第6話 不協和音
初めて魔族を倒してから、数日が経った。
俺たちは荒れた大地を進み続けている。
王都を離れてから、魔族の出現頻度が明らかに増えた。
「この先から、魔族の出没が増えます」
エドガーは地図を指でなぞった。
「街道を進めば安全ですが、視界が開けすぎている。森に入れば奇襲の危険がありますが、キャンプ地は確保しやすい」
俺は地図を覗き込み、少し考えた。
「……分かれよう」
三人の視線が、同時に俺に集まる。
「エドガーさんと俺が街道を進む。ヴェラとレインは森に入って、索敵とキャンプ地の確保を頼む」
一瞬の沈黙。
だが、誰も異を唱えなかった。
「では、夕方にキャンプ地で合流しましょう」
エドガーがそう言うと、ヴェラとレインは森の奥へと消えていった。
二人は何も話さず、ただ黙々と歩いていく。
「……やっぱり大丈夫ですかね? あの二人」
俺はエドガーに聞いた。
「ああ、心配ありませんよ」
エドガーは微笑んだ。
「二人とも、腕は確かですから」
俺は、森の奥を見つめた。
ヴェラとレイン。
二人とも強い。
だが、何か……空気が重い。
「では、行きましょうか」
エドガーに促され、俺は街道を進み始めた。
---
数時間後。
街道を進んでいると、前方に歪んだ影が立ち上がった。
「……魔族です」
エドガーが、声を落として言う。
「一体。ですが……大きい」
確かに。
これまで遭遇した個体より、一回りはある。
筋肉の盛り上がった胴体。
太すぎる腕。
地面を引っかくように伸びた、鋭い爪。
「アレン殿。お願いします」
「……はい」
剣を抜いた瞬間、魔族がこちらを認識した。
「ギャアアアア!!」
咆哮と同時に、距離が一気に詰まる。
速い――!
拳が迫る。
俺は半身になってかわし、返す刃で斬りつけた。
だが、
「っ――!」
金属を叩いたような衝撃。
刃が、弾かれた。
硬い。
嫌な感触が、腕に残る。
魔族は止まらない。
体勢を崩した俺に、もう一度拳を叩きつけてくる。
後ろへ跳ぶ。
地面を転がり、距離を取る。
「エドガーさん!」
呼びかけに、即座に応えが返る。
「はい!」
横合いから、槍が走った。
魔族の脇腹を捉え、肉に食い込む。
「ギャ――!」
一瞬の怯み。
その隙を逃さず、俺は踏み込んだ。
剣を振り下ろす。
肩口を裂く感触。
だが――浅い。
「ギャアアアア!!」
怒りのままに、魔族が突進してくる。
距離を詰められる。
間に合わない。
かわす。
かわす。
それだけで、精一杯だった。
倒れない。
逃げない。
――でも。
勝ち筋が、見えない。
エドガーが槍を構え、一歩前に出た。
「アレン殿、少しだけ――」
言い終わる前に、低い声が重なる。
意味は聞き取れない。
だが、空気が変わった。
次の瞬間、
俺は、自分の足が前に出ていることに気づいた。
――軽い。
違う。
軽くなったんじゃない。
「余計なものが、削ぎ落とされた」感覚だ。
避けられる。
考えるより先に、体が動く。
俺は踏み込み、剣を振るった。
刃が、今度は深く入る。
「ギャアアア!!」
魔族が吠える。
同時に、魔族の足取りが狂った。
踏み込みが甘い。
巨大な拳が、空を切る。
――さっきまで、こんな動きじゃなかった。
違和感を覚えながら、俺は攻め続ける。
剣を振る。
斬る。
距離を詰める。
横から、槍が走った。
エドガーの一突きが、魔族の脇腹を抉る。
魔族が膝をついた。だが、すぐに起き上がる。
ダメだ。
このままじゃ、また押し切られる。
――ああ、ライゼル様だったら。
一瞬で、終わらせているだろうな。
……待て。
俺は、何を見てきた。
剣の振り。
踏み込み。
間合い。
視線の置き方。
遠い昔に見た、あの剣技。
全部、頭に叩き込んだはずだ。
「……真似ろ」
自分に言い聞かせる。
考えるな。
思い出せ。
指先。
足運び。
体重の乗せ方。
「今だ――!」
首元に、確かな手応え。
だが――
「え?」
思わず、声が漏れた。
魔族の目が、赤く光る。
