが、私はまだ知らなかった。

 獣王レオが、単なる「メシ友」以上の執着を私に向け始めていることを。

 そして、このアイドル計画が、やがて世界中の神や魔王まで巻き込む大騒動になることを――。

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