8 覗き見

 かめ吉の計画はこうだ。


 浦島は、夜に仕事をしていると言っていた。浦島が家を留守にしている間に忍び込み、手紙の内容を盗み見るのだ。


 かめ吉のような大きな亀は人目に付く。本当なら明日になってからもう一度出向くべきだが、明日の深夜から動いていては時間がかかる。

 今夜の時点で砂浜に戻り、人目が減るまで潜伏するべきだろう。


 こうしちゃいられないと、かめ吉は浜辺近くまで泳いだ。

 念のため離れた位置から、顔を海面の上へ突き出してみる。浜辺には、いまだ浦島が経っており、海のほうをぼうっと見つめていた。


(なにをしているんだ)


 かめ吉はぶるぶると首を振った。浦島の意図は知らないが、見つかるわけにはいかない。かめ吉はじっと、海の中で機を待つことにした。

 ときどき水面から顔を出して確認した。その何度目かのときにふと、浦島が大きく片手をあげたのが見えた。海のほうへ、誰かに自分の存在を知らせているようだった。


(気づかれたか……?)


 かめ吉は肝が冷えたが、どうやら違う。

 浦島は、かめ吉が潜伏する地点よりももっと遠い水平線を見ていた。

 肌で感じる波の流れが変わったことに気づいたのは、その影がかめ吉の近くまできてからだった。

 何かが泳いで陸まで向かっている。

 勢いよく海の中を突っ切って通り過ぎてゆく影に、かめ吉は覚えがあった。


「あれはっ……!」


 かめ吉は思わず声を上げたが、その影はすでに、かめ吉の小さな声が届かない距離にまで進んでいた。


 ぱしゃんっ

 軽快な水しぶきを立て、影が空へ躍り出る。


「おと!」


 浦島は、影に呼びかけて両の腕を広げた。落ちてきた影を力強く抱きしめる。


「太郎さんっ」


 貝がらがぶつかったときのような、しゃらしゃらと響くかわいらしい声が浦島の名を呼ぶ。深海の暗く美しい場所では境い目がわからなくなる黒髪から、水が滴り落ちる。竜宮城では目立つにじ色の鱗が、星々の光を受けてきらめいた。


 数百年前、浦島とともに過ごしていたころ身に着けていた、洒落た服装に身をつつんだおなご。

 近年、竜宮城で着ているのを見なかった衣装でくもりなく笑うその影に、かめ吉は思わず目を細めた。

 それは、かめ吉が見間違うはずない、竜宮の末娘、乙姫だ。


 浦島に抱きしめられた乙姫は、そっと砂浜に降ろされる。

 二つに別れた尾が、人間の足のように地上で体を支えている。乙姫もみずから、浦島を抱きしめる。


(ああ……なんと)


 かめ吉の瞳から、涙が零れ落ちた。近頃、あれだけ無邪気に笑顔を見せる乙姫は見ていなかった。思いがけず彼女の幸せに満ちた顔を見ることができ、かめ吉は心が満たされる。


(しかし……どうして乙姫さまが?)


 かめ吉の困惑も知らず、浦島と乙姫は互いに見つめ合い、言葉を交わしている。


「よく来た、俺の乙姫」

「会いたかった……!」


 月明かりが抱きしめ合う二人を照らす。

 海の中を泳いでいた乙姫の身体は水浸しだ。浦島はしかし、自身が濡れることなど厭わず、乙姫を抱きしめる腕を離すことはなかった。


「目をつぶれ」

「うん」


 すべてが当然のことのように、乙姫のまぶたがおりていき、二人の影が月明かりの下で重なる。

 ……のを見ていられず、かめ吉は一度全身で海に潜った。


「おいおいおいおい……」


 かめ吉は唸った。


 どうするべきか、見ないふりをするべきだろうか。心底幸せそうな乙姫を思えば、何も触れないのが正解なのか。すべての疑問に蓋をして、竜宮城に帰るべきなのかもしれない。

 だが、これでは往生するとき、確実に心残りになる。

 無粋だと分かっていながら、かめ吉は声を上げずにはいられなかった。勢いよく、水面にばしゃりと躍り出る。


「あのなあ、お二人!」


 重なっていた影がびくりと揺れて声の主を探す。

 自分たちに近づいてくる海の中の影を見つけた浦島が乙姫をかばうように自身の背中に隠した。


「誰だ?」

「わしじゃよ」


 かめ吉は顔を水面から突き出した。


「えっ、かめ吉?!」


 乙姫が素っ頓狂な声を上げる。それはそうだ、竜宮城にいるはずのかめ吉がひょっこり波の合間から顔をのぞかせるのだから。


「帰ったんじゃなかったのかよ……」


 声の主が何者か理解した浦島は警戒を解き、深く息をついた。

 浦島と乙姫の間に流れていた甘ったるい空気が霧散する。

 かめ吉は、ふたりを警戒させないようにゆっくり泳いで近づいた。


「説明してくれるな?」


 かめ吉がそう言うと、観念したように、浦島は両手を挙げた。


「太郎さん、どうしてかめ吉と」

「いい、いい。心配するな」


 浦島は背中に回した乙姫に視線をやることなく、彼女の頭に手を伸ばしてなだめる。

 それでも乙姫は心細そうに、浦島の服の裾を細い指先でつかんでいた。


(嫌われ役も老いぼれの役目、か)


 かめ吉は一瞬目をつぶり、覚悟を決めた。しかし、自身や浦島の命をかけて玉手箱を開けるときよりも幾分か気が楽な覚悟だった。

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