7 疑惑
(しまった、しまった)
かめ吉は甲羅の中で、己の失敗を悟った。
しんとした夜の気配の中だったというのに、玉手箱の中身に気を取られ、起床していた浦島に背後を取られていることに気が付かなかった。これが海の中ならいざ知らず、陸の上だったのがかめ吉にとっては不幸だった。
かめ吉は、ごまかすように甲羅の中に隠れ続けたが、
(しらを切れるわけないか)
と恐る恐る首をのばして後ろを見やる。
暗闇の中、小屋に差し込む月の光を背にした浦島が立っていた。
表情には影が落ち、いま浦島が何を思っているのか、かめ吉には察することができない。
「浦島殿……」
かめ吉の声は自分でも情けないほど震えていた。
「これは、その」
「海まで送ろう、かめ吉。もたもたしていたら、あっという間に夜が更けてしまうからな」
不気味なことに、浦島は、かめ吉が玉手箱を開けたことは一切口にしなかった。
淡々と、かめ吉を見送る準備をし始める。
居間にはかめ吉と、蓋が開いたままの玉手箱が残された。
「ちょいと失礼」
準備を終えた浦島は、ひょいとかめ吉をかかえ、来たときと同じ台車とやらに乗せ、浦島は家を出た。
台車は浦島の小屋に来たときよりも、さらに乗り心地が悪かった。
浦島は、海にたどり着くまで一つも言葉を発さなかった。かめ吉も尋ねるべきことがあるはずなのに、口がうまく動かなかった。
昼間、かめ吉が上がった砂浜にたどり着く。夜の浜辺には、騒がしい子どもたちはおらず、波がぱしゃりと浜をたたく音だけがする。
浦島はかめ吉を台車から降ろした。
「じゃあな、かめ吉。もう会うことはないだろう」
有無を言わさぬ別れだった。
「……お前さん、まだ生きるんだろう? また気が向いたら来てやろう」
浦島の反応をうかがうも、浦島はいたって普通の態度だった。
「いいけど、かめ吉って元気だな。何歳なんだ? 俺と出会った時点で、老齢だと思っていたが」
それには答えず、かめ吉は半回転して海へと入る。
本当に聞きたかったことは、最後まで浦島にぶつけることはできなかった。
半日ぶりの海は、かめ吉を優しく迎えてくれた。
いくらか波にのって進んだところで、背後から浦島の声がする。
「無事帰れよ」
見送りの言葉に、ちらりと後ろを振り返る。かめ吉も手を上げ応じた。
浦島はそれを確かに見たはずなのに、砂浜から立ち去る様子はなかった。かめ吉が確実に海に帰って、陸には戻らないとわかるまで見張っているようだとかめ吉は感じた。
このまま帰路の途中で止まれば、浦島は不審がるだろう。かめ吉は進むしかなかったが、まっすぐに竜宮城に帰る気には到底なれなかった。
かめ吉はしばらく海を進んだところで大回りをした。浦島には見えない場所まで旋回し、周りが安全なことを確認したかめ吉は、波に身を任せ、陸で知ったことを整理することにした。
数百年経っても老いていない浦島太郎。かめ吉の知らないところで浦島と言葉を交わしていた、今なお傷心中のはずの乙姫。開けていないといったのに開封済みだった玉手箱。
かめ吉が特にひっかかっていることは、やはり玉手箱のまじないだ。
かめ吉が玉手箱を開いても何も起こらなかったということは、浦島がすでに一度開けているはずだ。
そうなれば、浦島だけではない。玉手箱が開けられたかどうかわかると言っていた乙姫も、かめ吉に噓をついたことになる。
考えても、考えても、かめ吉には何もわからなかった。
それよりも、かめ吉が思い当たりそうなものといえば、玉手箱に入っていた瓶の模様だ。考えているうちにだんだんと、あの模様は知っているという確信が大きくなっていた。
(思い出せ、かめ吉。わしはどこであれを見たのか)
長く生きてきた間に、かめ吉はどこであれを見たんだろうか。
月の位置が、てっぺんから傾いたころ、かめ吉はかっと目を見開いた。
(そうだ、姫さまの母君の形見!)
そうだ、乙姫が一度、かめ吉に見せてくれたのだ。金属製の鎖に、短剣を模したような飾りがついていた首輪だ。
「お母さまの形見ですって、お父さまがくれたの。ほかにもいくつか。でも……お母さまから直接受け取りたかった……」
そうして、手で顔を覆って声を押し殺し泣いていた、乙姫の背をなでた記憶を思い出す。
そのときに見た、乙姫の母の血族に伝わる形見だという首輪の短剣。その柄に、玉手箱の中にあった瓶と同じ模様が入っていた。
乙姫からは、形見として他にも受け取ったものがあると聞いたが、何かは詳しく聞いていない。
だが、あの模様が乙姫の母の家に伝わるものであれば、玉手箱の中身の瓶も、もとは乙姫の母の持ち物だということではないか。
そして、一緒に入っていた手紙から考えるに、瓶も乙姫が玉手箱に入れたのではないだろうか。
瓶の中身が、もしかしたら浦島に対してよくない影響を与えるものだったのかもしれない。そして、乙姫はその効果を詳しく知らなかったのではないか。
『玉手箱を俺に渡すときの姫さんの目を今でも覚えているよ。あの目は、俺に玉手箱を渡した乙姫さんは、きれいに終わらせられなかった恋心を、俺を老い死なせて終わらせようとしてたんだ。その予定が、俺がなかなか玉手箱を開けないもんで、勘違いしてるんだな。きっと』
(そんなはずは、ない)
かめ吉は、浦島の言っていた予想に首を振る。あの乙姫が、そのような残酷なことを考えるわけがない。かめ吉はそう信じていた。
かめ吉は悔やんだ。手紙という性質上、宛てられた相手以外が目を通すことに躊躇したが、読んでおくべきだったと。浦島が起きるまでの限られた時間しかなかったというのもあるが、あそこにかめ吉が知りたいことが書かれていた可能性が高い。
(このまま、帰るわけにはいかぬ)
かめ吉は強い決意で、泳ぐ進路を変えた。
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