1-05『はじめてのお出かけ』
やはり原作アロルドは、
なにせ冥術の効果には信仰心が強く影響する設定だ。アロルドは純粋な信心なんて欠片も持ち合わせていなかっただろう。どころか教会勢力とは敵対的ですらある。
「……失礼ながら、アロルド様は
「信仰心がないから術も上手くいくはずない、って? まあ、俺もあそこまで上手くできるとは正直思わなかったよ」
嘘ではない。正直、半分くらいはダメ元で試す勢いだった。
設定的な知識があるからといって、じゃあ術が使えるかと問われれば別の話だ。
体内のオドを扱う感覚なんて、設定の知識だけではどうしようもなかった。
成功したのはアロルドの才能が残っていたからだろう。
「……いや」
ふと、頭にひとつ仮説が浮かんだ。
俺は設定的な知識として神が実在していたことを知っている――言い換えれば神の実在を疑っていないと言えるわけだ。
それが信仰心としてカウントされたから、冥術が強化された。
の、かもしれない。
「聖句は知ってたからさ。毒を盛られたかもしれないって疑ってたし、助かりたさが信心として表れて、術が上手くいった……とかじゃない? たぶん」
「…………そうですか」
誤魔化すように俺は話を畳んだ。普段は反応の速いヤミが、珍しく返事までに少し溜めを作った。
たぶん微塵も納得していないのだろう。俺的にはあながち間違いでもないかも、と思って言ったのだが、まあ確かにヤミ視点に立ったら意味不明ではあるか。
とはいえ別に構わないだろう。
今のところ、俺は原作のアロルドを真似て生きるつもりはない。そこまでせずとも誰も《
と、そうこうしているうちに診療所へと辿り着いた。
街のほうへは向かわず、中心街の端を回るようにして向かったその診療所は、見た目にはなんの変哲もない小さな平屋だ。
「ここが?」
「ええ。……人がいるようには見えませんが」
本当に捕らわれている者がいるのか、と疑問するように目を細めるヤミ。
確かに絶対ではない。サロスの反応からして秘密裏に人体実験を行っていることは間違いないだろうが、原作とはおそらく時系列が違う。
とはいえ、もし誰もいないなら、それはそれでむしろ幸運だ。少なくともサロスが俺に薬を盛ったことは事実なのだから、詰めるだけの理由は存在する。
それで充分だろう。
「ヤミ。どこかに地下室への入口がないか探してくれるか?」
「……なぜ地下室と?」
「そりゃ、人目についたら困るからじゃない? 隠し部屋とかありそうじゃん」
フレーバーテキストを知っているからだ、とは言えないため適当に誤魔化す。
ヤミは少なくとも、表面上は納得しているように見えた。特にそれ以上は追及してくることもなく、先行して診療所の扉の前まで移動して――。
「失礼」
言って、診療所の入口の扉を蹴り飛ばした。
割と重そうな鉄製の扉が、ひしゃげて奥へと吹き飛んでいく。
直後、
「――ギャンッ!!」
という、何か甲高い悲鳴のような音が耳に届いた。
「…………」
「おや、鍵はかかっていなかったようですね」
「いや感想それだけ!? 今、明らかになんかを巻き込んでたよ!?」
「みたいですね」
「そんなクールに振る舞われても……。てか鍵かかってないならなんで蹴ったの?」
「? 中に入るのでは?」
開けなきゃ入れませんよ? みたいな顔で答えられると、もう返事もなかった。
そのまま中へ入っていくヤミに続き、俺も恐る恐る悲鳴の出どころを目にするため診療所へと立ち入った。もし誰かに怪我させてたら、これ俺の責任かな……?
