1-02『ゲームの世界』
――医者を呼んで参ります。
そう告げて、メイドのヤミは部屋を辞した。
ひとりになった自室(ここがアロルドの自室らしい)で、俺は考え込む。
「でも、そっか……俺、今『Cross Lord』の世界にいるんだな……。ふへっ」
思わず表情が変な笑いで歪んだ。
ひとりになったことで、実感を噛み締める余裕ができたのだと思う。
――なんだかんだ言っても寝食を忘れるほどのめり込んだゲームの世界だ。
自分がどんな人間だったのかは未だに思い出せないが、それでも『Cross Lord』の記憶だけはしっかり焼きついている。覚え込んだ設定は死ぬまで忘れないだろう。
自分で情報wikiまで立ち上げた俺の設定厨パワーは、世界が変わっても揺らがないらしい。
「いやあ、これはちょっと……嬉しいな。嬉しいわ。……ふひっ」
だいぶアレめのオタク笑いが出たが、誰もいないしこういうときくらい出していいでしょ!
うわ、すっごいな。何しよ、何調べようかな。原作じゃそもそも行けるマップ自体限られてるし、原作じゃ行けなかった暗黒時代以前のダンジョンとか行きたいよな。
てか原作キャラにも会いたい! 主人公や推しのヒロインをひと目見たい気持ちはもちろんあるけど、ここはシャルスとかシオみたいな、資料集にも載ってない知識を持っていそうなキャラの話が聞きたい。あとはやっぱりアイテム蒐集とか……!
「やべテンション上がってきた。ヒャッホ――あ
湧き上がってきた喜びにかこつけてガッツポーズなどしてみたところ、その揺れで体が悲鳴をあげた。
ヤミに鎮痛剤を飲ませてもらったとはいえ、体はかなりボロボロらしい。
「……つか、流してたけど普通にめっちゃ舌入れられたんだよな、さっき……」
今になって思い出してしまい、顔が紅潮していった。
あの感覚は、これがゲームの世界でありながら現実であるという実感を強くさせるものだった。少なくとも、設定資料集にそんなものは書かれていないわけだし。
「ヤミ、か……原作でもアロルドにずっと付き従ってたもんな。いや、ていうか俺、今さらだけどアロルドなんだよな。……よりにもよって」
ゲームの世界に来たことを単純に喜んでいた俺も、さすがにその点だけは手放しで受け入れられない事実だ。
なにせアロルド=ラヴィナーレといえば『Cross Lord』における明確な敵役。
どのルートでも必ず命を落とすことになる
元より『Cross Lord』シリーズはRPG――ロールプレイングゲームである。
アロルドは主人公たちの邪魔をする
メタ的に見るならそれだけの価値しかない、ただのデータだった。
とはいえ、それが現実となって降りかかった以上、このまま暢気にゲームの世界を楽しんで生きる――なんて楽観はとてもじゃないができない。
対策を打たなければ必ず死ぬ。
元の世界の俺がどうなったのか記憶はないが、それはつまり、死んだ記憶もないということ。原作の流れのまま死んでもいいや、なんて風には考えられない。
確かにゲームは好きだったが、じゃあその世界に行きたかったかと訊かれたとき、たぶん俺は答えに窮することになる。
いい悪い以前に、――そんなことを本気で考えたことがなかったからだ。
いざ来てみた結果はそれなりに嬉しい気がするが、同時にそれどころじゃない。
「まあ、打開策はある。俺が本当にアロルド=ラヴィナーレなら――」
アロルドは、データ上は所詮ただの中盤ボスだ。
ラスボスどころか後半の一部ザコ敵にすら
もちろん、物語の山場に強力な存在として立ち塞がる目玉のボスではある。厄介なギミックを強いてくるし、ゲームの進行状況を鑑みれば、アロルド戦が最も苦戦したボス戦だと語るプレイヤーも多いのだ。
特にRTAでは、『どのルートでも絶対あるアロルド戦がいちばん安定しない』と名高く、最速攻略ではかなり運ゲー化するアロルド戦は走者から蛇蝎の如く嫌われ、動画視聴者からはネタ的に愛された再走要因だ。コイツってそういう奴。本当。
ただ、設定面。
ゲーム的な強さではなく設定上での強さを語るならば話は別だ。
なにせアロルド=ラヴィナーレ、この世界でもトップに位置する術の天才である。
