1-07『目覚める闇堕ちヒロイン』
まるで反応できない俺を庇ったのは、もちろん従者であるヤミだった。
ずん、――と沈むような重い音。
それを聞いたとき、すでに視界はヤミの背が覆っていた。
「――ふっ!」
「チッ――!」
短い呼吸音と、それに応じるような舌打ちの音。
直後に舌打ちをした側――さきほどまで眠っていた少女が背後へと跳んだ。
いや、正確にはヤミが弾き飛ばしたのか。
記憶を巻き戻してようやく理解できたさきほどの交錯。
そうだ。忘れていたが、俺が治した幼い少女とは別にもうひとり、ひとつ隣にあるベッドには同い年くらいの少女が眠っていた。
その少女は急に目覚めるなり、俺に向かって殴りかかってきた。それを咄嗟に庇うように防いだヤミが、少女の殴打を両腕を交差させて止めた――どころか、その腕を開く勢いで、逆に奥へと弾き返したのだ。
少女は空中で丸くなり、くるくる器用に回転しながら着地する。
おそろしいまでの身のこなしだった。鍛えられた護衛――要人警護のような動きとヤミをたとえるなら、対する少女は体操選手のそれか。
いずれにせよ、現実的にたとえるには、現実味に欠けた美しい機動だ。
薄暗い地下室で、肩ほどの長さの
その、寝起きとは思えないほど艶やかな髪が夕焼けのそれなら、こちらを睨む鋭い双眸は――遠くの太陽よりなお熱い、すぐ傍で燃える焔だった。
「……え……?」
その容貌にあまりにも見覚えがあって、思わず俺は息を漏らした。
だが戦闘状態に入っている少女ふたりは、そんな俺の自失など意に介さない。
「――なんの、つもり……?」
ふと。赤い眼をしたオレンジ髪の少女が問うた。
その眼がこちらに向けられている以上、たぶん俺に対する問いだったのだろうが、何を答えるよりも先に、口を開いたのはヤミのほうだった。
「それはこちらの台詞ですね。なんのつもりでしょう」
「は。アンタらみたいなの、何をされたところで文句は言えないと思うけどね!」
「……獰猛なだけの野犬は好きませんよ」
「ちょっと噛みつかれた程度で怒り心頭とか、そっちこそ余裕がないんじゃないの? こんなところにいる割には、思ったより考え足りてないね」
「口が減りませんね。――躾がいるようです」
腕を振るい、そして軽く構える。
そのヤミの右手には、いつの間にだろう――気づけば小刀が握られている。
奥のほうへ吹き飛んだ赤い眼の少女も、それを見て本気を感じ取ったか。今度こそ牙を立てると決意するように、双眸を冷たい炎に染めていく。
「ちょ、ちょちょっ、――ちょっと待て!」
そこまで見て取ったところで、ようやく俺にも口を開く余裕が戻ってきた。
なんだかすっかりいないものとして扱われていた気がするが、こんなところで戦う理由などひとつもないし、そんな時間はもっとない。
今は何より、もっとマトモな場所に助けた少女を連れ出すほうが先決だ。
「はぁ? ――あんた誰よ?」
へえ喋るんだこの置物、みたいな口調で乱雑に問われる。
それだけで目の前のヤミが輪をかけてキレた気配がしたけれど、メイドとして主に対する暴言を我慢できない気持ちも今は抑えてほしい。ありがとね本当。
でも今じゃない。
「……そっちにもいろいろ事情はあるだろう。だがまずは話を聞いてくれ」
「話、って……この状況で、何を今さら――」
「いやたぶん勘違いしてるんだろうけど! アンタを攫ってここへ連れてきたのは俺じゃない、別の奴だ! 俺は、ここに閉じ込められてる奴を助けにきただけだ!」
「――はいぃ?」
ぴくり、と。形のいい眉を片方上げて、訝しむように首を傾げる。
そんなことだろうと思っていた。
なにせ彼女はたった今、目が覚めたばかりだ。勘違いしても仕方がない。
――だが。
少しの間のあと、彼女は吐き捨てるように。
「なんだい、それ。そんな悪党ヅラしてちゃあ信じられるわけないだろう!?」
「あ――悪党ヅラぁ!?」
「あれ? あ、自覚なかったの? ……なんかごめん」
「おい謝るなよ!? 逆に効くだろそれなんか!」
「うん、じゃあ謝らないけれども。だって性格の悪さが顔面に滲み出てるよ、キミ。誰が見てもわかるくらいの、意地の悪いクソ貴族そのものって感じするよ」
「な……なんだとぅ……!?」
そこまで言われるとさすがにショックだ。
アロルドだって顔面だけならかなり整っている感じだし、今の中身はもう俺だ。
これで性格の悪さが滲み出ていると言われたら、それはもうまっすぐ批判の対象は俺自身。原作アロルドだって初対面でここまでは言われてなかったはず……!