と。そんな甘いことを考えていられるのもそこまでだった。
「グゥ……グァアアアァァッ!!」
「――っ」
ヤミが吹き飛ばした扉、その下敷きになっているものを見て思わず目を剥く。
それは、――見たままを言うなら《黒い色をした犬》だった。
あるいは狼か。少なくともペットと呼ぶなら日本では何かしらの条約に引っかかるだろう、あり得ない巨躯を持っている。赤く裂けた巨大な口から唾液が散っていた。
俺はその動物――否、怪物のことを知っている。
「……これ、魔物か……」
「そのようですね。番犬と呼ぶには――少しばかり狂犬が過ぎるようで」
あっさりと言ってのけるヤミは、この世界の人間としてモンスターに慣れているのだと思う。いや、というかそもそも最初から気づいていたのか。
一方、初めてモンスターを目の当たりにした俺は、少なくとも人間と相対するより恐怖を感じる。血走った目、飛び散る唾液、呻き声――そこに野性の脅威がある。
とはいえ、このゲームはRPGだ。モンスターなどいて当然。
俺はそちらに近づいて、せめて自分でどうにかしようとそっと手を伸ばした。
「アロルド様――」
「いいよ。来ると決めたのは俺だ」
言って使用したのは、冥術《
そもそも現状、俺に使える術はこれだけだ。だが冥術がまだ下手だという事実を、今は攻撃に転用できる。まして詠唱まで破棄すれば、もはや失敗のほうが近い。
それでもそこに、サロスに使ったとき以上のオドを注ぎ込めば――。
「ギィアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
甲高い唸り声。それが途切れたとき、目の前の黒犬からは命が消え去っていた。
ゲームであれば経験値を入手しレベルアップが近づくところだが、ゲームではないこの世界にそんな現象はない。ただ命を終わらせたという実感が手に残るだけだ。
死骸は残らない。魔物はその肉体を溶かすように空気へ消えていく。
「冥術って攻撃に使えるんだな。今までその発想はなかったけど」
「使えるなら、普通に習熟したほうが遥かによいかと。非効率的ですので」
「……そりゃそうか」
かぶりを振る。それから俺は、改めて診療所の中を見回した。
こんなモンスターまで門番代わりに置いているのだ。ますます嫌な予感がした。
見たところ、ごく平凡な診療所だ。取り立てて違和感のあるものは何もない。
簡素な机と椅子、その上に並べられた本や書類――おそらく
「パッと見た感じ、怪しい場所はありませんね。いえ、それで怪しいほうが問題なのでしょうが」
「だな。地下室の入口があるとしても、当然さすがに隠してはいるだろ」
「地下室なのですから、壁よりは床を探すべきでしょうかね。棚やベッドの下とか」
そんなことを言いながらベッドのほうに近づいていくヤミの足取りは、なぜか少し弾んでいるようだった。相変わらず顔は無表情だが、何やら楽しそうにも見える。
それとも気のせいだろうか。表情変化がなさすぎて、よくわからなかった。
ヤミはアロルドと比べると原作での出番が少なすぎるため、正直キャラクター性がしっかり掴めるほど描写がないのだ。思いのほか、愉快なことは言う奴らしいし。
「――――」
なんとなく、俺はヤミの姿に見惚れてしまった。
黒い髪に黒い瞳。日本人でも珍しいくらい深い漆黒だが、それでも明らかに西洋風すぎるということもない姿には、ちょっとした親近感――いや安心感がある。
一見して日常的ではないクラシックなメイド服姿も、そのモノトーンが黒いヤミの姿に実に似合って映えるため、もうとっくに慣れてしまった。
それに素直で従順で、しかも優しい。もちろん主従関係があるからに過ぎないが、たとえ職務上の理由でも、頼れる相手がヤミしかいない今は心強かった。
――今さらになってまた、唇を奪われたことを思い出す。
くそ。ヤミと普通に話せるようになったせいで、余計に意識してしまった。
「アロルド様?」
と、視線に気づいたのだろう。ヤミは俺を振り返って不思議そうに首を傾げた。
「あ――いや、すまん。俺も探すよ」
「いえ、別に任せていただいても構わないのですが……」
「いいからいいから」
余計なことを考えていたとはバレたくないし、サボっていたと思われるのも悪い。
だから今さらのように、俺も部屋の中の探索に本腰を入れた。
ひとまず手近な薬品棚のひとつを動かしてみようと触れたところ――。
「お?」
ガラリ、と思いのほか少ない手応えで、棚が横方向にスライドした。
そしてその下には、明らかに地下室へ続くであろう扉のようなものが床に一枚。
「……」
「……」
思わず俺はヤミと目を見合わせた。なんだか間の抜けた空気が流れる。
いや。ひとまず地下室への入口は見つけたのだ、それでよかったことにしよう。
「……行くか」
