1-03『はじめての術』
「味ばかりは、申し訳ありません。薬とはそういうものですので」
まずい――という俺の呟きを、味の感想とでも捉えたのだろう。
ジェイ=サロスは、何も変わらない貼りつけたような笑みのまま言った。
だが俺としてはもうまったくそれどころじゃない。
たぶん、いや間違いなく――俺はコイツに何か妙な薬を盛られている。
闇癒者ジェイ=サロス。
彼は非合法の危険な薬品を製造し、他者を勝手に治験の被験者とする犯罪者だ。
そのことを、俺は設定の知識として記憶していた。
誤解なきように話せば、彼はまったくもってメインキャラクターではない。
モブもモブ。パーティに勧誘もできない村人A。だが『Cross Lord』では街にいて話しかけることができるだけのキャラクターにも必ず設定が存在している。
それらは背景を彩るフレーバーテキスト。
ただ世界観に深みを出し、どんなモブキャラもその世界で生きている人間なのだと裏づけるためだけの――文字通り
ある登場人物の背景をスキルなどで調べ、フレーバーテキストを読むことだけなら可能だが、その大半はストーリーにまったく関わらないのだから。
もちろん、時にサブクエストの発生や攻略に関わったり、時にモブだと思っていたキャラクターがメインストーリーの裏で暗躍しているようなサプライズもあるが。
基本的には、あくまで文字で書かれているだけの設定情報だ。
少なくともゲームの上ではそう。
そして目の前のジェイ=サロスも同様、サブストーリーにすら関わってくることのない、ただ立っているだけのモブのひとりだ。
ゲーム内で話しかけたところで、
『高位の
という、正直なところ攻略においては相当どうでもいい寄りの台詞を話すだけ。
基本的には、まさに典型的なモブの中のモブと呼ぶべき存在だった。
ただこのゲームの面白いところは、そいつがどんなモブだろうと、キャラクターの背景情報はしっかりと設定されており、またそれをゲーム内で入手できるところだ。
そして俺は、その全てをしっかり暗記している。
つまりジェイ=サロスの
心の壊れた癒者。
壊れた心でただ違法な薬の研究を繰り返す、怪物。
――そんな奴に与えられた薬を、俺はすでに服用してしまっている――!
「っ……、げほ、ごほっ!」
思わず少しむせ込んだが、そんなことで飲んだものが吐けるわけもない。
そもそも本当に妙な薬を盛られた保証もなかった。
……どうだろう? 現実問題、彼は本当に妙な薬を飲ませるだろうか?
だから可能だと言えなくもないが、腐ってもアロルドは貴族だ。悪役貴族、なんて肩書きは作品外から見たときのメタ的な呼称で、この世界での呼び名ではない。
いくら性格の悪い嫌われ者でも、仮にも貴族を相手に勝手な投薬実験など行うものだろうか? バレたときのリスクが高すぎるように思えてならない。
だがこうなった以上、俺は湧き上がった疑いを拭えなくなっている。
そして証拠を突きつけられない以上、もはや対処法は自力で治す以外にない。
……やってみるか。
別に、試すだけならタダだ。誰も困らない。それに――、
それにそもそも――せっかく『Cross Lord』の世界に来ることができたのだ。
憧れの術を、自分でも使ってみたい。
結局いちばん先に立つのは、ただそれだけの好奇心だった。
「……、よし」
俺は目を閉じ、心を落ち着け、意識を集中させながら自分の胸に左手を当てる。
冥術を発動するために必要な要素は三つだ。
リソースとなる
神に祈るための聖句。
そして、神に対する純粋な信仰心。
無宗教だった俺に、正当な信仰心があるのかどうかは正直、自信がない。
ただ俺は、少なくとも設定として知っている。
この世界の神話は事実だ。実際に起きた歴史であり、実在した過去の物語だ。
要するに――この時代の神話とは、ゲームの続編であり過去編だ。
「――《
紡ぐ聖句は、一言一句を暗記している。
もちろん聖句を知っているだけで術は発動できないが、さきほど自然と発動させてしまったときの感覚と、――何より俺には原作という名のお手本がある。
