第2話 崩れゆく英雄譚
「……ライゼル殿?」
村長が恐る恐る口を開いた。
広場を包んでいた祝賀ムードは、一瞬で消え失せていた。村人たちは顔を見合わせ、誰も声を出さない。
「倒してない、とは……どういう意味ですかな?」
村長の声は震えている。
ライゼルは笑顔のまま、酒瓶を傾けた。
「そのままの意味だよ」
ガハハ、と笑い飛ばす。
「魔王は生きてる。俺は倒してない。簡単な話だろ?」
広場が、凍りついた。
俺は人混みの後ろで、ただその光景を見ていることしかできなかった。
(何を、言ってるんだ……?)
ライゼルの笑顔は、まるで全てを諦めたような、そんな笑い方だった。
「おい、ふざけるな!!」
突然、大柄な男が群衆の中から飛び出した。
村の鍛冶屋、ガロンだ。筋骨隆々とした体に、いつも厳しい顔をしている。
「それはどういうことだ、ライゼル!!」
ガロンはライゼルの胸倉を掴み、持ち上げた。
ライゼルは抵抗せず、ヘラヘラと笑っている。
「いやー、だから言った通りだって。魔王は倒してないよ」
「お前が魔王を倒すんだろ! お前、どのツラ下げて帰ってきた!!」
ガロンの怒鳴り声が響く。村人たちは息を呑んで見守っている。
俺も、動けなかった。
(ライゼル様……)
その時、ライゼルの表情が変わった。
笑顔が消え、死んだような目がガロンを見つめる。
「……じゃあお前がやれば良かっただろ」
低い声。
ガロンの動きが止まった。
ライゼルの目には、何の光もない。ただ、深い闇だけがあった。
「お、俺は……」
ガロンが少しだけ怯む。だがライゼルの目の下にある深いクマを見て、再び叫んだ。
「お前は俺たちの希望だったんだぞ! 村中が、いや、国中がお前を信じてたんだ!!」
「静かにしろ」
老人の声が響いた。
さっき広場で本を読みかせていた、あの老人だ。杖をついてゆっくりと歩み寄る。
「ガロン、落ち着け」
「ですが、マスター・エドウィン!」
ガロンは老人――エドウィンを見て、拳を震わせた。
エドウィンはライゼルを見つめた。その目には、悲しみが浮かんでいる。
「ライゼル」
「……なんだよ、爺さん」
「お前の"仲間"は、どうした?」
その問いに、広場全体が息を呑んだ。
ライゼルは13年前、3人の仲間と共に旅立った。
魔法使い、僧侶、そして女剣士。
彼らは村の誇りだった。
ライゼルは、しばらく黙っていた。
風が吹く。
誰も何も言わない。
ライゼルは酒瓶を地面に置いた。
「……死んだよ」
静かな声だった。
「全員、死んだ」
ガロンの手が、ゆっくりとライゼルの胸倉から離れた。
ライゼルはよろめきながら一歩下がる。
「そんな……」
村人たちがざわめく。
「3人とも……?」
「嘘だろ……」
ガロンは膝から力が抜けたように、その場にへたり込んだ。
「レナは……俺の妹のレナは……」
その声は、震えていた。
ライゼルは無表情でガロンを見下ろした。
「ああ、レナも死んだ」
ガロンの顔が歪む。
「お前……お前が守るって……約束したじゃないか……」
「守れなかった」
ライゼルは淡々と答えた。
「俺は、何も守れなかった」
俺は胸が締め付けられるような思いだった。
(ライゼル様……一体、何があったんだ……)
エドウィンが、ゆっくりと口を開いた。
「魔王は、そんなに強かったのか?」
ライゼルは一瞬だけ黙っていた。
そして――いつものヘラヘラした笑顔に戻った。
「あー、強かったよ! めちゃくちゃ強かった!」
明るい声。だが、目は笑っていない。
「でもさ」
ライゼルは酒瓶を拾い上げ、残りを飲み干した。
「殺せなかったんじゃない。殺さなかったんだ」
広場が、再び静まり返った。
ガロンが顔を上げた。
「……何だと?」
「だから、"殺さなかった"んだよ。俺が」
ライゼルは笑っている。
「魔王を、殺さなかった」
「てめえ!!」
ガロンが立ち上がり、拳を振り上げた。
だがエドウィンが、無言でガロンの腕を掴んだ。
「離してください、マスター! こいつは……こいつは!!」
「待て、ガロン」
エドウィンの声は静かだが、力強かった。
「ライゼル。お前ほどの男が決めたことだ。何か、理由があったんだろう?」
ライゼルは、エドウィンを見た。
そして、笑った。
「理由? ああ、あるよ」
酒の匂いが漂う。
「でもさ、お前らには分からないよ」
ライゼルは踵を返した。
「俺にも、もう分かんねえんだ」
そう言って、ふらふらと歩き出す。
「ライゼル!!」
ガロンが叫ぶが、ライゼルは振り返らなかった。
広場の人々は、ただ呆然とその背中を見送った。
お祭り騒ぎだった広場に、静寂だけが残った。
俺は、立ち尽くしていた。
(ライゼル様……)
崇拝していた。
誰よりも理解していると思っていた。
完璧な勇者だと信じていた。
でも今、俺の胸にあるのは――
困惑だけだった。
(分からない……)
(なぜ、魔王を殺さなかったんだ?)
(なぜ、あんな顔をしているんだ?)
(俺が知っているライゼル様は、こんな人じゃなかった……)
理解できない。
どうしても、理解できなかった。
その夜、俺は眠れなかった。
ライゼルの目が忘れられなかった。
あの、死んだような目が。
翌朝。
俺は酒屋の開店準備をしていた。
「アレン! ちょっと来てくれ!」
親父の叫び声が響いた。
ただならぬ様子に、俺は慌てて外へ飛び出した。
「どうしたんですか!?」
「宿屋の裏に……」
親父の顔は青ざめていた。
俺は宿屋へ走った。
裏手には、すでに人だかりができていた。
村人たちが、何かを見て呆然としている。
俺は人混みをかき分けた。
そして――
「……っ!?」
息が止まった。
そこに、ライゼルがいた。
首にロープが巻かれ、木の枝から垂れ下がっている。
目は開いたまま。
だが、そこには何の光もなかった。
「ライゼル様……」
誰かが呟いた。
俺は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
勇者ライゼル。
世界を救うはずだった男は、こうして命を絶った。
そして俺たちには、何も残されなかった。
魔王は生きている。
仲間は全員死んだ。
そして勇者は、自ら死を選んだ。
希望は、完全に潰えた。
風が吹く。
ライゼルの体が、わずかに揺れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます