クリスマスパーティ
――――クリスマス当日。
居間には立派なツリーがそびえ立ち、暖炉の上には赤い靴下がぶら下がっている。お庭には手作りの三段スノーマンが鎮座していて、お嬢様は時折窓から覗いては彼に手を振っている。
この島は気候の移り変わりが激しい。夏にはスコールが降り、秋には空っ風が吹き抜け、冬には相当な量の雪が積もる。というか積もっている。お屋敷の屋根には融雪暖房が仕込まれているので、時折ドサドサと雪の塊が落ちる音がするのだけど、この落雪が頭上に来ると命が危ないので、外出は最低限となった。当然外に出るときは、軒下で立ち止まってはいけない。
玄関扉には金の鈴がついたクリスマスリースを飾った。お陰で開閉の際に軽やかな音で歌ってくれる。
「旦那様は六時頃にいらっしゃるそうですから、それまでご本でも読みましょうか」
お嬢様は一つ頷くとわたしの手を取り、書庫へと導いた。
初めて此処へ来たときと比べて、随分と娯楽用の書籍が増えている。特に児童書は書棚の一つを占拠する勢いで増えた。国を問わず色々な絵本や小説を集めているからだろうか。お嬢様は時折、異国の衣服や料理を所望されることがある。
色んな物事に興味を持つの自体はいいことだし、わたしも可能な限り叶えてあげているのだけれど、わたし自身が未知の国の未知の文化を一から学ばなければならず、楽しいと大変が半々で襲ってくる。
今日は、サンタクロースが主人公の絵本を読みたいらしい。大きなハードカバーの絵本を抱えてうれしそうに駆けてくる様子は無二の光景だ。
「畏まりました。では、居間で読みましょうね」
絵本を受け取り、空いているほうの手はお嬢様と手を繋いで。
二階の奥まった位置にある書庫から一階の居間までは結構距離がある。お屋敷自体広いから、だいたい何処へ行くにも歩くのだけれど。それでも歩くのが大変だなあ、面倒だなあ、とならないのは、お嬢様が常に一緒にいてくださるから。弾む足取りでどんな場所でも楽しそうにしてくださるから。
居間につくなりいつものソファに腰掛けて、隣を手のひらでポンポン叩いて一緒に座るよう促してくる。
「はい。では失礼しますね」
絵本の内容は、サンタさんが世界中の子供たちへのプレゼントを用意するのに毎年難儀するのだけど、その度に色々な大人たちが手を差し伸べてくれるというお話だ。
街が発展して人口が増え、子供も増えてきたときには街の大人たちが。電子機器の流行が来て手作りのおもちゃをほしがる子が減ってきたら、様々な企業の人が。
子供たちの笑顔のために毎年働くサンタさんに、大人たちが手を差し出すとき必ず言う台詞がある。
『我々はかつて子供だったころ、あなたからたくさんの喜びをもらいました。今度は私たちが恩を返す番です』
サンタさんが鼻の頭と目尻を赤くして微笑むシーンは、やわらかいタッチの絵柄も相俟ってつい涙ぐんでしまう。
わたしはどうも可愛いおじいちゃんに弱いらしい。
「こうしてサンタさんは、今年も世界中の子供たちにしあわせを届けるのでした」
読み終えると、お嬢様は小さな手で懸命に拍手してくれた。言葉はなくとも、輝く笑顔を向けて全身で想いを伝えている。
「ありがとうございます。そろそろ、オーブンに仕込んだチキンが焼ける頃ですね。様子を見に行きましょうか」
頷くお嬢様の手を取り、キッチンへ向かう。