イメージするのは、
あのイベントは実によかった。
傷ついた仲間のために、それまで使えなかった聖女としての力を覚醒させるというシリーズ2作目屈指の名シーンだ。
それを頭に浮かべながら、俺もまた神に奇跡を祈る。
そう。神に告げるべき言葉であれば、今の俺には確かにあった。
ありがとう。
この世界に連れてきてくれて――。
「――《
静かに、感じた眩さに半目を開く。
白い光が左手から、胸へ広がるように全身を包んでいった。
「あ、アロルド様……!?」
「これは……《
傍にいたヤミとサロスが、口々に驚きを言葉にした。
冥術《
回復用の
病気、外傷、毒物、疲労、あるいは生命力の欠損にかかわらず――あらゆる不調を癒し、被術者を回復させる神の奇跡であ、
「――づ……っ!?」
どこか気持ちよくすらあった白光が、術の終了に合わせて消える。
その瞬間、全身を凄まじい痛みが思いきり包み込んでいた。
「ぐ、……っ、ぁ――」
その激痛を強引に呑み込み、なんとか堪える。
大丈夫。それ自体は覚悟していた痛みだ。
回復系の
その設定を俺は知っていた。そういう描写のシーンも原作には多い。
だが痛みを感じたということは――すなわち、
「……ふぅ。どれ……」
やがて息をつき、俺は体の調子を確認する。
添え木に固定された右腕は、もう強く振ってみても痛みがない。しっかり確認する必要はありそうだが、骨折はほとんど治ったかもしれない。
体内に入れ込まれた毒を癒すことが目的だったが、ついでに傷も治ったようだ。
「は……はは、驚きました」
ふと横を見れば、わずかに蒼い顔になった闇癒者の姿。
その顔を見てだいたい察した。なるほど、サロスは教会と距離のある
つまり――今ならハッタリが利く。
「いや、アロルド様もお人が悪い! 冥術に精通されているのでしたら――」
「――サロス」
「な、なんでしょう、アロルド様……?」
ひと言。ただ俺は訊ねた。
「お前、――俺に何を盛った?」
その瞬間、いくつかのできごとが連続して起きた。
ひとつは逃走。バレたと知ったサロスは即座に床を蹴って、部屋から逃げ出そうと踵を返して走り去ろうとした。
ひとつは対応。逃走を試みたサロスを、即座に捕縛するべくヤミが動く。
ヤミはその場に置かれていた椅子を瞬時に蹴り抜き、凄まじい勢いで吹き飛ばす。
まるでサッカーボールのように飛んだ椅子は、吸い込まれたのかと思うほど見事に逃げ出したサロスの背に当たり、鈍い音を立てながらそこで砕けた。
「づ、ぐぁ……っ!!」
苦悶の息を漏らし、思わず蹲るサロス。
そのときにはすでに音もなく最接近したヤミが、蹲ったサロスの背中に追い打ちをかけるように蹴りを叩き込み、今度は完全に床へ蹴り倒した。
ガッ! という鋭い音が響く。
それに息を呑むサロスの視線――その至近距離には、銀色に輝くナイフの輝き。
まるで俯せに倒れたサロスをその場に縫い止めるかのように、彼の顔の真横にある床へ、ヤミがナイフを突き立てたのだ。
「ぐ、ぅ――」
「――動かないように。少しでも不審に感じたらその瞬間に殺します」
「……ッ!!」
一切の容赦がないヤミの宣告に、サロスは言葉を失っていた。
どうせ動けもしない。床にナイフを突き立てたヤミが、まるで蹴り壊してしまった椅子の代わりとでも言わんばかりに、倒れたサロスの背中に座っているからだ。
主を害した下手人を、ほんの一瞬でヤミは完全に無力化してみせていた。
「さて。どうされますか、アロルド様?」
そんなことをヤミから問われる。
そこでようやく俺も再起動を遂げたのだが、思うことはひとつだった。
……え、つっよ、ヤミ……。
ぶっちゃけ怖いまである。
いや確かに、原作でもルートによってアロルドの前哨戦として、あるいはアロルド戦のお供としてバトルにはなる。だから戦闘能力があるのは知っていた、けれど。
正直、ナマで見るとここまでになるのは予想外だった。
――だって明らかに俺より強くない?
