1-04『主とメイド』

 アロルドの言葉は、もう一度だけ、という最後通牒。

 おそらくヤミが『不審に感じたらその瞬間に殺す』と宣言したことを受けての言葉だろう。嘘を言うな、それは通じないし、その際は――と言外に含ませている。


「ひ――、ち……違、違います……っ! 誤解なんです!!」


 座るヤミの腰の下で、闇癒者の男――サロスは焦りながら叫ぶ。

 その言い訳にもならない妄言に興味はなく、むしろヤミが気になるのはアロルドの態度だった。

 焦ったまま助かるために頭を働かせているサロスは気づかないようだが、ヤミにはこれが異常事態であることが明白だ。


 だって


 確かに厭味ったらしい皮肉な態度は普段のアロルドと大差ない。だが彼がそういう態度を取るときは、自分が圧倒的に優位であるという前提――つまり精神的な余裕があるときだけに限られる。

 今もそれは変わりないようでいて、実は違う。怒りが違う。彼の余裕は敵と認めた相手にほんのわずかでも害された場合、即座に崩れると決まっていた。


 おそらく普段のアロルドなら、怒りに任せ話も聞かずサロスを殺していただろう。

 こんな風に話を聞こうとするはずがない。

 いや、それ以前、少しでも不審に思わせたら殺す――というヤミの脅しまで考慮に入れて『もう一度だけ』と揺さぶりをかけたこと自体がアロルドらしくない。

 彼は他人の言葉など、根本的には聞いていなかったのだから。


「誤解? でも薬は飲ませたよな。もちろん、治療薬以外という意味でだ」

「た、確かに、そうです。認めます……そのことは申し開きのしようがありません。ですが……ですが決して害のあるものではないのです!」

「へえ。つまり毒を盛ったわけじゃない、と?」

「滅相もない! こんなところで毒など盛ったら下手人は間違いなく私でしょう!? そこまで愚かではありません……!」

「それは確かにその通りだ。少なくとも即効性のある毒ってわけじゃないな?」


 ――確かに、と聞いているヤミも思った。

 もしもアロルドが不審な死でも遂げようものなら、担当した癒者であるサロスには当然、疑いが向けられる。いや、たとえ死ななくても不調が続くだけで問題だ。

 確実な証拠がないとしても、疑わしいという理由だけで私刑に処される可能性は、彼も危惧していたはず。ラヴィナーレ家の外的な評判などそのレベルだし、あながち間違っているとも言えない。

 だとすれば、果たしてサロスは何をアロルドに飲ませたのか。


「お飲みいただいたものは確かに薬です! 毒などの類いでは決してなく!!」


 サロスは必死に言い募る。命懸けなのだから当然だろう。

 そして実際、嘘をついている風でもない。意外――かどうかはともかく、サロスの必死さは、事実をいかに信じてもらうかという類いのものに見えた。


「で? それはわかったから、効果を教えてくれ」


 一方のアロルドは滔々とサロスに訊ねる。

 その瞳には、ヤミの見る限り興味を示す光が映っている。本当に、ただの好奇心で訊ねているかのような。たとえるなら新しい玩具を与えられた子どものよう。

 それがまたヤミには信じられない。

 自身を騙した者にアロルドが怒りを向けないこともそうだし、たとえアロルドではなくとも、無断で不明な薬を飲ませてきた相手に普通、こんな目は向けないだろう。


「お、お飲みいただいたものは強化した調合薬です。通常のものより効果が高い」

「へえ……調合薬。つまり教会が認めている冥術薬ポーションではなく、認められていない別のものを煎じて調合したってことだな? ただの水から作ったわけじゃなく」


 一般販流通する教会認可の冥術薬ポーション――その材料はだ。

 最下級の聖水。ただの水に冥術をかけて、薬効を持たせることで作成される。

 気の利いた癒者ならハーブや薬草などを煎じて作ることはあったが、その程度では気休めにしかならず、コストに効果が見合わない。

 だからこそ、中身を弄る――というのは非合法の製法として典型的だった。

 高位の冥術ブライトを教会関係者が独占している以上、市井の癒者たちは《かける術》ではなく、術をかける対象である《原液》のほうに細工をするしかないという話。


 たとえ同じ術だとしても。

 かける対象が違えば効果も変わってくるからである。


「薬を作る冥術は、どんな原液そざいに使うかで効果が変わる。普通の水や、ただハーブを煮出したようなものなら大きな違いは出ないが、冥術に大きく反応する――意味ある素材を使えば話は別だ。そういうことだろ?」

