赤点狙い

 次の日、俺はのんびりと登校した。

 俺たち四人が同胞で、同居していることは公開していない。一部の教師が知っているだけだ。いちいち説明するのも面倒だしな。

 名字も異なるからこのままで行こう――ということで俺たちが揃って登校することはない。

 それに俺は黒縁の大きな伊達眼鏡をかけ、前髪を眼鏡半分かかるくらいに下ろした不気味な男に擬態していた。

 俺と楓胡ふうこは擬態を趣味にしている。

 しかし桂羅かつらは違う。そのままの姿で登校するものだから四月初めはいろいろ噂になった。髪の長さが異なるだけで生徒会役員の東矢泉月とうやいつきに瓜二つだったからだ。しかも二人ともクールビューティキャラだから双子だと思われてしまうのも無理はない。

 桂羅も転校生としてやって来た。東矢とうや家の隠し子ではないかとも噂がたってしまった。

 東矢泉月と双子なの?と訊かれても桂羅は堂々と否定するだろう。双子ではなく五つ子なのだから。


 俺は二年H組教室に入った。試験期間中は出席番号順に席に着くから俺は左端の窓際の席に座る。

 窓の外が見えるから良いな。いつもの真ん中の列の一番前という「特等席」とは大違いだ。

 俺の後ろの席には市川いちかわという女子が席についている。

 この学園の女子は美形が揃っている。市川もその一人だ。市川は人懐こいから俺みたいなモブ相手でもふつうに喋れるのだ。

鮎沢あゆさわくん、バッチリ?」

「バッチリだよ」

「えー!? ずるいよ」

「しっかりと睡眠はとった」

 俺が無表情で言うと、意味がわかったらしく手を叩いて笑った。

 俺が睡眠時間を削ってまで勉強する男に見えるか?

「早く帰っても昼寝するだけだよ」

 夕食当番やら家事をやらされるからな。俺は家では三姉妹の執事だ。

「ウケる、その堂々たる態度」

「転校生だから大目に見てもらえるでしょ」俺は口元にだけ笑みを浮かべた。

 そして試験が始まった。数学Ⅱだ。この教科の担当教官は小町綾花こまちあやか

 俺の姉――新聞部のパパラッチこと伊沢楓胡いざわふうこによると小町は年齢二十七歳。ひとを実験材料にしか思わない数学オタクだそうだ。

 しかし顔は良い。おそらく美人ばかりと言われるこの学園の女性教師の中で一番ではないか。特にちょっと吊り上がり気味のつぶらな目は猫の目のようで俺の好みでもある。できない生徒をサディスティックになぶるらしいからそれなりのファンもつくようだ。

 良いね、それ。補習を受ける身になったら個人指導してもらえるのだろうか。ならば赤点をとる一択だ。


 試験開始。一斉に問題用紙を表に返す音が聞こえる。

 試験問題はバカみたいに量が多かった。

 楓胡ふうこによると、この学園の試験は百点満点をとらさないようにいくつもの対策をとっているという。入試問題の難問を必ず入れるとか、やたら問題数を多くして時間内に全てを解かせないようにするとか。

 小町の数学はその通りになっていた。

 あちこちで静かな溜息が聞こえる。後ろの市川いちかわも諦めたようだ。

 俺ははなから赤点狙いだったから何とも思わない。ただ一番最後の問題が俺の気を高ぶらせた。

 会ったこともない俺の母親は数学の教師だった。その血をなぜか俺だけが受け継いだ。自分で言うのも何だが俺には人一倍数学の才能があった。チート級だ。

 初見の難問でも時間さえあれば必ず解く自信はある。

 俺はこの数学Ⅱの試験、この問題だけに全ての時間を注ぐことにした。

 二十五点の配点だから俺の数学Ⅱの成績は二十五点になるだろう。赤点だな。

 試験監督は担任の西脇にしわきだった。五十前後の男性教師。

 二年生は八クラスあるが担任が男性なのは我がH組だけだ。だからH組には手のかかりそうな生徒が多く集められるという。

 H組は「変人組」と揶揄されていた。

 担任の西脇は数学Bを教えている。昼行灯なのだが一応数学教師なのだ。

 俺は選択授業で西脇の数学演習もとっていたから西脇のことはよくわかる。このおっさんの生徒に対する評価は間違いない。俺のことも、俺の試験に対するスタイルも理解していた。

 西脇は何気なく歩いてきて俺の答案を見ると咳払いをした。

 ん? カンニングはしてませんが――と言いそうな顔を俺は向ける。

 西脇は溜息をついた。

 俺が簡単な問題を適当に書いて全て間違っているのだから無理もないか。それでいて一番最後の問題は順調に解答を書いている。

 西脇は諦めたらしく立ち去った。

 数学Ⅱの試験は終わった。

 二十五点だな。補習受けさせてもらえるかな。

 俺は小町こまちのサディスティックな美貌を間近で眺められるかと思うとワクワクした。

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