「お、おいお前! さすがにそれは失礼だろ!? 親御さんに恥ずかしいと思え!」
「なっ……なんだとぅ! なぜぼくがキミなんかに礼儀を持たなくちゃならないっていうんだい!」
「親しき仲にも礼儀ありって知らないのか!? 初対面ならより敬意が必要だろ!」
「そんなの知らないよ! というかキミだって大概、失礼じゃないか! もうなんか空気からして失礼じゃあないかっ!!」
「こっ、こいっつぅ……っ!!」
仮にも助けに来てやったというのに、この扱いには俺だって物申したい。
いや、別に見返りを期待していたわけじゃないけど。だからって冤罪を受け入れる覚悟までは持っていない。
思わず口をパクパクさせる俺。その横で、ヤミがひと言。
「おや。意外と見る目のある犬です」
「ヤミさん? あれ? なんでそっちについたの?」
「なんのことやら」
しれっと言うヤミ。あの、無口で従順なメイドという設定でしたよね貴女?
なんで肯定しちゃってんだよ。暴力はダメでも暴言ならオッケーって基準なの?
なかなか裏切られた気分になる俺。一方で少女は苛立つように頭を揺らして、
「ああもう。……剣があれば、こんな連中……!」
「――!」
その言葉を聞いて、俺はさきほどの既視感をもう一度思い出した。
そうだ。絶対に見覚えがあるとは思っていた。ただやっぱり現実になったリアルな人間の顔を見ると確信までは持ちづらい。
それでもこの強気な性格に、ヒトの話を聞かない思い込みの強さ、特徴ある口調に――何より剣の話題まで出ればもう間違いない。
彼女は原作の登場キャラクターだ。
名をアビゲイル=ウィンベリー。
原作序盤で主人公のパーティに加入することになるヒロイン級のメインキャラ。
にもかかわらず、アロルドと同じく全てのルートで主人公を裏切り、敵に回して、そして必ず命を落とす――いわゆる闇堕ちヒロインというヤツだ。
驚いた。まさかこんなところで彼女と出逢うなんて。
このゲームは選択によってシナリオのルートが変わるため、分岐次第で登場人物の生死も変わってくる。アロルドやヤミ、そして目の前のアビゲイルのように、全てのルートで必ず死ぬ運命を背負ったキャラのほうが珍しいのである。
しかも最初から敵であるアロルド(とヤミ)はともかく、彼女――ファンがつけた愛称でアビ子――は、初めは主人公の味方キャラにもかかわらず生存ルートがない。
原作でかなりの人気キャラだったから、ヒロインとしての固有ルートがないことで若干ちょっと炎上したまである。まあ一部の厄介ファンが騒いだけだが。
それでも、あとになって発売されたリメイク版ですらヒロインに昇格することなくしっかり助からないのだから、『Cross Lord』製作スタッフも頑固ではあった。
――もちろんストーリーの展開上、仕方ない部分もあるのだが。
「とにかく。悪いけど、ぼかぁこんなところで捕まってられないんだ。邪魔するならキミたちにも痛い目に遭ってもらうよ」
彼女――アビゲイルは言う。
いや、こんな話を聞かない奴はもうアビ子でいいだろう。
俺の言っていることが本当かもしれない、とは思っているはずだが。もし嘘だったときに面倒だから、殴り倒してしまえばいいと短絡的に考えているのだろう。
原作でも出番の多いキャラだったから、そういう奴であることはよく知っている。
「……ふぅ」
仕方なく、俺は息をつく。
こんなに話を聞かない以上は、こちらにも考えがあるというもの。