正直、才能という一点ではメインキャラに匹敵するか、なんなら凌駕するまである男だった。ただ才能を正の方向へ活かせず、負の方向に暴発させてしまっただけで。
まあそれが駄目だったんだが、ともあれアロルドは、いわゆる《早いうちに負けたけど振り返ってみると倒せたのがおかしいくらい強くね?》系のキャラである。
なにせアロルドが主人公たちに立ち塞がった直接の要因は、魔王化の失敗における暴走なのだ。
このゲームには設定上、明確に《魔王》が存在し、アロルドはそれになろうとして失敗した存在――逆を言えば、魔王化を試せるだけの才覚はあった人間なのだ。
普通ならそもそも暴走すらできない。
ルートにもよるが、このゲームのラスボスの一角が《実際に魔王化に成功した者》であることからも、アロルドが中盤ボスとしては惜しい存在なのがわかるだろう。
逆を言えば、設定面だけならその次くらいには普通に強かったのである。
実際、対決当時の主人公たちよりは正直、圧倒的に強い。
アロルドが主人公たちに破れた理由は、いわゆる主人公補正的な奇跡の後押しと、何よりアロルド自身の自滅だったという要因が大きいわけだ。
この点は俺にとってプラスだろう。
アロルドの持っていた才覚を正しく育てれば、俺はかなり強くなれるはずである。
「この世界で生きていく以上、戦力は必須。つまり《四大術》の習得は急務……!」
四大術。このシリーズにおける戦闘スキルやフレーバーとしての特殊能力。
この世界の神秘は設定上、四つの術のいずれかに必ず該当する。
騎士や剣士みたいな前衛だろうと、いわゆる僧侶や魔法使いスタイルの後衛だろうと、必ず四大術のいずれかを使って戦っている。
今の
本編開始時で確か十七歳だったはずだから、まだ幾許かの猶予はあるだろう。
この時期のアロルドなら本来、すでに上位クラスの戦闘能力を持っていたはずなのだから、それを失っているのは痛い部分だ。
俺にはアロルド=ラヴィナーレとしての記憶がまったく存在していない。
記憶とともに失われた術師としての能力を、早いうちに取り返さねばなるまい。
「俺が覚えてないだけで使う能力自体はあるはず。なら設定厨としての知識さえ活用できれば、すぐにでも使えるように……試してみるか?」
動かしづらい右手の代わりに、左の手のひらを見つめて俺は呟く。
まず試すなら――やはり四大術の中でも《
これが『Cross Lord』の世界観において《四大術》と呼ばれるものだ。
まあ、シリーズ1作目のこの時系列では《
冥術――ブライトは、簡単に説明すれば《回復魔法》の部類である。
世界観上《魔法》とは呼称されないが、おおむねそのイメージで間違いはない。
ファンタジー的なお約束を破ることなく僧侶的な立場の人間――つまり宗教関係の人間が多く習得しており、回復以外にも
術の強弱に、才能と同じくらい神への信仰心が強く影響することも大きな特徴で、そもそも上位の術は教会関係者にしか発動のための呪文――もとい聖句が公開されていない。その意味でも、上位の冥術師はほかの術師に比べて非常に希少だ。
つまり当然、術の天才であるアロルドも原作ではほぼ使用シーンがない。
なにせ嫌われ者の悪役貴族だ。教会との関係も劣悪なため、おそらく原作におけるアロルドは、そもそも上位の冥術を発動する方法を知らなかったと思われる。
まあ、どうせ教会に対する信仰心も希薄――というかほぼゼロだろうし、よしんば知っていたところで高い効果は得られなかったかもしれないが。
それでも、アロルドに向いていない
ひとつ目は単純、冥術が回復スキルだからだ。
俺は大怪我を負っているのだから、さっさと治してしまいたい。
もし上手いこと行けば、明日にでも――いや今日にでも体を完治させて、いろいろ見て回れるようになるかもしれない。
もうひとつは、さきほどわずかに発動させた気配があったからだ。
冥術――と呼ぶにはあまりに微弱だったが、さきほど俺の手が白く発行した理由はそれだ。体内のエネルギーが、自然治癒力を高めたのだろう。さすがは天才である。
あれで発動の感覚を少しだけ掴めた。今なら試せば行けるような気がする。
――コンコン、と。
ノックの男が部屋に飛び込んできたのはそのときで。
「おん?」