普通に身体能力が。少なくとも今の俺では勝てる気がしないくらいに。
こんなのアロルドのほうが前座になっちゃうって。怖っ。
もはや薬を盛ってきたサロスよりも、仲間であるはずのヤミのほうが恐ろしいまであるレベル。
単純に身体能力がファンタジーなのって、根源的で暴力的な怖さがある。
なるほど、動くスピードが速すぎて消えたかと錯覚する――みたいな創作的表現をマジで目の当たりにすると普通に怖い。
そんな、貴重な知見を獲得する俺であった。いらない。
「……じゃなくて」
かぶりを振って、余計な思考を頭から振り払う。
今はそれどころではない。考えるべきは目の前のサロスについてだ。
冥術のお陰でだいぶよくなった体の調子にかこつけ、俺は初めてベッドを降りた。
そのままサロスの前まで歩いていき、寝転がる背中に向けて、俺は告げる。
俺は悪役貴族だ。
その立場をここは笠に着て、高圧的に訊ねてみよう。
「さて、サロス。もう一度だけ訊く。――俺に何を盛った?」
ニヤリ、と厭らしい笑みを浮かべてみたりして。
この世界に来て初めて、悪役貴族っぽい振る舞いができたんじゃないか?
※
――なんてコトを考えている主を、メイドは観察する目で視ていた。
彼女――ヤミ=ダウナーは、ラヴィナーレ家の
理由はひとつ。通常、使用人とは家に仕えるものだが、ヤミが忠誠を誓う対象は、ラヴィナーレ家ではなくアロルド個人だということ。
つまりヤミは、次代の跡取りでもある長子アロルドの専属メイドなのだ。誰かしら専属の使用人を持つというのは、この国の貴族では往々にして見られる慣習だった。
問題は。
ヤミ=ダウナーという少女が、決して望んでそうなったわけではないことか。
元より自由などなかった。そもそもとして売られてきた少女には土台、選択肢など初めからない。ヤミ=ダウナーの人生の全ては、今の立場に縛られて終わる。
幼く、身寄りがなく、つまり立場がなく、庇護がなく、それが必要で――たまさか才能にだけは恵まれていたから買い手がついた。
だから専属メイドとして、アロルドにつけられることになったのだ。
ヤミはその立場を不幸だとは考えない。別段、幸運だと言い切るほど達観しているわけでもないが、上など見たところでキリがないことなら知っている。
奴隷扱いではないだけ有情だ。一定の自由があり、給金があり、人権がある。
――同様に。
それをいつでも踏み躙れる権利を、アロルドも持っているというだけで。
「――――――――」
そのヤミの目において、事故より目覚めてからの主は明らかに様子が妙だった。
それはもう、正直なところ別人なんじゃないかと本気で思えるほど。
ヤミはアロルドに忠誠を誓っているが、彼が好ましいかと問われれば、生憎それに頷く人間は肉親すらいないだろうというのが答えになる。
もともとラヴィナーレ家は没落気味の貴族だ。
かつては大貴族と呼ばれるほど栄華を誇った時代もあったらしいが、家系の祖先が押された《裏切り者》の烙印のせいで、今では見る影もないほど力を失った。
嫌われ者のラヴィナーレ。
そんな家の跡取りとして生まれたアロルドは、現当主である父親から、ただ血筋に込められた呪縛を覆すための駒として――その役割だけを求められた存在だ。
欲しいのはかつての隆盛ではない。
それ以上に復讐だ。
我々を虐げ我々を見下し我々を騙し我々を見捨てた、その全てを決して赦すな。
復讐せよ。
それが権利でそれが義務だ。
復讐せよ――。
そんな呪いのような情念に晒されて生まれた者が、土台マトモになるはずもない。
人格は歪み、魂は穢れ、すでにアロルド=ラヴィナーレは優越か嫉妬の二択でしか他者との距離感を測れない生き物になっている。
そんなモノが誰に愛されるはずもなく、ヤミはその環境に一切の同情を覚えない。
――それがどうだ?
今のアロルドは雰囲気からして別人だった。
口調がちょっと丁寧だとか、今まで見ることもなかった表情をしているとか、そういう部分とは別に――根本的に雰囲気がまったく異なっている。
誰も信頼せず、常に他者を遠ざけ、たとえるなら棘を纏った薄い皮で全身をいつも覆っているかのような――そんな利己的で排他的な気配が、完全に消えているのだ。
それがよくなかったのかもしれない。
お抱えの闇癒者だったのだが、まさか無断で余計な薬を盛るとは、さすがのヤミも想像していなかった。それにアロルド自身が気づいたことは不思議だったけれど。
「さて、サロス。もう一度だけ訊く。――俺に何を盛った?」
ニヤリと厭らしい笑みを浮かべてアロルドは言う。
その様子は、やはり、今までの主人とは似ても似つかない姿だった。
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