第5話 荒れた大地
王都の門が、背後で閉じる音がした。
俺たちを乗せた馬車が、ゆっくりと動き出す。
馭者は国の兵士だ。国境近くまで送ってくれるらしい。
馬車の中には、俺とヴェラ、レイン、エドガーの4人。
ヴェラは窓の外を睨みつけるように見ている。レインは目を閉じて腕を組んでいる。
エドガーだけが、穏やかな笑顔で俺を見ていた。
「改めまして、よろしくお願いします。勇者様」
エドガーが丁寧に頭を下げた。
「あ、はい……こちらこそ」
俺は慌てて頭を下げ返す。
エドガーは本当に礼儀正しい。年上だからか、落ち着いた雰囲気がある。
「不安なことがあれば、何でも聞いてください。微力ながら、お力になります」
「あ、じゃあ……一つ、聞いてもいいですか?」
「もちろんです」
俺は少し迷ったが、ずっと気になっていたことを口にした。
「なぜ、俺たちだけで魔王討伐に行くんですか?」
エドガーが目を瞬かせた。
「と、言いますと?」
「国には、あんなにたくさんの兵士がいたじゃないですか。なのに、なぜ4人だけで行くんだろうって」
「ああ、なるほど」
エドガーは納得したように頷いた。
「それは、魔王城に結界があるからです」
「結界……?」
「はい。魔王城は強力な魔力の結界で守られています。選ばれし者――つまり勇者とそのパーティメンバーしか、中に入ることができません」
「そんなものが……」
「過去に一度、1万の兵で魔王城を攻めたことがあったそうです」
エドガーは静かに語った。
「ですが、結界を越えられず、魔王軍に壊滅させられました」
「1万も……」
「それ以降、勇者による少数精鋭での討伐が基本となったのです」
俺は息を呑んだ。
1万の兵でも、ダメだったのか。
「では、国の兵士たちは?」
「彼らは国境を守っています。魔王軍の小規模な襲撃は、今も続いていますから」
「なるほど……」
つまり、兵士は国を守る。俺たちは魔王を倒す。
役割が分かれているのか。
「あの、もう一つ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「魔王軍の幹部って……どれくらいいるんですか?」
エドガーは少し考えるような仕草をした。
「魔王軍には、かつて8人の幹部がいました」
「8人……」
「はい。ですが、前の勇者であるライゼル様が、そのうち4人を倒されたそうです」
俺は息を呑んだ。
ライゼル様が、4人も……
「つまり、残りは4人」
エドガーは頷いた。
「その4人を倒せば、魔王城へ辿り着けます」
「4人……」
「それぞれが非常に強力です。私たち全員で協力しなければ、勝つことはできないでしょう」
俺は拳を握った。
ライゼル様は、4人も倒したのに……
それでも、魔王を殺さなかった。
一体、なぜ……
「ありがとうございます。分かりました」
「いえいえ」
エドガーは微笑んだ。
俺は窓の外を見た。
王都の街並みが、徐々に遠ざかっていく。
緑の畑が広がり、平和な村が見える。
だが――それも、すぐに変わった。
馬車が進むにつれて、景色が荒れていく。
畑は枯れ、村は焼け焦げていた。
木々は黒く焦げ、地面にはひび割れが走っている。
「……ひどい」
思わず呟いた。
「魔王軍が通った跡です」
エドガーが静かに言った。
「ここは、かつて豊かな土地でした。ですが、何度も襲撃を受けて……」
「こんなことを……」
胸が痛んだ。
魔族は、こんなにも多くのものを奪っていったのか。
ヴェラが、ぽつりと呟いた。
「私の村も、こうなった」
俺は彼女を見た。
ヴェラは窓の外を見つめたまま、続けた。
「兄弟が殺された日。村は、燃えていた」
「……」
「魔族は、容赦しなかった。子供も、老人も、全員殺した」
ヴェラの声は、静かだった。
だが、その奥には深い怒りが滲んでいた。
「だから私は、魔族を一匹残らず殺す」
俺は、何も言えなかった。
馬車は、さらに荒れた大地を進んでいく。