実はさっきから香ばしい匂いが居間のほうにまで漂ってきていて、容赦なく空腹を刺激してくる。お腹が鳴ってしまわないかが少し心配。
此処に住み着く以前、まだメイド派遣事務所に所属していた頃も何度かこういった大きなお屋敷でお仕事をしたことがある。其処では旦那様や奥様、お子様方が揃っていて、ご家族がクリスマスディナーを囲むためのお手伝いをさせて頂いた。
当然わたしは部外者、というかただの派遣社員であって家族の一員ではないから、ディナーが始まる頃には事務所に帰っていたのだけれど。中にはクリスマスムードのお裾分けをしてくださるご家族もいらっしゃって。たとえば、奥様から頂く一切れのシュトレンや、小学生のご子息様手作りのクリスマスカード、十代半ばのお嬢様にはお手製ジンジャーマンクッキーを頂いたり。
いまの生活は勿論この上なく贅沢でしあわせだけれど、メイドとして本土で働いていたときも、わたしはとても恵まれていた。
そのことをふと、パーティの準備をしていたら思い出した。
オーブンの蓋を開けて中を覗いてみれば、ふわりと香ばしい匂いが広がった。
「お腹すきましたねえ」
夜のためにお昼は少し減らしていたから、この匂いは体に悪い。胸いっぱいに息を吸い込めば、耐えきれずにお腹が泣き言を漏らした。
「うう……旦那様がいらっしゃるまでの辛抱です」
自分に言い聞かせて立ち上がったとき、玄関のベルが鳴った。と思ったらお嬢様が真っ先に駆け出していった。
既視感を覚えながらお嬢様を追いかけ、寸前で抱き留めつつ扉を開ける。
玄関ポーチには旦那様とラウルス様がいらっしゃって、わたしはお嬢様を背後から抱きかかえたままお辞儀をした。
「やあ。今日はお招き頂きありがとう」
帽子を軽く掲げ、旦那様が微笑む。
ただそれだけの仕草がとても紳士的で、洗練されていて、これがお育ちと経験の差なのかといつも圧倒される。
「お待ちしておりました。どうぞ」
お二人を中にお招きして外套を預かり、コートハンガーに掛けていると、旦那様がホッと息を吐く気配がした。
「温かい、いい家になったものだ」
それはしみじみと、胸の奥から想いが零れるように仰って。ラウルス様が、静かに目を伏せて同意した。
わたしは、此処にお勤めすることになった日以前のお屋敷を知らない。
初めてお仕事で訪れたときも、特に埃っぽいとか何年も人が立ち入ってない空気があったとかそんなことはなく。でも確かに、言うなれば定期的に掃除をしてはいるが誰かが住んでいるわけではない家だったように思う。綺麗だけど寂しい、あの感じ。
わたしがお嬢様と共に、お屋敷に命を吹き込めているならこの上ない光栄だ。
「ありがとうございます。お嬢様がとても明るくていらっしゃるのでお屋敷も明るくなったのだと思います」
ね、とお嬢様に語りかけると、お嬢様は「ふふん」とばかりに胸を張った。表情も仕草も全てがお可愛らしくて、瞬きの時間も惜しいくらい。
食堂にご案内して、旦那様とラウルス様の椅子を順に引く。こういうメイドらしい所作も何だか久々だ。
「随分とたくさん作ったね。大変だったろう」
「いえ。旦那様とご一緒できるとあって、とても楽しく作らせて頂きました」