というか俺も、あそこまで正面から罵倒されたら少しくらい思うところはある。
性格が悪いと言ったのは相手のほうなんだし。それなら期待に応えよう。
――あまり設定厨を舐めないほうがいい。
「わかったよ。どうあれ俺の言うことは聞かないわけだな、――アビ子」
「アビ子!? アビ子ってなんだよ! ぼくの名前は――待って、なんでぼくの名前を知ってるんだ!?」
「名前以外もいろいろ知ってるぞ。たとえば、そうだな。スリーサイズとかも」
「は――はいぃ!? す、スリーサイズって……!?」
「なんなら試しに言ってやろうか? お前は上から79――」
「ちょっ、ばっ――な、何をしてるんだぁ!? ちょ、や、やめ――」
「――よし今だヤミ」
「ええ」
その瞬間。
俺が話している隙にしれっと距離を詰めていたヤミが、低い姿勢をして這うようにアビ子に近づき、その顔の前にすっと右手をかざして――。
「《
小さく呪文を呟くと同時、ふっと力を失ったようにアビ子がパタリと倒れ込む。
それを小さな体で受け止めると、ヤミはこちらを振り返って。
「――これでよろしいですか?」
「よろしいよ。ありがとう、さすがヤミ。今のは昏睡の命術?」
「……ええ、見ての通り」
まあ漢字で書いて普通に発音すると見分けがつきづらいのだが、回復や補助などを除いた魔法っぽい技術は、基本的に全て
違いは消費するものがMPではなくHPであること。
また詠唱も、冥術が日本語による《聖句》なのに対して、命術はオリジナルっぽい不可思議なカタカナ語の《呪文》である。
……そういやこの世界ってしっかり日本語で喋ってるんだよな。その辺りってどうなってるんだろう、いったい……。設定上はそういうわけじゃないはずだけど。
「それより。アロルド様こそ、今のはいったい?」
「ん――」
昏倒したアビ子を支えるヤミに、問われて思わず返答に詰まる。
なぜ名前やスリーサイズを知ってるんだ、ということを訊きたいのだろう。そこは一応の言い訳があるけれど、少なくとも今は後回しだ。
「ま、あとでな」
「……私のスリーサイズもご存知なのですか?」
「……いやヤミのは知らない」
思いっきり嘘だった。スリーサイズまでしっかり暗記している。
俺は割と記憶力には自信があるのだ。とはいえ、初対面の女の子のスリーサイズをいきなり言い始めただけでも充分アレなのに、これ以上の罪は重ねられない。
そうして話を流した俺に、こくりと頷いてヤミは言う。
「では、あとでお教えしますね」
「いらないよ!?」
首を振る。別に趣味で覚えてるわけじゃ――いや趣味で覚えてるんだけど。それはちょっと語弊があるから。あくまで設定を覚えてるだけ。マジで。
そんなことより、今はここから出るべきだろう。
――ここはあまりにも血の匂いが濃い。こんな場所に留まり続けるのは、肉体にも精神にも毒だろう。少なくとも、さきほどの少女はさっさと連れ出してやるべきだ。
「そっちの子は俺が背負って出るよ。ヤミはこっちの小さい子を頼む」
「……、了解しました。私のほうが力はありそうですが」
「かもしれないけど別にいいよ。女の子に力仕事を任せたら体面が悪いだろ」
「…………」
「……なんか意味深な無言じゃない?」
「いえ。それより、このあとはどうしましょうか」
ヤミに問われて少し考える。
まずは意識のないふたりを安全な場所まで送りたいが――。
「まともな癒者って――」
「まともな癒者はラヴィナーレと関わりません」
