第5話 ダメ男、見栄を張る
「いらしゃいま――あ! 平良さんじゃないですか! こんばんはー」
BARのドアを開いたところで出迎えてくれたのは、店長の
彼は俺よりも少し年上の三十一才。誠司はいつも他のお客さんに俺のことを『仲の良い友達』だと紹介したりするが、実のところ、客としか思っていないのだろうと思っている。
俺はどうしてもビジネスが絡むと人を疑ってかかってしまうのだ。いつだってそう。長い付き合いだったりなら別だけれど。
とはいえ、毎晩のようにここへ飲みに来ているのは事実だし、別に誠司のことが嫌いというわけでもない。愚痴も聞いてくれるし、俺の自己顕示欲を満たしてくれる。そういう場所なんだ、ここは。ということを、付け加え忘れるような俺ではない。
「おっす、誠司さん。久し振りだな」
「ですよね、久し振り。お仕事で忙しかったとか?」
「そんな感じかな。今日もさっきまでレッスンをしに沖縄に行ってて。で、さっき帰ってきたところってわけ」
「相変わらず多忙ですねえ。まあ、いつものことですが」
多忙といえば多忙。確かにそうかもしれない。でも、暇といえば暇な時もあるんだ。ボイストレーナーの仕事は決して安定しているわせではない。依頼なんてそうそう簡単に来るわけではないから。不安定なんだよ。俺の場合、フリーで活動しているのだから尚更のことだ。
が、しかし。ここで見栄を張るのが俺である。
「確かにそうなんだけどな。でもさ、一ヶ月後にロサンゼルスに行かなきゃならなくなって。で、考えすぎてちょっと疲れてさ」
「え!? ロサンゼルス!?」
「そうそう。それで気分転換も兼ねてここに来たんだ。酒も飲みたかったし」
「それって仕事でですか!? それとも遊びに?」
「仕事というか、仕事絡みかな。遊んでる暇なんてあるわけがない。ちょっと海外で勉強したくてさ」
「それ、めっちゃカッコイイじゃないですか!」
そう。これだよ、これ。こういう反応が欲しかったんだよ。自己顕示欲を満たせる場所というのはそういう意味だ。
誠司に限った話ではなく、俺はいつだって忙しい、ということになっている。この店では。いや、全ての店でか。
「ねえ皆んな! 聞いて聞いて! 平良さん、今度仕事でロサンゼルスに行くんですって! めちゃすごくないですか!?」
一瞬にして、店内の雰囲気が変わり、他のお客さん達がざわめき始めた。
「え!? 平良さん! それマジ!?」
「すげー! やっぱ平良さんは違うわ!」
「お土産買ってきてくださいね! 皆んなに自慢したいから!」
他のお客さんから、次々に放たれる称賛の声。いやー、やっぱり気持ちがいいや。今日の内にここに来て本当に良かったと心から思った。
「いや、正確には仕事とは違うんです。有名なボイストレーナーがロサンゼルスにいるんですけど、数日間程、そこで修行に行くことにしただけで」
と、あくまでも俺は謙虚であることに徹した。そちらの方が好感を抱かれやすいから。
というわけで、俺はすっかり気を良くして、その場にいる全員に一杯ずつドリンクをご馳走することにした。
そして、俺は俺でジントニックを飲みまくった。記憶が半分程、飛んでしまう程に。
* * *
「平良さん、いつもありがとうございます! お会計は二万二千円です」
……は? 二万二千円? 嘘だろ? そんなにかかるのか?
ダメだ。飲みまくったせいですでに記憶が飛んでいる。
しかし、動揺が伝わってしまっては格好悪い。なので、俺は平然を装いながら誠司に三万円を手渡した。そして受け取る。八千円のお釣りを。
見栄を張るというのは、やはり良いことではない。見栄っ張りの性格が災いして人生をダメにしてしまう。それは俺に限ったことではない。
多かれ少なかれ、周りの人が抱く印象と本来の姿は、悪い意味で大きく違う。何かしらの無理が生じるものだ。
まさに、この様にして。
俺だってこんな自分を変えたいと、そう思っている。だかしかし、『見栄を張る』というのは癖になるんだ。仮にその場だけでも、強い自分になれるから。
そして、酔いが覚めれば『現実』に打ちのめされる。それでも、見栄を張るのはやめられない。ほとんど麻薬みたいなものだ。
店を出る直前に、誠司は言った。
「また来てくださいね。ロサンゼルス行きの話がどうなったか聞きたいですから」と。
それを聞いて、『この営業上手め』と心の中で悪態をついた。
別に誠司は悪くない。全て俺が悪い。なのに、悪態。心の中で留めたとはいえ、本当に勝手な奴だと自分を責めた。俺はこれを何度繰り返せば気が済むのだろうか。
「一万八千円しかなくなっちまった……」
今は散財している場合ではないのにな。我ながら呆れるね。まあ、過ぎたことを後悔しても意味がない。
家に帰ったら作戦会議でもしなくちゃ……。金策のな!
『第5話 ダメ男、見栄を張る』
終わり
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