テーブルの上には、大きなボウル状の器に盛られたサラダと、旦那様には温野菜のほうがいいかもと途中で気付いて追加した温野菜とサーモンのサラダ、クラッカーにトマトやチーズや生ハムを乗せたカナッペ、一口サイズのミートパイ、じゃがいものポタージュ、トマトクリームのリゾット、シュリンプカクテルが並んでいる。お料理自体は何度も作ったことがあるものだけど、クリスマス仕様に飾り付けるのはいまの時期だけのお楽しみだ。
ケーキを始めとしたデザート類は出番が来るまで冷蔵庫という名の楽屋で待機してもらっている。ブッシュドノエルの他に、みかんのゼリーも作ってある。
「丁度チキンが焼けたところなんです。いまお持ちしますね。お嬢様も此方に座って待っていてください」
「これは楽しみだ」
旦那様の穏やかながらも少し弾んだ声に背を押されつつキッチンへ。焼き上がったチキンをお皿に載せて食堂に戻ると、お嬢様と同じようなキラキラした表情で此方を見つめる旦那様と目が合った。
「お待たせ致しました」
長テーブルのセンターにチキンを置き、わたしもお嬢様の隣に腰を下ろす。四人がテーブルを挟んで二人ずつ向き合う形になると、誰からともなく手を組んでお祈りの格好になった。
「今日も与えられた祝福に感謝し、大いなる慈愛と共にこの食事を賜ります。どうか我らの心と体を内よりお支えください。頂きます」
「頂きます」
声を揃えて祈りの言葉を唱え、カトラリーを手に取る。
綺麗に磨かれた銀食器は蝋燭の灯火を受けて仄かな橙に染まっていて、冴え冴えとした冷たい金属質のボディが、そこはかとなく温かく見える。お嬢様のために揃えた子供用のカトラリーも同じように温度を身に宿し、小さな手の中でお役目を果たしている。
「君は料理の腕も素晴らしいね。私がもっと若く体力があったなら、此処に住みたいくらいだよ」
「ありがとうございます。恐縮です」
にこにこ微笑みながら鷹揚に褒められてしまい、顔が熱くなった。
メイドとしての技量を褒められるのは、素直にうれしい。お嬢様はわたしがなにをしても喜んでくださるし、この世に嫌なことなんてないのではと思うくらいいつでも何処でもご機嫌でいらっしゃるからご不満がないことはわかっていたけれど。
「お口に合いましたようで、安心致しました」
「ああ。どれも美味しいよ。やはりあの日、あの事務所を訪ねて良かった。この子もしあわせそうだ」
旦那様の視線が、お嬢様へと注がれる。
お嬢様は旦那様の言葉にも眼差しにも気付かず、薔薇の形に丸められたサーモンを器用にもフォークとナイフで一枚ずつ剥がして召し上がっている。
「髪や肌の艶も良いし、表情も生き生きしている。セレナイトドールだけでなく他の核を持つドールにも何度か会ってきたが、こんなにも子供らしいドールは初めてだ」
「そうなんですね。ドールってこういうものだとばかり思っていました」
「いやいや、とんでもない。核石ごとの個性こそあれど、これほどまでに人間らしい振る舞いをする子はなかなか見ないものだよ」
旦那様は仕事でお世辞を仰らない。勿論、取引なんかの場面では別だろうけれど。結果に対するおべっかを使うことはない方だ。
そんな旦那様がこう仰るのだから、他のドールは違った性格なのだろうと思う。
思うのだけど、それじゃあどんな様子なのかと問われると想像もつかない。だってわたしにとってのドールはお嬢様だけだから。
「ところで、その子に名前はもうつけたのかね」
「えっ」
思わず手を止めて旦那様を見つめてしまった。
名前って……名前? わたしが? お嬢様に?