「お、仰る通りです」

「よくわかった。つまりお前、結局は俺の身体で、勝手に強力な違法冥術薬ポーションの治験をやったってわけだな。やってくれるよ……」

「こ、効果は確かです!」


 そこが説得を左右する分岐点だと踏んだのか、サロスは一気に捲し立てた。


「確かに今はまだ検体数が足りていませんが、それでも決してゼロじゃない! 私の調合は完璧です! 特にアロルド様のように術の適性が高い方であれば、誰より高い効果を発揮して――」

「――そうか。もうとっくにほかの奴でも試してるわけか」

「ひ――!?」


 一段階、アロルドの声音が低くなる。

 何か地雷を踏んだのかとサロスは短く悲鳴を上げるが、どこに踏むような虎の尾があったのかわからない。

 詰められているサロスは当然、専属メイドであるヤミにとってすら。


 アロルドが、会ったこともない実験の犠牲者を思っているなど想像できなかった。


「わかった。話はもう充分だ。――お前はもう寝てろ」

「え……? あの、な……何を」

「別に。ただ回復してやるだけだよ」

「え!? あ、な、――ぎゃあああああああああああああああぁぁぁッ!!」


 アロルドの手が触れた瞬間、闇癒者はつんざくような絶叫を上げた。尻に敷かれたまま身悶えする感触に、ヤミも少し目を見開いた。

 だがそれもある時点で聞こえなくなり、意識を失った男はパタリと動かなくなる。


「あ、気絶した。思ったより威力出ちゃったな。ま、今回は好都合だけど」


 ピクリともしない男の腕をぺしぺしと叩いてアロルドは呟く。

 ――そういうことか、と遅れてヤミは納得した。


 今のは言葉通り《聖者の癒手ホワイトハンド》――つまり単なる回復の冥術だった。

 だが冥術による回復は下手な者が使えば酷い痛みを伴う。

 ましてなんの怪我も病もないときはなおさらだ。消費しきれないエネルギーが害になり、全身に激痛が走ったのだろう。ただでさえ冥術の苦手なアロルドに、詠唱まで省略した雑な冥術など喰らわされたら、確かに気絶しても頷ける。


