1-08『二度目の目覚め』
――屋敷に帰ってくるなりアロルドは倒れ込んだ。
限界だったのだろう。部屋に着くなり疲れ切った様子でベッドに倒れ込んで眠りに就いた。
いくら術で回復しようと元々がボロボロだ。アロルドの使う《
剣士風の少女――なぜか主が名前を知っており、確かアビ子だったか――を、この屋敷までしっかり背負って連れてきただけでも褒められていい気合いだ。
昨日までのアロルドからは本当に想像できない姿だった。
「さて。珍しく、お客様が多いですね」
つまりやることが多い。
まずは教会へと連絡してサロスを引き渡しつつ、診療所の地下室について教える。
悪名高いラヴィナーレ家からの連絡にはいい顔をされないだろうが、今回ばかりは事態が事態だ。教会も動かざるを得ないはず。
こうなれば市井の癒者ではなく、教会専属のしっかりした冥術師を屋敷に招くのも不可能じゃないが、その辺りはアロルドと相談だろう。少女ふたりを教会に預けず、わざわざ屋敷まで連れ帰った辺り、アロルドには何か深い考えがあるはず。
いるかもわからない犠牲者を助けに行くと言い出した辺りからも、おそらく彼には何かヤミには見えていないものが見えているのだろう。
その邪魔はできない。勝手に教会の人間を招くのは避けるべきだと判断した。
幸いヤミが見る限り、アロルドの術自体はしっかり発動していた様子だ。
確かに雑さこそあったが、体のほうはアロルドも少女も問題ないように思われる。
「あとは……目が覚めたあとの食事、ですか」
久々に、腕によりをかける機会が来たな、とヤミは思った。
そのことが自分でも意外だ。
昨日まではメイドとしての仕事が多いことに喜びなんてなかったはずが、我ながら現金なものだとヤミは思わず苦笑してしまう。
アロルドという男に仕えることに、――嬉しさに似た感情が湧き上がっていた。
「……いいの、かな?」
丁寧語が崩れたのは何年振りか。
期待なんて持たない。願いなんてあり得ない。
ただ在るものをそのまま受容する以外に生きていく方法なんて知らない。
望んだわけでもないメイドの立場に置かれた現実を、諦めによって受け止めるのがヤミのこれまでの方法論だった。
上も下も見ない。ただ《そういうもの》として受け入れる。
――考えたこともなかったのだ。
自分の主が、本当に、心の底から慕って仕えられる存在になってくれるなど。
だって期待したら、裏切られたときに傷を負う。
その繰り返しに耐えられるほど、ヤミは自分を過信できなかった。
それが時に致命的な痛みになることを――少女は幼くして学んでいたのだから。
けれど。
今のアロルドだったら。
「期待しても……、いいんですか? アロルド様……」
誰も聞いていないことを確信した上で、意を決して言葉を紡ぐ。
胸の中に湧く、むず痒いようなおかしな感触は――けれど決して不快ではない。
――その視線の先で。
少女の主は、アホみたいな顔をしてぐぅぐぅ眠りこけていた。
※
「――ぉあ?」
目が覚めると知らない少女の顔が目の前にあった。
俺の瞳が薄く開くのを見て、幼い少女の顔がぱあっと華やいでいく。
「おはよう、お兄ちゃんっ!」
「……えっ誰?」
「わたし? わたしはね、ティーヌ=アクロイドだよ! ティーって呼んでっ」
「……そっか。じゃあおはよう、ティー」
「うんっ!」
ニコニコと心底から嬉しそうな表情で少女――ティーははにかんだ。かわいい。
色素の薄い白に近い銀髪と、宝石みたいに真ん丸な水色の目が顔の近くだ。ホンマかわいい。
何が楽しいのか「えへへへぇ」と声を漏らしつつ俺を眺めて――マジかわいい。
――じゃねえわ。
なぜか知らないがティーとかいう少女が当たり前に俺に乗っているため、仕方なく動くのを諦めて周囲の様子を見渡した。
窓の外が暗い。ということは夜だろう。帰宅してからそれなりに時間が経っているみたいだ。ただ部屋に時計がないため正確な時間はわからない。
俺はベッドで毛布をかけられて仰向けで眠っていた。
確か覚えている限り、屋敷に戻ってきたときには全身が恐ろしい脱力感に襲われていたため、ベッドに辿り着く直前くらいでぶっ倒れたんじゃなかったか……?
