自滅する天才悪役貴族に転生したけど、設定厨知識で闇堕ちフラグをへし折ったヒロインたちの様子がおかしい

涼暮皐

1-01『転生したら悪役貴族だった件』

 目が覚めて最初に視界に入ったのは、黒い髪をしたメイドの姿だった。

 その髪と同じくらいの深さをした、澄んだ漆黒の目が俺を捉えてわずかに揺れる。


「お目覚めですか、アロルド様」

「あろ……、るど……?」


 言われたことをなんとなくそのまま繰り返す俺。

 なぜだか喉がカラカラで、言葉が突っかかって上手く話せなかった。


 妙に気だるい。全身が酷い倦怠感で包み込まれている。

 体を動かすのが億劫で、仕方なく頭だけを動かした俺にわかったことは、すぐ傍に見知らぬ少女が立っていることと、加えて言えば見知らぬ部屋で寝ていること。

 要するに何もわからなかった。

 徐々に不安が湧いてきて、どうにも居心地が悪くなってくる。


「ここは――……ぎっ!?」


 とにかく上体を起こそうとして、――その瞬間、全身に激痛が走った。

 腕が軋み、胴が唸りを上げ、脳髄の奥が焼かれるように熱くなる。


「……? ……! …………っ!?」

「いけません、アロルド様。落ち着いて、動かないでください」


 すぐ傍に立っていたメイド服姿の黒髪の少女が、起きようとした俺の肩に柔らかく手を添える。繊細な気遣いを感じる優しい手の触れ方で、俺も少しだけ力を抜いた。

 狙われたのは、たぶん、その隙だったのだ。


「失礼します」

「ん、む――んんんっ!?」


 口を塞がれる。その少女の潤んだ唇によって。

 さきほどまでの労わるような優しさはどこへ消えたのか。それは、キスと呼ぶにはあまりにも暴力的な口づけだった。

 咄嗟に身を捩って逃れようとするが、全身が痛むせいで抵抗の気力がすぐ折れる。


 それを隙とばかりに、そのまま少女は強引に俺の口へ舌を捻じ込んできた。


「んむ……っ、れろ」

「ん――ふ、ぁ……!?」


 色気のない、ただ容赦なく口を抉じ開けようとする舌の動きになぶられる。

 自然と交換される少女の唾液が口の中に。息をすることを求めるために、そのまま俺は唾を飲み込んでしまった。――その中に含まれた《何か》の苦味と同時に。

 そう。俺は口移しで何かを飲まされたのだ。


 そして、そうと気づいた瞬間。


「――ん、ぐ……、うっ……!?」


 体の芯に、焼かれるかのような熱が生まれる。

 全身がビクンと跳ね、堪えきれない異様な不快感が焼けつくように心臓を包む。

 だが、それはほんの一瞬のこと。

 炙るように全身を貫いていった熱は急速に引くと、直後に何もなくなった。


「ん……、ぷはっ」


 やがて少女の瑞々しい唇が、仕事は終わったとばかりに俺から離れていく。

 少女は、それと同時に報告めいた口調で成果を述べた。


「鎮痛剤です。少しは楽になられるかと」

「……それは……どうも」

「いえ」


 息も絶え絶えながらなんとか答えて、答えられたことに自分で驚く。

 なるほど、かなりの即効性がある鎮痛剤らしい。強引に唇を奪われた驚きのせいもあるだろうが、気づけば痛みは和らいでおり、少しくらいなら口も開けそうだ。


「こちらこそご馳走様でした」

「――うん?」


 なんか微妙におかしな言葉が聞こえた気がしたが、少女は表情ひとつ動かさない。

 人形のほうがまだしも人間味があると思えるくらい、黒髪メイドの少女は徹底的な無表情だ。それはもう、俺の耳のほうが何かを聞き間違ったと言わんばかり。

 ならひとまず流すかと考えるのをやめ、思考を別のことに使ってみる。


 ――察するに俺は事故に遭って、大怪我をして入院しているのではなかろうか。

 ここは病院で、つまり目の前にいるメイドは医師や看護師の類いなのでは?