怒りで、理性を焼き切った目だ。
「アレン殿、危険です!」
エドガーの声が飛ぶ。
次の瞬間、魔族が全身の力を込めて踏み込んだ。
****
森の奥。
ヴェラとレインは、キャンプ地を探していた。
二人は、何も話さない。
ただ黙々と歩いている。
空気が、重い。
ヴェラが、ふと足を止めた。
そして、口を開いた。
「お前、ほんと何も喋らないよな」
「……」
「かっこいいとでも思ってるのか?」
レインは足を止めず、淡々と返した。
「別に」
「じゃあなんで黙ってるんだ」
「お前がうるさいから」
ヴェラの目が、鋭く光った。
「何だと?」
「威勢がいいだけだ」
レインは立ち止まった。
そして、冷たく言った。
「兄弟を殺されたんだろ。なら、騒ぐより冷静でいるべきじゃないのか」
沈黙が落ちた。
風が、木々を揺らす音だけが残る。
すでに――剣は抜かれていた。
どちらが先でもない。
気づけば、二人とも武器を握っている。
「殺す」
「やってみろ」
距離は、わずか数歩。
踏み込めば、確実に届く。
だが――
その瞬間
遠くで、地面を叩くような鈍い衝撃が鳴った。
ヴェラとレインが、同時に顔を上げる。
言葉はない。目だけで合図が交わされたように、二人は走り出した。
ヴェラは進路の枝を片手で叩き折り、木の幹を拳でこじ開けるようにして割り込み進む。
木屑が舞い、太い幹を押しのけるたびに空気が裂ける音がした。
レインは逆に、地面を踏む時間を捨てている。
枝から枝へ鳥のように飛び移り、足先はほとんど葉に触れない。 影が滑るように前へ出る。
進む方向も、速度も――ぴたりと揃っている。
ただし、会話は一切交わされない。
****
アレン視点
……何が、起きた。
視界が揺れている。
いや、違う。揺れているのは――俺だ。
「……っ」
頭が、ずきりと痛んだ。
遅れて、温かいものが額を伝っていく感覚が来る。
「アレン殿! 早く、意識を――!」
エドガーの声。
気づけば俺は、彼の背中に担がれていた。
血だ。
自分のものだと、遅れて理解する。
――そうだ。
正面から、あいつの攻撃を受けた。
鈍器のような拳。
防ぐ暇も、避ける暇もなかった。
「くそ……」
視線を動かす。
エドガーの肩越し、その先。
さっき倒したはずの魔族が、立っていた。
傷だらけの体で、怒りに歪んだ顔のまま。
「……まだ、動くのかよ」
魔族が、こちらを見た。
赤く光る目が、俺を捉える。
「ギャアアアア!!」
地面が鳴る。
一歩。
一歩ごとに、距離が詰まる。
エドガーは逃げている。
だが、重い。
俺を担いだままでは、間に合わない。
――もう、終わりだ。
そう思った瞬間。
空気が、裂けた。
二つの影が、同時に飛び込んでくる。
轟音。
衝撃。
視界を横切る、巨大な刃と、閃光のような軌跡。
一瞬だった。
ヴェラの大剣が、魔族の胴を真横から断ち割る。
遅れることなく、レインの双剣が、喉と心臓を正確に貫いた。
斬撃が重なる。
まるで、最初からそう決まっていたかのように。
魔族の体が、上下にずれて、崩れ落ちた。
地面に叩きつけられる音。
そして、沈黙。
エドガーが足を止めた。
俺は、息をするのも忘れて、その光景を見ていた。
速さも、間も、角度も。
二人の動きに、ズレが一切ない。
何度も共に戦ってきた者同士のような――
いや、それ以上だ。
「……すごい」
思わず、声が漏れた。
ヴェラとレインが、同時にこちらを見る。
「……息、ぴったり」
その言葉に、二人同時に反応する。
「は?」
「そんなわけ……」
「後ろ!!」
俺が叫んだ。
断たれたはずの魔族の腕が、痙攣するように動き、
胴体が、再び起き上がろうとしていた。
だが――
立ち上がる前に。
二つの影が、交差する。
重なるように、
――同時に。
音が、一つしか聞こえなかった。
今度は、完全に倒れた。
ヴェラとレインは、ほんの一瞬だけ視線を交わす。
次の瞬間には、互いに背を向け、
何事もなかったかのように、逆方向へ歩き出していた。