「……だよね。なら仕方ない、屋敷に連れて帰ろう。部屋は余ってんでしょ?」
「アロルド様がよろしいのであれば」
「じゃあそれで。あとのことは教会に連絡して任せようぜ。……あ、でもその前に、この子の剣ってどこかにないか? 一応それだけ持って帰ってやりたいんだけど」
彼女が持つ剣は、このゲームの根幹に関わる重要な武器だ。
本編でもきちんと持っているのだから、今ここでなくなっているはずがない。この近くのどこかに隠してあると踏んで、とりあえずヤミに訊ねてみた。
彼女は答える。
「その、部屋の端に立てかけてあるものでは?」
「ああ――それだ。これもいっしょに持って帰んないとな。失くしたらキレられる」
俺はヤミからアビ子を預かって、背中に負ぶさる。
それから壁際に無造作に立てかけてあった彼女の剣を拾った。
聖剣《ソルクレイヴ》。
太陽を裂くもの――という意味を持つそれは、かつて魔王を倒した聖剣だ。
この時代から少しだけ昔。六代魔王と呼ばれた存在を倒し、暗黒時代を終わらせた勇者――つまりアビ子の祖先が育て上げた剣であり、いずれこのゲームの主人公へと渡ることになる世界最強クラスの武器のひとつ。
そう。全てのルートでアビ子が死ぬシナリオ上の理由が、つまりコレだ。
最強の聖剣の所有者であること。
それを主人公へと受け継ぐためには、アビ子が死ぬしかない。そんなメタ的な理由だけで、彼女はゲームでも最も不遇なヒロインとして愛される羽目になっている。
つまりルート次第で俺の死因なんだよな、この聖剣。
アビ子とアロルドのどっちが先に死ぬかはルート次第なんだけど。場合によってはこれに斬り裂かれて死ぬのだと思うと、なかなか不吉に感じる。
――お互い大変だね、ホント。
そんなことを考えながら、ヤミと連れ立って部屋を出る。
その最後。俺は血みどろの室内を振り返り、そしてこの惨状を作った人間のことも同時に思い出していた。
ジェイ=サロス。
俺は彼のことを設定しか知らない。
だから決して同情なんてするべきじゃない。
そうしないほうを、選んだのだから。
それでも、――それでも彼のフレーバーテキストが頭に浮かぶ。
原作でも詳細には語られず、この世界でも結局は知らずに終わるだろう、ひとりの男の物語。ただ文字列としてしか認識できない、それでも確かにいた人間の過去。
それは――。
【ジェイ=サロス 男性 28歳】
【教会から正式な認可を受けずに活動する闇癒者。かつて男は癒者として、薬を作り患者を癒すことにまっすぐな喜びを覚えていた。しかし男の立場では高位の冥術薬を作成する知識など手に入れられない。男は救えなかった者の人数だけを数え続けた。その背後から、助けられなかった誰かが問い続ける。なぜ。なぜ――。やがて冥術の知識を独占する教会に翻意を抱くようになった男は、強力な薬を作成するために人体実験を繰り返すようになる。いつしか男の心からはかつての正義感が消え去り、ただ薬の改良だけを求めて、身寄りのない人間や親を亡くした子ども、闇にしか頼れない患者などを実験材料に治験を繰り返し続ける亡者となった。彼の診療所の地下には、今もその犠牲となった者たちが囚われ続けている。彼の瞳に、もはや魂は映らない。誰の声も耳に届かない。救えなかった者も、救わなかった者も等しく。その心を癒す薬だけは――まだ誰も作ったことがないのだから。】
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