たぶんヤミがきちんと寝かせてくれたのだろう。ありがとう本当。
わからないのは、見知らぬ銀髪の少女が俺に乗っかっている理由で――あ、いや。
そうか。この子は、診療所の地下で助けた子か。
この銀髪には見覚えがある。ずっと苦しそうな表情で眼を瞑っていたから、咄嗟に思い出すことができなかったけれど。目覚めてみれば元気で愛らしい少女だった。
「思い出した。もう体は大丈夫なのか? 痛いとか苦しいとかは……」
「ぜんぜんだいじょぶっ。ティーは元気だよっ」
「そっか。それならよかった」
「えへへへ。お兄ちゃんがわたしを助けてくれたんだよね?」
「――――――――」
俺は、あの地下室のおぞましい光景を思い出す。
ただの投薬実験だけなら、あそこまで終わり切った光景にはならないだろう。
そんな場所にいた少女が今こうして笑えていることは、俺にとっては確かに救いとなる事実だ。……本当によかった。本当に。
「本当にありがとう、お兄ちゃん!」
と、ティーは言う。なんだかその言葉に救われたような感覚があった。
なぜか視界が滲んでくる。自分でも止められない何かのせいで。
たぶん、実感がなかったのだ。
なまじよく知っているゲームの世界だったせいで、どこか気楽に、馴染んだもののように受け止めてしまっていた。そうじゃないのだと突き放されるまでは。
――それでも俺は、これからこの世界の中で生きていくことになる。
その覚悟が、ティーの言葉でようやく定まったような気がした。
「うん。……よかった。俺もティーが助かって、嬉しい」
「……お兄ちゃん、泣いてるの……? もしかして、どこか痛い……?」
潤んだ瞳と震える声。そんなものを見せてしまったせいで心配をかけてしまった。
俺は首を振り、違うよと幼い少女に告げる。
「そうじゃないよ。嬉しかっただけ。ティーが元気だから」
「そうなの?」
「そうだよ」
「……えへへへ。わたしね、怖い人に捕まったあとのことはあんまり覚えてないんだけどね。でも……お兄ちゃんが『がんばれ』って言ってたのは聞こえたよ」
――あれはお兄ちゃんでしょ?
そう言って小首を傾げる少女に、うん、と俺は頷いた。
「よくがんばった。偉いぞ、ティー」
「えへへへ。ありがとう、お兄ちゃんっ!」
――かわいっ。いやかわいい。本当かわいい。何この子めっちゃかわいいです。
俺はもしかして子ども好きだったのだろうか? と少し考えるが、別段そんなことなかった気がする。とすると、これは単にティーがかわいいだけじゃないの?
まあ俺の上に乗ってる意味は本当にわからないんだけど。
どうしたものか。
一応は俺も怪我人なのだが、人懐こく笑うティーに降りろと言う勇気はなかった。
もしそれで悲しそうな顔でもされたら俺が泣いちゃう。どうしよう、なんか勝手に親みたいな気分にすらなり始めている。これが……父性か……?
などとアホなことを考える俺に、ふと冷や水をかけるような声がひとつ。
「何をしているんですか、アロルド様」
「――うぉおぉぉいっ!?」
思わず変な声を出してしまう俺。
そんな様子がツボに入ったのか腹の上でティーがけらけら笑うが、もはや俺はそれどころではない。
ハッとして顔を部屋の入り口側に向けてみれば、そこには今や見慣れてきた冷たくクールな無表情がひとつ。
「ヤ、ヤミか……いらっしゃい?」
「問題です」
「問題ですか!?」
それは俺が推定十歳前後の幼女と同衾しているからですか!?
いや違うんです誤解なんです、と頭の中でぐるぐる言い訳を巡らせる俺に、ヤミはいつも通りの淡々とした平坦な口調で。
「なぜアロルド様は十歳の女の子と同衾しているのでしょうか?」
「俺の頭の中読んだ!?」
「違います」
「違ったら違ったで怖い!」
「答えは、私が行ってきなさいとその子を送り出したからです」
「へ? ――あ、『問題です』ってそっちの意味?」
プロブレムではなくクエスチョンという意味合いだったのか……。なんだか絶妙に話が噛み合ってしまったが、中身のほうはまったく噛み合っていなかったようだ。
今のはヤミなりの現状説明だったと理解して、納得して頷く。
「そっか。俺が眠ってる間、面倒見ててくれたってことか」
「いい子でしたよ。特に何もしなくても、大人しくしていてくれました」
「えへへー」
ヤミの言葉を聞いて、はにかむように微笑むティー。
かわいっ。いや本当にかわいい。もうとんでもないくらい絆されてしまっている。
「アビ子もだけど、何も考えず連れ帰ってきちゃったからな」
「え」
「え?」
「いえなんでも」
一瞬なんか妙な声を上げたヤミだったが、追及しても何も言わなかった。
ならいいか、と俺も流すと、彼女はティーのほうを見て。
「そろそろ降りてください、ティーヌ。アロルド様は怪我人ですよ」
「はーい、お姉ちゃん!」
ティーは素直なもので、ヤミの言葉を確かによく聞く。
ぽてん、とベッドから飛び降りた彼女は、そのままヤミの元まで駆けていった。
