第2話 鬼の歌

「鬼ゐたり われのうしろに うまれし日 ゆるさぬままに まなこひらけり 小野まちこ」


〈ざわめき〉


〈頭塚〉「……おお、これは文語の力。彼女の内面が、ただの“赦し”ではなく、母や過去への渇望と葛藤として見える」


〈雅子〉(目を伏せて小さく息をつく)「……まちこ……あなたは、私を責めるのね」


小野雅子は乱暴に扇を取り出し拡げた、扇は破れるほど開かれたが我関せずと仰ぎはじめた。実況席はただならぬ熱気に押しつぶされそになる。柳棚国男は冗談もいえず、突然、葛原けい子が震えているのを感じていた。司会者は頭塚に解説を求める。


「この鬼は否定的なものではなく、誰の心にも潜んでいる鬼の感情てすね。つまり、その、あれだ、なあ国男君」 


 突然、振られた国男は意味もなく言った。


「泣いた赤鬼?」 


「そうだよ、青鬼の気持ちは赤鬼だからわかる。つまりですね。小野家には鬼の血が流れている……」



〈雅子〉(小さく小さく扇を仰いでいた)

「そうよ、私だって、鬼になりたくてなったのではない!母さん、あなたの娘なんです。小野さくらという歌人の。だから、短歌に打ち込んできた」


 そう小野雅子は車椅子の母の姿を認める。


 コンテスト前の控室。小野まちこは車椅子の祖母小野さくらと談笑していた。


「あれ、なんで国男君のおじいちゃんかここにいるの。国男君は反対の控室で俵田まちこさんと作戦を練っているはずだわ。短歌の順番も大切なんだから。この歌はここでいいかな?」


まちこはノートの短歌にラインマーカーで線を引き赤ペンで順番を付けでいた。


「まちこ、緊張してる?」


さくらの問いかけに、まちこは小さく笑って答える。


「ううん、でもちょっとドキドキするくらい。でも大丈夫、おばあちゃんたちがいるから」


「柳棚国太郎さんは、私の付き添いで今日は来ているの。この人の気持ちに気づけなかったのだけど、男は嫉妬深いから。業平先生は私じゃなく、私の中の小町に惚れていたのね。それを勘違いして……」


「それ、勘違いじゃなく、あのときのおばあちゃんは本当に小町だったよ(笑)」


「そうじゃろ!愛は勝つんじゃ!鬼の心を愛でとりもどしたんだよ!」


 そこに、突然、雅子か入室し、静かに「……おめでとう」と告げる。 


 控え室の空気は一瞬で凍りつき、まちこの胸は高鳴った。母の視線の強さと存在感、そして祖母さくらに対する冷たくも熱い敵愾心も――その三つの視線が交錯し、まちこは覚悟を固めた。


 国太郎は後ろで車椅子のさくらを押し、彼女を支えつつも、少し緊張で手が震えている。雅子もさくらも、そしてまちこも、互いに相手の存在を強く意識していた。


〈雅子、心の声〉

「……この瞬間、まちこの歌道。祖母さくらからの血筋……すべてが、鬼の歌に込められるて力になっていた……」


 雅子は再び会場に視線を戻す。まちこの目の奥には、控え室で見た覚悟と決意が宿っている。


〈雅子、心の声〉

「この子は、母としてだけでなく、歌人としても強くなっている……さくらの視線も、私の視線も、全部を吸収して、あの歌に昇華したのだわ……」


 そして雅子は、次のまちこの短歌を待つため、静かに息を整えるのだった。


「さあ、続いて俵田まちこ二首目!」


「放課後の 廊下すれちがう 笑顔だけ ゆるせぬわけも ないのだろう 俵田まちこ」


会場からはため息がつかれる。


〈観客〉「ああ……青春だな……!」


〈けい子は思わず柳棚国男の手を握る〉


「……そうですよ、僕たちはいつか笑顔だけで赦せる日が来るんですよ!さすが部長です……」


「甘いよ、国男君、そんなセンチメンタリズムではこの先、やっていけないよ。まちこの文語とまちこの口語、交互にぶつけ合うことで場の温度が変わる……これぞマッチング対決の醍醐味だな、ねえ雅子先生。」