「では、私が先に。アロルド様は後からついて来てください」
言うが早いかヤミは俺を追い越すと、ギィ、と軋む音を立てながら床を開いた。
床に設置された扉を、やけに頼り甲斐のある細腕でヤミが押し上げる。
彼女と腕相撲をしても絶対に勝てないんだろうな、なんて余計なことを考えながら中を覗き込むと、ビンゴと言うべきか、地下へ続く階段が見えていた。
思いのほか広さがある。
患者――いや、検体を運び入れる必要があるのだから当然か。
まだ何を見たというわけでもないのに、どうしてか地下から悪寒が立ち込めている気がする。この冷気は、そう、たとえるなら遺体安置所のイメージを思わせた。
記憶から経験を引っ張り出せず、代わりに出てくるのは、いつか観たホラー映画の光景だ。タイトルはちょっと忘れたけれど、青白い光に埋め尽くされた、ただ底冷えするようなモルグの光景。
暗く、狭く、底のないそれは、暴きさえしなければ目に留まらない墓の下だ。
わずかに息を呑みながら、ヤミに続いて階段を下る。
こつ、こつ。ひた、ひた――ふたつ分の足音が虚空に跳ね返って空気を震わす。
階段は、上にある部屋の縁をなぞるように、やがて四隅のひとつへ。そこで下りは終わっており、すぐ左側の壁にもうひとつ、今度は普通の扉があった。
その前にふたり立ち止まった。
ごくり、俺は息を呑む。
嫌な雰囲気を感じているのは俺だけなのか。ヤミは普段とまったく変わらない。
そのことにわずかな安堵を感じる。嫌な予感は消えないが、少なくともヤミが隣にいること、頼れる誰かがいることは――俺にとって、ただひとつの心強さだ。
そしてヤミは、特に前置きなく、あっさりと扉を押し開いた。
ぱっと明かりが広がって、直前まで暗かった地下空間は、否応なく光に晒される。
「――――――――――――――――」
――嗚呼。本当に、俺は異世界に来たんだな――と。
最初にそんなことを思ったのは、たぶん、心を守るための防衛反応。
現実を直視できなくて。
世界に納得できなくて。
理解を拒んで目を瞑るだけの、下らない適応機制だった。
意味はない。俺の目は閉じていなかったし、俺は目を逸らせていなかった。
まったく動けない。何もできない。どうすることもできず目にした、その地下室の光景が脳裏に焼きつく。すえた匂いが鼻をつき、そのせいかわずかに視界が滲んだ。
B級ホラー、という単語が頭に浮かぶ。
泡のように浮かぶイメージは、固まった思考の外にいる自分が、どうにか冷静さを呼び起こそうと――ここではない場所から投げるモノ。
そこは、有り体に言って地獄だった。
床に飛び散る刺激臭のする液体。衛生観念の死滅した汚濁の底。壁の至るところに赤い色の何かが塗られていて、バケツをぶちまけたような飛沫の痕が目に痛い。
そんな中に、くずおれたヒトガタがいくつかある。
そう、ヒトガタだ。それらはすでに、ヒトと呼ばれる権利を失っている。
肉の塊。打ち捨てられた死体。これでは安置どころか放置だと、頭のどこかで叫ぶ声が、音にはならずに空虚に響いた。
――いや違う。そうじゃない。これは放置ですらないのだ。
だって
だって崩れている。
だって流れている。
刻まれ、潰され、塊だったものが液体になるまでどろどろに溶かされて。それらを新たな絵の具に代えて、至るところに紋様が刻まれていた。
典型的で、非人道的なカルト宗教の儀式行為。
ひと言で言えばそんなものを、ひと言で終わらせることが受け入れがたい。
「――っ、う……ぶっ、」
思考が現実に追いついたとき、俺は思わず口許を押さえた。
喉の奥からせり上がってくるもので、この場をさらに汚しそうになったからだ。
涙が滲む。喉の奥がからい。
胃液に食道を溶かされるような不快感がして、俺は思わず蹲った。
「アロルド様」
「――わかってる」
咄嗟に、言葉少なに気遣うようなヤミにそう答えた。
自分でも何がわかっているのかわからない。意味のない返答に眩暈がする。
たぶん何かの意地だった。想像していたものが想像を超えていただけで、狼狽える必要など本来はない。
ただこれまで自分が
「わかってるよ」
だから意味のない理解をもう一度吐いて、俺は地下室に踏み入った。
周囲を見渡す。人間を――まだヒトガタに落ちていない何かを、せめて探した。
それをしなければ意味がない。
それくらいできなければ価値がない。
せめてどちらかは欲しいから、願うように部屋を歩き回る。
ぴちゃり、と。踏み込んだ足が水音を放つ。
それらを無視して進んだ先で、俺はかろうじて奇跡を見つけた。
「人……、まだ生きてる……!?」
いちばん奥のベッドに、ふたつ分の人影が乗せられていた。
どちらも少女だ。片方はまだ幼く、十歳前後といったくらいに見える。もう片方は少しばかり年上で――たぶん今の