道の脇には、骸骨が転がっていた。
人間のものだろうか。それとも、魔族のものだろうか。
もう、見分けがつかない。
数時間後。
馬車が止まった。
「前方に、何かいます!」
馭者の声が響いた。
俺たちは外へ飛び出し、周囲を確認した。
前方の茂みが、わずかに揺れる。
「……来る」
レインがそう言った瞬間、
灰色の肌をした魔族が三体、姿を現した。
赤い目が、こちらを捉える。
次の瞬間には、もう二体が倒れていた。
――理解が、追いつかなかった。
レインはいつの間にか魔族の間に立っていて、
双剣はすでに血に濡れている。
喉を裂かれた魔族が崩れ落ち、
心臓を貫かれたもう一体が、音もなく倒れた。
動きは見えなかった。
ただ、結果だけがそこにあった。
レインは振り返りもしない。
血を払うこともなく、剣を収める。
「アレン殿!」
エドガーの声で、はっとした。
最後の一体が、俺に向かって走ってくる。
距離が近い。近すぎる。
考える暇はなかった。
剣を握り、身体を横にずらす。
気づけば、刃が魔族の首元に食い込んでいた。
……止まらない。
嫌な感触が、手に伝わる。
骨か、筋か、それとも――
魔族は何か言おうとしたが、
声になる前に膝から崩れ落ちた。
地面に倒れ、動かなくなる。
俺は、その場から動けなかった。
……今のは。
剣を握る手が、震えている。
血が付いていた。
生温かく、粘つく感触。
初めて見た、
生き物の――死。
それなのに。
胸の奥が、妙に熱い。
ライゼル様も、
きっと、こうやって――
そう思った瞬間、
胸の奥に、言葉にできないものが湧き上がった。
これは、喜びなのか。
それとも――
俺には、まだ分からなかった。
「アレン殿、大丈夫ですか?」
エドガーが近づいてきた。
「あ……はい、大丈夫です」
エドガーは優しく微笑んだ。
「初めての戦闘、お疲れ様でした」
その時――
茂みが、わずかに揺れた。
「まだいるのか!?」
俺が叫んだ瞬間、
最後の魔族が飛び出してきた。
狙いは――ヴェラの背中。
「ヴェラ!!」
声が届いたかどうかも分からない。
一瞬だった。
ヴェラの姿が、ぶれた。
次の瞬間、
魔族の頭部が消えていた。
遅れて、血が噴き出す。
首から上を失った体が、何が起きたかも理解できないまま、前のめりに倒れた。
「……え?」
ヴェラは、すでに大剣を構え直していた。
呼吸一つ乱さず、
まるで最初からそこに立っていたかのように。
速い――
いや、それだけじゃない。
俺は思わず、見とれていた。
すごい……
これが、ヴェラの実力。
「ヴェラ、今の――」
声をかけようとして、
俺は、足を止めた。
ヴェラが、魔族の死体を見下ろしていた。
笑ってはいない。
だが――妙に、穏やかな顔をしていた。
「……」
何も言わず、
ヴェラは一歩、近づいた。
そして、大剣を突き立てた。
一度だけ。
深く、正確に。
血が、静かに滲む。
それで終わりのはずだった。
なのに――ヴェラは剣を抜かない。
「……見てたな」
ぽつりと、独り言のように呟いた。
俺の背筋が、ひやりとした。
エドガーが、軽く咳払いをする。
「……もう、十分でしょう」
ヴェラは、ゆっくりと剣を引き抜いた。
死体から目を離さないまま。
「分かってる」
淡々とした声だった。
怒りも、興奮も、ない。
ただ――
確認を終えたような声音。
レインは、何も言わずにその光景を見ていた。
視線だけを落とし、表情は動かない。
俺は、胸の奥に残った違和感を振り払うように、息を吸った。
ヴェラは、すでに剣を収めていた。
いつもと変わらない顔。
ただ任務を終えただけの、戦士の表情。
……なのに。
なぜか俺には、
ほんの一瞬――
笑っていたように見えた。
きっと、気のせいだ。
そう思おうとした。
でも、その違和感は、
胸の奥から消えてくれなかった。
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