 まあ――そもそも発動している時点でヤミにとっては意外だったのだが。


「さて。コイツは放っといて、行くぞ、ヤミ。外に出かける」

「は、……はい? あの、――アロルド様。行くとは、どちらに?」

「決まってるだろ。そいつの拠点いえだ。犠牲者が閉じ込められてるっぽいし」

「……その、なんのために?」


 突然のアロルドの言葉に、追いつくことができずヤミは訊ねた。

 それは、従順なしもべであるはずの少女にとっては、あり得ない行動だった。

 普段は疑問など差し挟まない。主の言葉に返すものは肯定だけである。


 そんな彼女が、ほとんど初めて主に投げかけた問いに――アロルドのほうもまた、なぜそんなことを訊くのかと不思議そうな表情で訊ね返す。


「いや、なんのためにって。助けに行くからに決まってるだろ」

「――は……あ」


 そのひと言を、かろうじて疑問形の音にしなかった自分を褒めたい。

 なんてことをヤミは本気で思った。それくらい、予想だにしない言葉だった。

 理解がまるで追いつかない。

 そんなみたいなことを、まさか主が言うだなんて。


「では、こちらの男は? ――殺しますか?」


 それでもまだ信じられず、あえて言い切る形でヤミは訊ねた。

 すでにヤミも拘束をやめて立ち上がっているが、アロルドの冥術で意識を奪われた彼はまったく動かない。ヤミの物騒な発言にも反応がない辺り完全な気絶だ。

 代わりに、仕える主人が困ったように眉根を寄せて言う。


「いや、そんな怖いこと言わんでほしいな。……ひとまず縛って置いとこう」

「――畏まりました」


 間を開けずに了承し、それからヤミは気絶した男の両腕を握って引きずる。

 そんな様子をなぜだか少し引いたみたいな表情で見ていた主は、しばらくして軽く首を振ると、ヤミに向けて訊ねた。


「あー……じゃ、そいつ任せていい?」

「……?」


 当然ヤミの仕事に決まっているのに、なぜそんなことを訊くのか。

 わからなかったが、それを訊ねることを少女はしない。それを己に許さない。


「もちろんです。適当な部屋に転がしておきますが」

「じゃあそれで」

「アロルド様は――」


 一瞬、ひと息の間。

 それだけの隙で考えを纏めきった少女は、ただメイドとして言うべきを伝えた。


「お出かけになられるのでしたら、お召し物は着替えるべきかと」

「えっ、あー……ヤミ。俺の着替えってどこにある?」

「――はい?」



     ※



 尋常ではないアホの問いを放つ羽目になった結果、黒髪の専属メイドさんからあり得ないバカを見る目を向けられた気がしたが、ひとまず考えないことにして。

 俺は部屋を出て、着替えが置いてある部屋に向かった。


 廊下に出たことで、俺は冗談みたいな屋敷の広さに気づく。

 でかい――あまりにもバカでかい屋敷だった。

 さっきまでいたのが二階の端の部屋だが、長く続く廊下――その反対側の端が遥か彼方に見える。部屋数も、豪華な旅館かと思うくらいの数があった。扉だらけだ。


 幸い、着替えのあるクローゼットが置かれた部屋は、すぐ隣とのこと。

 そこに入って適当な着替えを見繕う。

 着慣れない上に見慣れない、いかにもファンタジー貴族な服から、いちばん地味なものを選び、ついでにクローゼットから見つけた質素な灰色のローブを羽織る。

 こちらも典型的なファンタジーの魔法使いっぽさがあるが、変に目立つ格好よりは地味にまとめたほうが性に合う気がした。けばけばしい装いなど目に毒だ。


「ご準備はお済みでしょうか、アロルド様」


 ヤミは、ちょうど着替えが終わった頃に戻ってきた。

 優秀なメイドだし、もしかすると見計らっていたのかもしれない。そう思って振り返った俺だが、意外にもヤミは、なぜか少しだけ不思議そうに目を見開いていた。


「できたけど……どうかした?」

「……いえ。アロルド様がおひとりで着替えなさるのが珍しく。申し訳ありません」

「あー……そうなんだ」


 着替えくらいひとりでしろや、アロルド。

 とツッコミたいが、それとも貴族ってそういうものなんだろうか?

 ダメだな。俺も設定以外の知識はごくごく一般的なものしか持っていない。


 相変わらず前世の記憶は、あまり戻ってこないと見える。この分だと失われたままだろう。

 ただ少なくとも、突出して学のある人間ではなかったらしい。残念ながら。

 加えて、デカい屋敷に居心地の悪さを感じる辺り、だいぶ小市民だったとも思う。


「ところで、さっきの奴は?」


 ともあれ話を変えるように言った俺に、ヤミは静かに答える。


「適当な部屋に縛り上げて転がしてあります。しばらく目覚めないでしょう」

「そっか……」

「本家になら地下牢がありましたが。このままでよろしいので?」

「ん――」


 ということは、ここはラヴィナーレの本邸じゃないのか。なるほど。

 この大きさでも本家じゃない辺りは、さすが腐っても貴族という感じだが――そういえば確かに、この屋敷には俺たち以外の気配がまったくない。

 つまり今この別邸で暮らしているのは、俺とヤミのふたりだけみたいだ。

 その割には、ちょっと屋敷が広すぎる気はするけれど……どういうことなのやら。


 貴族らしく別邸のひとつやふたつ持っていてもおかしくないとは思うが、使用人がヤミひとりだけという状況は……これ、もしかしてイレギュラーな状態なのか?