「失礼します、アロルド様。医者を連れて参りました」
「え。……あっ、そう? どうぞ」
扉の向こうから投げかけられるその声に、俺は冥術を試すのを諦めた。
そうだった……。そういやヤミは医者を呼びに出て行っただけだ。
いや、にしたってこんなに早く帰ってくるとは予想外だ。ヤミが出て行ってから、まだ数分程度しか経っていない。
もしかして、かかりつけ医みたいなのがすでに屋敷に控えていたのだろうか。
まあ、貴族だしそういうこともあるのかもしれない。
「失礼します」
かくして部屋の戸を開けて姿を見せるヤミ。
その傍らには確かに、みすぼらしい黒衣に身を包んだひとりの男が並んでいた。
「いやあ、これはアロルド様! お目覚めになられたとのこと、何よりです。まずはお喜びを申し上げる」
と、姿を見せるなりその男は言った。
前世でもドラマくらいでしか見たことがないような――気がする――それは見事な揉み手とともに、こちらに近づいてくる痩せぎすの男。
色素の抜けた薄い白髪が、若い容貌なのになぜか枯れた印象を与えてくる。
持ち上げるような言葉の割に、顔の表面に貼りつけたような笑みはどこか不気味で不快感がある。それこそ、なんだか安っぽい舞台演劇を見ているかのよう。
少なくとも――医師にあるべき安堵を与えるような雰囲気とは正反対の男だった。
「ですが、あれほどの大怪我。まだ安心はできません。薬を作って参りましたので、すぐお飲みくださいませ」
「あ、ああ……ありがとう」
「――、はい?」
「ん?」
とはいえ勝手な第一印象で失礼な態度を取るのもどうかと礼を告げた俺に、ほんの一瞬、医師の男は心底驚いたとばかりに目を丸くした。
ただすぐさま取り繕う笑みを戻すと、両腕をパッと広げて何か誤魔化すように。
「――ああ、いえ。なんでもございません。失礼いたしました」
「は、はい……?」
「まだ体調も万全ではありますまい。――ささ、すぐにこちらの薬を」
言って取り出したのは紫紺の色をした半透明の小瓶だ。
おそらく《
作ってきたとも言っていたし、この男は正確には医師というより冥術の使える薬師なのだろう。そういう職業を総じてこの世界では《
俺の耳に届く言語は日本語だから、頭で勝手に《医者》と思い込んでいただけだ。
ともあれ俺は小瓶を受け取り、そいつをひと息に飲み下した。
「――――」うげ。
薬なんて大抵そんなものだろうが、美味いか不味いかで言えば実に不味い。
それも苦みではなく、強烈に後を引く色濃い甘みのせいで。
……そうだっけか?
確か原作だと
まあ戦闘中にしろ移動中にしろ、アイテム欄から使う場合はキャラもいちいち感想なんて言わないから、そもそも
「……ん、ぐ……っ!?」
「痛みますか? しかしそれが効いている証拠です」
体の芯から湧き上がってくる奇妙な熱。
その感覚に呻いた俺に、黒衣の癒者は笑いながら言った。
……やっぱり何かおかしい。
こんなもんを戦闘中に服用して平気なのか? 副作用が強すぎる気がする。
いや理屈はわかる。
いわば込められた冥術による冥力――MPのHP変換。その補助。
負傷の直接治療は高位の冥術だけに可能な技で、所詮は補助に過ぎない
だとしたら、この軋むような心臓の熱はなんなのか。
「……お前、は……?」
そんな疑いが喉から漏れた。
別に名前を訊いたつもりじゃなかったのだが、それでも黒衣の癒者はそう捉えたのだろう。おどけたように悲しい表情を繕いながら、首を振ってこう言った。
「お忘れですか、サロスですよ、ジェイ=サロス。この近くの癒者です」
「――ジェイ=サロス……?」
「ええ。このたびはアロルド様が事故に遭われたと伺いまして、いつでも対応できるよう傍に控えて――」
その先は聞いていない。
だがジェイ=サロスという名前を俺は知っていた。
原作に登場するキャラクターだ。
「…………、まずい」
俺は知っている。ジェイ=サロスというキャラクターの本性を。
すなわち、――薬の改良のために無断で人体実験を繰り返す悪人だというコトを。
てことはつまり。
――俺、たぶん変な薬を盛られてる。
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