無言……


「小野まちこ、第二首!」


「いまもなお 背を向ける母 小野雅子 許せぬままに 夜をさまよう 小野まちこ」


「固有名詞で来たか……」


「何かこの先生の名前に意味はあるのですか?」


「うるさいな、部外者は、黙っててくれないか!」


「いえ、それは放送事故になりますので、私もアナウンサーのプロなら、鬼にならなければなりません!雅子先生これまでの感想をお聞かせ願います」


「あの子は娘じゃないわ、私に反旗を翻すつもりなのよ」


〈雅子〉(小さく小さく唇を噛む)

「……この子の胸の痛みを、私は一度も抱いてやれなかった……」


「俵田まちこ、三首目!」


「放課後の 部室で笑い 言い争う でも最後には 肩をたたく 俵田まちこ」


「上手よ、俵田まちこさんは。この状況でこの学園ドラマの華やかさ。葛原さんも共感して泣いているよ!」


〈国男〉(心の中で)

「……この二人の短歌、どちらも自分の世界を持っていている。まちこは母と祖母への闘い、俵田は日常の光と影、そして、手が痛い……、そんなに握るなよ」


「愛ですかね」と柳棚国男は突然言う。


「……愛なんて、そんな軽いもんじゃないわ……短歌道なのよ、鬼の道なの」


〈けい子〉(心の声)

「国男くん……この人たち棲む世界が違うの?」


〈雅子、心の声〉

「このコンテストに勝つためにどれだけのものを犠牲にしてきたか!尺八郎ならわかるはずよ!」


〈頭塚〉「ここからが勝負どころだ。次の一首で、会場の熱は最高潮に達する!疲れるな、今夜のビールはうまいぞ。」


「小野まちこ、第三首!」


「ほほえみの 文字にかくせぬ 文机

 まりあ観音 踏みつけたるや 小野まち

 こ」


〈雅子〉(涙をこらえながら)

「……ああ、私もまだ彼女に赦されてはいないのね……当然よ!……母さん見るがいい、ここに醜い鬼の娘の戦いがあるのよ……


車椅子の小野さくらは笑っている?


「俵田まちこ、四首目!」


「夕焼けの 校庭駆ける 声弾け 赦しも忘れ ただ笑い合う 俵田まちこ」


〈観客〉「うわあ……! このコントラスト……!」


〈国男〉(心の中で)

「そうだよ、これが僕たちの青春短歌だよ」


「僕は人間だ!」


「どうした、国男君、いきなり驚かさないで、もう少し精神力を鍛えた方がいいな、場の雰囲気というのですか、ここには魔物がいますね。プロのアナウンサーならわかるはず!」


「はい、私はこれまでの人生の中てこの場にいることを幸せに感じます。俵田まちこ、四首目!」


「夕焼けの 校庭駆ける 声弾け 赦しも忘れ ただ笑い合う 俵田まちこ」


〈けい子〉(思わず柳棚国男の手を握る)


〈頭塚〉(解説)

「ほら見てください。俵田まちこの口語は、まるで光が差し込むように鮮やかです。彼女の短歌は読者を物語の中に引き込み、会場の空気を一気に明るくしますね。小野まちこの文語の重みと対比して、心理的にリードしているように見えます」


「小野まちこ、四首目!」


「影踏みつつ 母の笑顔を 盗み見て 赦す気持ちは 風に消えたり 小野まちこ」


〈ざわめき〉


〈頭塚〉

「この文語……重厚でありながらも、微妙に揺れる感情が見えますね。母・雅子への赦し、そして祖母さくらへの想いが同時に込められている。俵田まちこの青春の光景に比べると、会場の熱は少し冷ややかに感じられるかもしれません。しかし、この揺れこそが文語の深さであり、まちこの成長の証でもあります。そうですよね!雅子先生!」


〈雅子〉(無言……)


〈国男〉(心の中で)

「部長の歌は作戦通り学園生活の光を歌っている。小野まちこの歌は影だ。どちらも強い。けれど、影にはまだ何かが潜んでいるかも……でも、部長の歌が俺たちの歌なんだ……」


〈雅子〉(小さく息をつき)

「……まちこ、この子は、母としてだけでなく、歌人としても覚悟を決めている……」


 会場の歓声と静寂が交錯し、四首目でまちこの文語と俵田の口語が、互いにぶつかり合い、舞台の温度は最高点に達した。

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