第3話 選ばれし者
ライゼルが死んでから、2日が経った。
村は、沈黙に包まれていた。
誰も笑わない。誰も話さない。ただ、重苦しい空気だけが流れていた。
広場では、あの英雄譚の本が燃やされていた。
「こんなもの……!」
誰かが叫びながら、本を炎に投げ込む。
ページが燃え上がり、灰になっていく。
「嘘ばかりじゃないか……!」
勇者ライゼルの武勇伝。魔王を倒すはずだった英雄の物語。
それは全て、嘘だった。
俺は酒屋の窓から、その光景を眺めていた。
(ライゼル様は、何を考えていたんだろう)
分からない。
今わかるのは、ライゼルが魔王を殺すのをやめたこと。そして、自ら命を絶ったこと。
それだけだ。
なぜ、そうしたのか。
答えは、もう永遠に返ってこない。
ライゼルの葬儀は、昨日の夕暮れ時に行われた。参列者は少なかった。ガロンも、エドウィンも来ていた。だが誰も、何も語らなかった。俺は棺を見つめていた。蓋が閉じられ、ライゼルの顔はもう見えない。
「ライゼル様……」
誰かが泣いていた。
だが俺は、涙が出なかった。
ただ、胸の奥に重い石が沈んでいるような感覚だけがあった。
遺体は人知れず燃やされ、灰は風に流された。
英雄は、こうして消えた。
昼過ぎ。
俺が酒樽を運んでいると、村の入口から騒ぎが聞こえてきた。
「何だ……?」
外に出ると、村人たちが入口に集まっていた。
そこには、見慣れない集団がいた。
国の紋章を胸につけた兵士たち。
10人ほどの武装した男たちが、馬に乗ってこちらを見ている。
先頭に立つのは、白い髭を蓄えた老兵士だ。
「この村の長を呼べ」
低く、重い声。
村長が慌てて駆けつけた。
「わ、私がこの村の村長です。一体、何の御用で……?」
「国の命令だ」
老兵士は馬から降りた。
「新たな勇者を迎えに来た」
その言葉に、村人たちがざわめいた。
「勇者……?」
「まさか、この村に……?」
俺も驚いた。
(勇者? また、勇者が選ばれたのか?)
勇者は、国の占い師が選び出す。水晶玉を使い、24時間かけて国中を探索する。極めて困難な作業で、占い師は命を削りながらその役目を果たすと聞いたことがある。
ライゼルは、この村から初めて出た勇者だった。彼は極めて優秀で、剣の才能も魔力の適性も、全てにおいて天才だったと、エドウィンから聞いたことがある。
俺は人混みの後ろで、ぼんやりと考えていた。
(まあ、俺には関係ないけど)
俺はただの酒屋のバイトだ。勇者なんて、俺とは無縁の存在だ。
「村長」
老兵士が言った。
「占い師の水晶玉が示した場所は、この村だ。勇者は、ここにいる」
村長は慌てて周囲を見回した。
「し、しかし……見当たらなく……」
老兵士は村人たちを一人ずつ見ていく。
そして、その目が――俺の方で止まった。
「……あれは?」
老兵士が指を差す。
村長が俺の方を見た。
「あ……!」
村長の目が大きく見開かれた。
「あの者です!!」
村長が叫びながら、俺を指差した。
(……え?)
俺は反射的に後ろを振り返った。
誰もいない。
村長は、俺を指している。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
俺は慌てて声を上げた。
「俺は……俺はただの……!」
だが、老兵士はすでに歩み寄っていた。
そして――膝をついた。
「勇者様」
重々しい声。
他の兵士たちも、一斉に膝をついた。
「我ら、勇者様にお仕えします」
誰も、すぐには拍手しなかった。
だが――一人、また一人と、手を叩き始める者が現れた。
「勇者様だ!」
「アレンが勇者に!」
「おお……! 我々の村から、また勇者が!」
(は……? 何が起きてるんだ……?)
俺の頭は真っ白だった。
理解が追いつかない。
勇者? 俺が? なんで?
「待ってください! 俺は勇者なんかじゃ……!」
「国の占いは絶対です」
老兵士は立ち上がり、俺の肩に手を置いた。
「貴方が、選ばれたのです。アレン殿」
「で、でも、俺は普通の……酒屋のバイトで……!」
「関係ありません」
兵士の一人が、大きな箱を運んできた。
蓋を開けると、中には鎧と剣が入っていた。
「さあ、これを」
「ちょっと待って……!」
だが兵士たちは聞かない。
俺の服を脱がせ、重い鎧を着せ始める。
「やめ……重い! これ、重すぎる!」
「慣れます」
「慣れるって……!」
剣を手に持たされる。
人生で一度も、こんな重い剣を持ったことがない。
「ライゼル殿は……それを初日から、普通に振っていました」
「俺、剣なんて使えません!」
「訓練します」
「訓練って……!」
俺の声は、誰にも届かなかった。
村長が進み出た。
「アレン」
エドウィンも、ガロンも、村人たちも、俺を見ている。
「お前は、わしら全員の希望じゃ」
あの日、自分がライゼル様に向けていた期待と、同じ声だった。
だが、その言葉を聞いて、俺の中で何かが弾けた。
(……勇者に、なれる?)
(俺が?)
「頼む、アレン」
ガロンが言った。
「レナの……妹の仇を、取ってくれ」
エドウィンも頷いた。
「お前なら、できる」
村人たちが、口々に叫ぶ。
「勇者様!」
「魔王を倒してください!」
「世界を救ってください!」
そして、俺は気づいた。
(これなら……ライゼル様と同じ道を辿れる)
(ライゼル様が見た世界を、この目で見られる)
重い鎧。重い剣。
だが、俺の心にあったのは恐怖ではなく――
好奇心だった。
「……分かりました」
村人たちが歓声を上げる。
(ライゼル様。俺は、あなたの真実を知りたい)
(だから、同じ道を行きます)
村人たちが歓声を上げた。
老兵士が言った。
「では、これより王都へ向かいます。そこで訓練を受け、仲間を集め、魔王討伐へ向かっていただきます」
「仲間……?」
「ええ。勇者は一人では戦えません。貴方には、3人の仲間が選ばれています」
3人。
ライゼルも、3人の仲間と旅立った。
そして、全員死んだ。
俺の背筋が、冷たくなった。
「出発は、明日の朝です」
老兵士はそう言って、去っていった。
村人たちも、次第に散っていく。
俺は、重い鎧を着たまま、その場に立ち尽くしていた。
剣を握る手が、震えている。
(俺の、人生が……)
ライゼルを尊敬していた。
憧れていた。
いつか、あんな風になりたいと思っていた。
だが、まさか本当に勇者になるなんて。
しかも、ライゼルが失敗した後に。
(……できるのか? 俺に)
答えは、分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
ここから、俺の人生は大きく変わる。
もう、元には戻れない。
夕陽が、村を赤く染めていた。
俺は、重い剣を見つめた。
ライゼル様の旅は、ここで終わった。
だが――
俺の旅は、今始まろうとしている。
明日から、俺は勇者になる。
魔王を倒すために――ではない。
ライゼル様の真実を知るために。
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