呼吸していると示す上下する胸。
汚濁の中で、まだ生気を感じさせる肌の色。
小さいほうの女の子は、ちょうど入院患者が着るような、薄水色の粗末な布着姿をしていた。眠っているがわずかに息が荒く、すでに何かをされたあとらしい。
もう一方、同い年くらいの少女は、何やら冒険者風の出で立ちだった。幼い子より生気に溢れていて、おそらく捕らえられたばかりのよう。
ひとまず俺は小さいほうの少女に駆け寄る。
銀色の髪は汚れ、肌が赤い。熱があるようでじわりと汗をかいていた。
「くそ。何をされたんだ……!?」
「……
「何、オド……!?」
「はい。おそらく投与された薬品のせいでしょう、オドを生み出す機能が、本人の器以上に暴走している。いずれ溢れたオドが自らを食い破り――命に係わるかと」
「……ッ!!」
魔法力。マジックポイント。なんでもいいが、この世界においては主に
問題は、オドというエネルギーの世界観的な設定面だ。
この『Cross Lord』の世界では、オドは生まれつき持っている力ではない。教会の洗礼によって、後天的に獲得する第二の生体エネルギーなのだ。
人間が持って生まれる運命的な生命力――
とはいえ生来の才能も関与する。鍛えられないわけではないが、その人間が体内に保有できるオドの総量――器の大きさは、生来の才能がかなり左右する。
どうやら、それがサロスの強化薬の本当の効果らしい。
本来であれば不可能な、オドの過剰生成の促進。それにより自己治癒能力を高め、結果として体を癒す薬を作り出すために、奴はこの実験を繰り返していたのだ。
ちょうど先刻、俺が自然とオドを暴走させて、冥術もどきを発動させたように。
「じゃあ、ここにある死体は……」
「過剰生成されるオドを受け止めるだけの器が、つまり才能がなかった者たちかと」
「――――」
「逆を言えば、アロルド様には薬品で過剰生成される程度のオドであれば受け止める器があったわけですから、あのままでも特に問題は――」
「悪い、ヤミ。――それ以上は、やめてくれ」
「……畏まりました。失礼を、アロルド様」
静かに首を振る。
別にヤミに謝らせたいわけじゃないのだ。俺が聞きたくないだけで。
でも俺は否応なくサロスが言っていた言葉を思い出していた。
『アロルド様のように術の適性が高い方であれば、誰より高い効果を発揮して――』
アレは、口を滑らせた真相だったわけだ。
サロスの強化薬は、過剰生成されるオドに耐えきる器がなければ効果がない。
毒ではないという言葉は間違いでこそなかったが、決して真実でもなかったのだ。
「くそ、何が調合しただ! この血の痕、術を使った証だろ……!」
それも明らかに禁術の類いを。
奴は原液ではなく、かける術のほうにしっかりと仕掛けをしていた。
「どうする……? この状況のこの子に冥術をかけるのは――」
「危険かと。すでに限界以上のオドが体内にある状況で、この上さらには」
「だよな。くそっ、どうする……!?」
この世界に回復術は冥術しかない。だが冥術に必要なオドが毒になっている状態な以上、彼女を冥術で回復するという手段が実質、封じられている。
第一、時間がない。体内で暴れ狂うオドにいつ食い破られてもおかしくないのだ。
それでも少女を救うためにできることは――あとはもう、ひとつしかない。
「……この子のオドを消費する形で術を使う。それしかない」
「正気ですか、アロルド様?」
俺の言葉を聞いて、ヤミはまっすぐに俺を見た。
真剣な目だ。彼女にも俺の言葉の意味がわかっているからだろう。
だが、
「ほかに手があるか?」
訊ねた俺に、ヤミは静かに答えた。
「そもそもアロルド様が、この少女を救う必要自体がないと存じますが」
「お前、それ本気で言ってるのか?」
「必要性の有無だけを論じるならば事実かと。それともこの少女をご存知で?」
もちろん知らない。そしてヤミが言っているのも正論だろう。
でも、俺に見捨てるなんて選択肢はない。
「まだ子どもだ。必要がなくても助けていいだろ。違うか?」
「それがアロルド様のお望みであれば、私はその助力をするまでです」
「……そうか。悪いな、いきなり巻き込んじまって」
「いいえ。必要がないと言ったのは偽りではありませんが――」
と、そこでひと息。
ヤミは言葉を切ってから、いつもと変わらぬ調子で言った。
「――個人的には、そのほうが好ましいとは思います」
「わかった。手伝ってもらうぜ、ヤミ。悪いがぶっつけ本番だ」
かくして俺は術を準備する。
それは冥術だが、けれど分類上は冥術と区分されるもうひとつの術。
名を
教会によって禁術指定されている――使うだけで罪に問われる術である。
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