背が低くて華奢なヤミも、さすがにティーくらい小さな子どもと並べば、ちゃんとお姉さんらしく見える。そのヤミは俺に向き直って、さらりと。
「ちなみに、ティーヌはイースティアの街に住んでいる、とのことです。今日はもう時間が遅いですが、明日にでも家族の下に送り届けるべきかと」
「……それはそうだ。きっと心配してるよな。もっと早く考えるべきだった」
「一応、体調のチェックも必要でしょうし、そもそもアロルド様も意識がありませんでしたから。いずれにせよ同じことだったとは思いますよ」
と、ヤミ。フォローしてくれたのかもしれないと、俺は思わず苦笑してしまった。
「帰るなり倒れちゃったしな。あんなんなるとは、俺も思ってなかったよ」
「そもそもアロルド様は怪我をされていたことをお忘れなく。意識がない間もオドはずっと自然治癒に回されていたでしょうし、そのまま慣れない術をあれだけ使っては意識がなくなってもおかしくないかと」
「ああ……つまり、俺はオドが切れたからあんなバッタリ倒れちゃったのか」
「ええ。自然治癒での使用分に、術の行使での消費。慣れてない以上はオドの余計なロスも大きかったでしょう。加えて目覚めたときに私がオドを貰っていますから」
「ん……?」
設定厨パワーで話をしっかり理解していたつもりなのに、わからない言葉がひとつ出てきて俺は首を傾げた。
自然治癒力の強化はわかる。オド――つまりMPを、怪我によって減っていた生命力――つまりHPに変換していたのだろう。ゲーム的に表現すれば、だが。
余計なロスという言葉もわかる。俺の技量が低いから、ゲーム的に言えばMP消費量が普通より多くなっているわけだ。術の発動に必要以上のオドを費やしてしまう。
ただ、ヤミがオドを貰った――という言葉の意味がわからない。
ついでに言えばそんな記憶もない。なんの話だろう。
「俺、ヤミにオドを渡したりしたっけ?」
「……、お目覚めの際、鎮痛剤をお飲みいただきました。そのときです」
「え。あ、ああ……あのとき、か」
俺の中では普通にキス換算なので思い出すと恥ずかしいんだが。
でもそういえば、あのとき『ご馳走様』とか、やっぱりヤミは言ってたよな?
寝起きで流しちゃってたけど、あれはオドを貰っていたという意味なのか。
……で、それはなんで?
聞いたら聞いたでわからないことが増えていた。
だがヤミは説明が終わった顔だ。アロルドならわかって当然、という話題だったのかもしれない。なんとなくヤミも『なんでそんな質問を?』みたいな顔してたし。
つーか、オドは誰しも生まれたときは持っていないはずなのに、オド切れになると意識が飛ぶって理屈も考えてみりゃ謎だよな。設定としては、そりゃ知ってたけど。
まあ、その辺りはあとで纏めて考えよう。
まだまだわからないことは多い。設定厨知識で、この世界の人間が普通は知らないようなことをいくつも知っている一方、アロルド=ラヴィナーレなら当然知っているべき常識が、今の俺には欠けている。その落差は、どこかで埋める必要があった。
ただ今日のところは、まず今日のできごとから先に片づけておきたいと思う。
「えーと。俺が気絶してからどうなった?」
確認のための問いに、ヤミが答える。
「ジェイ=サロスの身柄は、
「……なるほど」
「実際、おそらくサロスの診療所の地下室には禁術関連の痕跡が見られます。つまりアロルド様のアレを除いて、という意味ですが」
「……あいつ、混術を使ってたのか」
「その可能性がある、ということでしょう。地下室にいくつも描かれていた血による紋様に意味があるのかどうか。実際に成立するものなのか、単なる迷信と妄想による無意味な儀式なのか。その辺りは、教会側で調査されるものかと」
「…………」
ティーの前でする話でもないかも、と一瞬だけ視線を向けてみたが、当のティーは楽しそうにヤミの片腕を揺らして遊んでいた。たぶん聞いていない。
なら構わないか。とにかくコトと次第によっては案外、大事になりかねないという話なのだろう。教会は禁術の使用者を決して赦さないのだから。
――サロスのこれから先に、未来があるのかはもはやわからなかった。
あのときは空気に当てられて、設定厨の俺ともあろう者が部屋の痕跡を詳しく見ることをしなかったが。もし禁術を使っていたら、二度と元の生活には戻れまい。
俺だって、ほかに方法がなかったとはいえ、禁術使用がバレたら軽く首が飛ぶ。
まあ《
考えたくなくなってきて俺は話題を変える。
「アビ子……アビゲイルはどうした? 教会の地下にいたもうひとり」
「お会いになられますか?」
ヤミは俺の問いに、問いで返すように言った。
きょとんと目を見開く俺に、彼女はあくまで淡々と。
「今は隣の部屋で眠っています。そろそろ夕食をご用意しますが、彼女の分も必要になりそうでしょうか?」
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