 その辺りの設定は俺にもまったくわからない。

 世間に公表された設定ならほぼ網羅している自信はあるが、別に制作者でも、その知り合いでもないのだ。公表されていない裏設定などは知りようがなかった。


 アロルドって意外と周辺情報が出てないキャラなんだよなあ……。

 ストーリー序盤では意地の悪い先輩。主人公たちにケチな嫌がらせを繰り返す裏で悪の組織と繋がりを持ち、最終的には大量殺人に手を染め討伐される大悪党。

 なまじモブキャラじゃない上、必ず死亡してしまうせいで、フレーバーテキストを読むことすらできないのだから設定開示が終わっている。

 正直、キャラ人気的にも最低レベルだし。

 設定資料集に載っていた情報くらいしか俺も持っていないため、そういう意味では今まで知らなかった設定を知れて嬉し――じゃなくて、結構謎の多いキャラなのだ。


「まあ、逃げられなきゃいいでしょ。証拠を掴んだら教会に引き渡そう」


 ともあれ話を戻し、サロスの対応については考えるのを後回しにする。

 それより、彼が投薬実験に使っている犠牲者たちの話だ。

 原作ではフレーバーだけでイベントなどはまったくないのだが、ジェイ=サロスは自身の診療所に実験室を持っており、身寄りのない人間を被験者として使っている。


 こういう情報は、術か、あるいはキャラの特技によって手に入れられるものだ。

 ただしフレーバーテキストはおそらくプレイヤーに向けられたもので、開示される情報をそのまま主人公キャラクターたちが入手しているわけではない。

 実際、イベントフラグとしての情報などが開示される際は、別枠のアイテム扱いで入手したと明示される。

 助けに行くようなイベントが原作にないのは、おそらくそれが理由だろう。


「ヤミ、サロスの診療所がある場所はわかるか?」

「ご案内します」

「ありがとう。そう遠くはないんだろ?」

「ええ」


 話の早いヤミであった。

 場所を訊いただけで即座に案内役を買って出てくれる頭の回転の速さは、さすがの有能っぷりと言わざるを得ない。ホント、主人運以外はあるよな、この子……。

 ラックだけがない。

 原作にヤミルートがあったら絶対に人気が出たのに……惜しい……。


 ――かくしてヤミの案内に従って家を出る。

 サロスがいるということは、原作と違いがなければおそらく《イースティアの街》付近のはず。そこが原作でサロスのいる街だからだ。

 ゲーム再序盤の拠点になる街だ。主人公はここでいくつかのクエストをこなして、その後にメインの舞台である学園都市《インフィディア》へと移り住む。

 そこで《エルピス学院》という術法研究の学院に入学してからが、物語の本格的なスタートだ。アロルドは、その学院にいる主人公の先輩という立場で登場する。


 ちなみに、このイースティアの街が、対アロルドの決戦場だ。

 アロルドは暴走し、イースティアの街に住む多くの人間を皆殺しにしてしまう。

 その犠牲で自らを強化する術を使って、主人公に討伐されるわけだ。


 俺はヤミに案内されて歩く。

 ここはどうやらイースティアの外れにある屋敷のようだ。しばらく歩くと遠巻きにいくつかの家々が見え始めてきた。

 さすがに遠くに見える家々だけで本当にイースティアかどうか断定はできないが、かといってヤミに『ここはイースティア?』なんて訊くのは不自然すぎる。

 黙って後をついて行く以外にやれることはなかった。


 ――と、そこで。


「アロルド様。――ひとつ、よろしいでしょうか」


 逆にヤミのほうから、控えめに声をかけられた。


「ん、何?」


 ひとまず俺は返事だけを返した。

 ただ今さらながら、すでに原作アロルドとは喋り方からしてまったく違う。

 幸い前を行くヤミは何も言ってこないから、もう諦めていいだろう。どうせ原作のアロルドなら、そもそも助けに行くなんて言い出すこと自体がないんだし。

 なんて開き直って答えを待つ俺に、メイドの少女は。


「今さらではありますが、お体は本当に問題ないのでしょうか」

「ああ、体か。体は今のとこ大丈夫そうかな。実際どうかはわかんないけど」

「……そうですか。確かにほぼ完治されたようですね」


 この世界は医学があまり進歩してない。

 時代的に近世くらいの水準というせいもあるが、何より傷や病は教会の冥術ブライトによる奇跡で癒されるものだという認識が原因だ。

 無論、術に頼らない治療法だってないわけじゃないが、癒者がいる代わりに医者がいないのが、この世界の厄介なところかもしれない。

 術という神秘があるお陰で、中には現代科学以上の技術もないわけじゃないが。


「しかし、いつの間に冥術ブライトを覚えられたのですか?」


 と、続けてヤミはそんな問いを投げてきた。

 ――こっちが本題かもしれない。

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