「想像もしていなかったという顔だね。主人は君なのだから名付けも君がしないと、その子は名無しのお人形のままだよ」
「す、すみません……!」
ずっとお嬢様って呼んでいて不便もなかったから、本当に想像もしてなかった。
「ああ、すまない。責める意図はないんだ。ただ、折角だからこの機会に、君からのクリスマスプレゼントということでどうだろう?」
「そう、ですね。考えてみます」
「うむ。名前が決まったら私にも教えてもらえるかな」
「えっ、は、はい、それは勿論。一番にお知らせ致します」
旦那様は「何だか孫娘を待つ気持ちだなあ」とほのぼのしておられる。
そして先程からお嬢様とラウルス様は黙々と召し上がっていらっしゃって、お皿にたっぷり盛り付けていたはずの料理が消えつつある。事前に旦那様からラウルス様は健啖家だと伺っていたけれど、これほどとは。
逆に旦那様はスープと温野菜サラダ、チキン一切れくらいしか召し上がらなくて、お年のこともあるけれど冬だから食欲も落ちていらっしゃるのかも知れない。あとで温かい紅茶を入れて差し上げよう。
「デザートのみかんのゼリーとブッシュドノエルです。ブッシュドノエルのほうにはオランジェットも添えてみました」
食事が終わり少し経った頃、お皿を下げるのと入れ違いにデザートをお持ちした。ゼリーの上にはスノーマンのアイシングクッキーと雪の粒を模したアラザンが乗っている。旦那様には蜂蜜を少し溶かした紅茶をお入れした。
それとブッシュドノエルも持ってきた。というのも、お嬢様とラウルス様が期待の眼差しを向けているような気がしたから。わたしの気のせいかもしれないけれど。
「よろしければ、旦那様も一切れ
「そうだねえ。折角だから頂こうか」
「では切り分けますね」
ケーキにナイフを入れるその瞬間を、二つの視線がじっと見守っている。お嬢様とラウルス様だ。ふわふわのスポンジにチョコレートクリーム、ケーキの上にはお店で買ったマジパンのサンタクロースと、手作りのチョコレートプレートがのっている。ブルーベリーとラズベリーを飾った丸太型のケーキは粉砂糖の雪化粧を纏って、冬のしんと冷えた空気と暖炉のある家庭の温かさを同時に伝えてくる。
お嬢様とラウルス様には少し大きめに、旦那様にはお味見程度に切り分けてお皿に載せ、それぞれ配分した。
「どうぞ。お口に合えば良いのですが」
「ありがとう」
「ありがとうございます。頂きます」
旦那様とラウルス様がお皿を受け取り、お嬢様は目の前に置かれたお皿――特に、ケーキの上に乗ったサンタの人形――に目を輝かせている。
デザートフォークをケーキに刺せば、ふわりと沈んでから優しく切り分けられた。スポンジの弾力も申し分ないし、クリームも美味しく出来たと思う。問題は旦那様やラウルス様の味覚に合うかどうか。中のクリームに刻んだラズベリーを入れてみて、甘すぎないようにしたんだけど。甘いほうが好きだったらどうしよう。
「これはラズベリーだね。チョコレートによく合っている。それにクリームもとてもなめらかだ。食事のときも思ったが、店で頂くものと遜色ない。いや、君にとっては調理も製菓も仕事なのだからプロの味というのは当然で、褒め言葉にはならないかも知れないが」
「そ、そんな、とんでもないです! 其処までお褒め頂けるなんて光栄です」
わたしにとって旦那様はいまでも雇い主様だから、そんな方から率直な褒め言葉を頂けるのは本当にうれしい。喜びと安堵と恐縮が一斉に襲ってきた。
「あ、わ、わたしも頂きますね」
ドキドキしながら待っていたせいで、自分で食べるのを忘れていた。
慌てて自分もケーキを頬張る。旦那様にお褒め頂いた安堵もあってじんわり甘さが胸に染みる。余ったクリームを味見したから、自分にとって美味しいことはわかっていたんだけど。
食後の紅茶も美味しい。パーティ料理は味が濃いものが多いから、紅茶が口の中をすっきりさせてくれた。
大勢で賑やかに過ごすパーティらしいパーティも楽しいけれど、こういうまったり過ごす温かなパーティもまた良いものだとしみじみする。
楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。
お嬢様はたくさん美味しいものを食べて眠くなってしまったようだ。こうしている姿は本当に人間の幼い子供と変わりない。
「すみません、旦那様。お嬢様を寝かせて参ります」
「ああ、行ってらっしゃい。君も私たちを待たずに休んでくれて構わないよ」
「それは……いえ、では、戻ったら寝室のご案内だけ致しますね」
「わかった。頼む」
お嬢様を抱き抱えたままお辞儀をし、一度食堂を辞した。旦那様たちは居間で暫し寛がれるそうなので、お嬢様をお届けしたら其方へ向かおう。
静かにクリスマスの夜が更けていく。
お嬢様は、いったいどんな夢をご覧になるのだろう。夢の中のお嬢様も現実と同じくらい、おしあわせでいらっしゃればいいのだけれど。
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