「……」
俺は、その背中を見つめていた。
息は、合ってる。
どう考えても。
でも――
本人たちは、絶対に認めないんだろうな。
少しだけ、そんなことを思った。
---
夜。
キャンプ地に、焚き火が灯った。
夜の森は静かで、火の爆ぜる音だけがやけに大きく聞こえる。
俺とレインとエドガーは、焚き火を囲んで腰を下ろしていた。
ヴェラは少し離れた木の上、枝に腰掛けたまま周囲を見張っている。
「今日の戦いは、なかなか骨が折れましたね」
そう言ってから、エドガーは少しだけ表情を引き締めた。
「……ちなみに、アレン殿」
「昼の戦闘で使った魔法のことですが」
「魔法、ですか?」
「はい。お気づきになりませんでしたか?」
エドガーは焚き火の方を見つめたまま続ける。
「体が突然軽くなったり、敵の動きが遅く感じられたり」
「……ああ」
少し考えてから、頷く。
「確かに……戦闘中は無我夢中でしたけど」
「使ったのは、疲労と恐怖の“揺れ”だけを抑える魔法です」
エドガーの声は淡々としている。
「力を与えるわけでも、傷を癒すわけでもありません」
「ただ、“本来出せる動き”を邪魔しないようにするだけ」
俺は、焚き火を見つめた。
「だから」
エルガーは静かに続けた。
「前に出たのは、魔法ではありません」
「アレン殿ご自身です」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
――軽かったのは、魔法のせい。
――踏み込めたのは、俺自身。
そう言われて、少し照れくさくなり、俺は焚き火に視線を落とした。 炎が揺れるたび、影が大きくなったり縮んだりする。
「そういえば、アレン殿」
焚き火を見つめたまま、エドガーが口を開いた。
「今日の戦い……途中から、動きが変わりましたね」
「変わった、ですか?」
「ええ。一瞬ですが――」
エドガーは首を傾げる。
「まるで、別の誰かになったような……そんな感じでした」
「そ、そうですか!」
俺は思わず身を乗り出した。
「実は……ライゼル様の真似をしてみたんです」
「ライゼル様?」
エドガーが、少し驚いた顔をする。
「戦っているところを、見たことがあるのですか?」
「はい。十三年前に一度だけ」
焚き火の中に、記憶が揺れる。
「勇者に選ばれた時、村のみんなの前で……」
「十三年前……」
エドガーは目を瞬かせた。
「よく覚えていますね」
「忘れられるわけないじゃないですか」
そう言いながら、俺は立ち上がった。
剣を抜く代わりに、素振りの動きだけをなぞる。
「こう……こうやって、踏み込んで――」
俺は少し大げさに体をひねる。
「いや、違う。さっきは角度、もうちょっとこう!」
自分で言って、自分で直す。
焚き火の前で、一人でブツブツ言いながら剣を振る姿は、
どう見ても真剣なのに、どこか間抜けだった。
「……ふふ。なんですかそれ」
エドガーが、ついに吹き出した。
「本気です! あの時、ライゼル様は――」
その瞬間――
肌の奥をなぞられるような感覚が走った。
空気が、わずかに張り詰める。 音は変わらない。森も静かなまま。
それでも―― 確かに、何かがこちらを見ている気がした。
「……?」
思わず、レインの方を見る。
「どうした」
低く、静かな声。
「……いや、なんでもない」
首を振ると、レインはそれ以上何も言わず、再び視線を焚き火へ戻した。 さっきの感覚も、いつの間にか消えていた。
――気のせい、か。
少しして、エドガーが声を上げた。
「ヴェラも、こちらへ来て休まれてはどうですか?」
木の上から、即答が返る。
「大丈夫だ。それより――」
ヴェラが、森の奥を指差した。
「見えてきたぞ」
俺たちは、同時に立ち上がり、その先を見る。
月明かりの下。
崩れた家屋。 焼け落ちた柱。
そこは、 人の気配を失った廃村だった。
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