第2話

守銭奴猫との銭闘(せんとう)

 大陸屈指の巨大コングロマリット企業、ゴルド商会。

 そのルミナス帝国支店は、王宮と見紛うばかりの豪奢な石造りのビルだった。

 その受付カウンターの前で、場違いな二人が門前払いを食らっていた。

 薄汚れたドレスを着た私と、麻布を被った人魚の少女リーザだ。

「ですから! アポなしの面会はお断りしております。お引き取りを」

「そこをなんとか! 融資の相談なのよ!」

「融資? そのような身なりで……? 警備員を呼びますよ」

 受付嬢の視線は冷たい。当然だ。

 今の私たちはどう見ても、落ちぶれた貴族と拾われた孤児。信用などゼロに等しい。

 リーザが不安げに私のスカートの端を握りしめる。

(くっ……やはり正面突破は無謀だったか? でも、ここで引くわけにはいかない!)

 私がもう一度食い下がろうとした、その時だ。

「なんや騒がしいなぁ。商売の邪魔やで」

 奥の執務室から、パチパチパチ……という小気味よい音が響いてきた。

 現れたのは、茶トラの猫耳と尻尾を生やした小柄な男。

 ゴルド商会の制服を着ているが、そのポケットはパンパンに膨らんでおり、動くたびにチャリチャリと金属音が鳴る。

「あ、ニャングル様」

「受付ちゃん、どないしたんや。……ああん? なんやこの貧乏くさい客は」

 彼こそが、この支店の実質的な支配人にして、大陸一の守銭奴と名高い猫耳族のニャングルだ。

 彼はあからさまに嫌そうな顔で、しっしっと手を振った。

「ウチは慈善事業やってへんのや。金のない奴に用はない。さっさと帰りなはれ。シッシッ」

「……帰りません」

「あ?」

「貴方に、未来の『白金貨の山』を売りに来たと言っているんです」

 私は一歩前に出た。

 ニャングルの猫耳がピクリと反応する。

「……ほう? 白金貨の山、やて?」

「ええ。単刀直入に言います。私に投資しなさい。一口、金貨百枚(百万円)でいいわ」

 受付嬢が息を呑む。リーザが「ひぇっ」と声を漏らす。

 ニャングルは呆れたように鼻を鳴らした。

「アホか。担保も信用もない小娘に、誰が大金貸すねん。頭沸いてるんか?」

「担保ならあるわ。――この子の『声』よ」

 私は背後のリーザを前に押し出した。

 ニャングルの黄色い瞳が、値踏みするように細められる。

「人魚……? 確かに珍しいけどな。それがどうした? 歌わせて小銭稼ぐつもりか? 芸人の上がりなんぞ、たかが知れとるわ」

「いいえ。ただ歌わせるだけじゃない。私が提案するのは『アイドル産業』という新しいビジネスモデルよ」

 私は懐から、昨晩徹夜で(と言ってもスラムの軒下だが)書き上げた羊皮紙の束を叩きつけた。

 そこには、前世の知識を総動員した『事業計画書』が記されている。

「見て。コンサートのチケット代なんて序の口よ。真の利益は『物販』と『ファンクラブ』、そして『握手権』という付加価値にあるの」

「……なんやこれ」

 ニャングルが嫌々ながら書類を手に取る。

 最初は嘲笑っていた彼の表情が、ページをめくるごとに真剣なものへと変わっていく。

「原価率の低い布切れ(タオル)に、付加価値をつけて十倍の値段で売る……?」

「そう。さらに『限定版』商法で購買意欲を煽る。リーザの歌声には魔法に近い『魅了』があるわ。一度ファンになれば、彼らは金を落とすことを『喜び』と感じるようになるの」

「継続的な集金システム……『サブスクリプション』……?」

 パチ、パチパチパチパチパチ!!

 ニャングルの指が、高速で鉄の算盤を弾き始めた。

 その音はまるでマシンガンのようだ。彼の脳内で、凄まじい速度で損益計算が行われているのがわかる。

「……姉ちゃん。名前は?」

「スカーレット。元公爵令嬢のスカーレットよ」

「元、な。……スカーレットはん。アンタ、悪魔か?」

 ニャングルが顔を上げた。その目は、獲物を見つけた獣のそれだった。

 彼はニヤリと、口の端を吊り上げる。

「ええ匂いや。こいつからは、とびきりの金の匂いがするでぇ……!」

 落ちた。

 私は心の中で勝利のファンファーレを鳴らす。

「せやけどな、金貨百枚はデカい。ワイの一存では決められへん額や」

「じゃあ、上の決裁を仰いで」

「ああ、そうさせてもらう。……ちょうど今日、ウチの『特太のスポンサー』が視察に来てはるんや」

 ニャングルは意味深に奥の応接室を見やった。

「そのお方が『おもろい』言うたら、金貨でも白金貨でも出したるわ。ただし!」

 彼は私の鼻先に、ビシッと指を突きつけた。

「失敗したら、アンタら二人には一生、鉱山でトロッコ押してもらうで。死ぬまでタダ働きや。……それでもええか?」

 隣でリーザが青ざめて震えている。

 私は彼女の手をギュッと握りしめ、不敵に笑い返した。

「構わないわ。失敗なんて、私の辞書にはないもの」

 ◇

 ニャングルに案内されたのは、最上階にあるVIPルームだった。

 重厚な扉の前で、ニャングルが「失礼しまっせ」と声をかける。

「入れ」

 中から響いたのは、腹の底に響くような、低く、威厳に満ちた男の声だった。

 扉が開く。

 最高級の革張りソファに、一人の青年が座っていた。

 豪奢な金髪に、猛獣を思わせる金色の瞳。

 筋肉質だがしなやかな体躯は、高級なスーツの上からでもわかるほどの覇気を放っている。

 そして何より特徴的なのは――頭にあるライオンの耳と、ゆらりと揺れる尾。

 ガルーダ獣人国の王、レオ。

 隣国最強の王が、なぜこんなところに?

「……なんだ、その貧相な女と魚は。俺は忙しいんだが」

 レオがギロリと私を睨む。そのプレッシャーだけで気絶しそうだ。

 これが、ユニークスキル【百獣の王】の覇気……!

 普通ならここで萎縮して終わる。

 だが、私は違った。

 彼が手元に広げていた『昼食のメニュー表』を見て、思わず前世の記憶と言葉が口をついて出てしまったのだ。

「あー、腹減ったな……。ここの飯は洒落込みすぎてて口に合わん。あーあ、特盛の牛丼食いてぇ……」

 彼がボソリと呟いた、その言葉。

 この世界の言語ではない。極東の島国、ニホンの言葉。

「――つゆだくが、お好きですか?」

 私の言葉に、獣王の動きがピタリと止まった。

 彼はゆっくりと顔を上げ、信じられないものを見る目で私を凝視した。

「……は?」

「あ」

 やってしまった。

 時が止まるVIPルーム。

 私と獣王、見つめ合う二人。

 

 これが、最強の相棒(パートナー)との出会いだった。

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