 と。そんなことを一瞬だけ考えるか、とてもそうとは思えない。

 この部屋はどう見たって病室ではなかったし、目の前の少女も成人には見えない。そもそも、どこの世界の医療従事者が制服にメイド服を選ぶというのか。


 考えてもわからない以上、まずは周囲の情報を集めることを優先してみる。

 あまり想像したくはないけれど、この妙な状況、何か特殊なタイプの誘拐に遭っている可能性もないわけじゃない。まあ、だとしたらちょっと特殊すぎるが……。


 まずは自分。

 何やら巨大で豪奢なベッドの上で横になっている。

 腰元まで毛布がかかっており、つまり脚のほうはよくわからない。見てわかるのは上半身の様子だけだ。鎮痛薬の影響か、肌感覚なんかは鈍くなっている。

 右腕は添え木によって固定されており、はだけた胸元には包帯が巻かれていた。

 左手はどうやら無事のようだが、それで額に触れてみると、頭にも包帯が巻かれていることがわかる。

 はだけた衣服の肌触りのよさを無視すれば、状況はまさしく入院患者のそれだ。


「俺は……」

「はい。アロルド様は実験中の事故によって負傷なされました」

「……そですか……」


 小さな呟きに、それだけで意図を汲み取った的確な解答がメイドの少女から返る。

 なんとなく聞き覚えがあるような気のする声だったが、やはり初対面だ。

 ――それに言っていることは意味不明である。

 日本人である俺は《アロルド》なんて名前ではまったくないし、様づけの丁寧語で傅かれる意味も謎だ。もちろん、何かの実験をしていたという記憶もない。

 まるでだった。


 それは、俺にとっては当然の思考。

 だからだろう。特に考えず、そのまま俺は疑問を言葉に変えていた。


「アロルドってのは、俺のことか……?」

「――アロルド様。何を……?」


 それまで表情を一切動かすことのなかったメイドが、初めて顔に困惑を浮かべる。

 どうやら、明らかにおかしなことを口にしてしまったらしい。


「アロルド様……もしや、ご記憶が……?」

「いや、えっと……そういうわけじゃ」


 ない――と思う。

 ただ確かに記憶に曖昧な部分があるのは事実だ。


 自分が誰なのかはわかる。

 どういう暮らしをしてきたのかもなんとなく覚えている。

 ただその周辺の記憶がやけに曖昧だ。

 当然いたはずの友人や家族、これまで過ごしてきたはずの環境、住んでいたはずの住所や年齢、職業など――そういった情報がなぜだかひとつも思い出せない。

 自分の個人情報が、名前と性別くらいしか思い出せないのだ。


 一方、知識や一般常識などは残っている感じがする。読んでいた小説や、視聴した映画、プレイしたゲームなんかの記憶もしっかり残っていた。

 大して好きでもなかった芸能人や配信者の顔は思い出せる反面、さきほど目覚める前まで何をしていたのかという直近の記憶はまるでない。日常では使ったことのない四字熟語や、歴史上の偉人は思い出せるのに、知り合いの顔はひとつも浮かばない。

 なんだか頭の中がチグハグだった。


「――――ッ!?」

「アロルド様?」


 ズキリ、と。瞬間、頭に痛みが走った。

 咄嗟にこめかみを押さえると、それと同時に、なぜか白い光が手を包む。


「あ、え――!?」


 刺すような痛みが急速に引いた。

 なんだ、今の? ワケもわからず首を傾げる俺に、横の少女がひと言。


「今のは……回復術? 詠唱もなく、自然と……?」

「へ?」

「いえ、……さすがアロルド様。そのような技術もお持ちでしたか」


 お持ちではないし、そもそも何を言っているのか。

 回復術に、詠唱って。正気で出てくる言葉とはとても思えない。

 だが少女はとても真剣な様子だ。いや、真剣というか、この鋭さはもはや睨まれているような気さえする。さきほどまで無だった表情に、今や敵意すら感じるほど。


 やはりワケがわからない。そもそもこの子はどこの誰なんだ?

 その点についても訊いてはみたいが、なんとなく――あまり安易なことを言わないほうがいいような直感がある。


 どのみち今わかることを纏めなければ、何を訊くべきかも決められない。

 改めて、今度は俺が今いる場所について探ってみることにした。


 今いるのは、何やら豪華な部屋の中だ。

 マンションやアパート、ホテルというよりは――屋敷という印象が近いだろうか。感覚的には西洋風で、机や戸棚、照明などの調度品ひとつひとつが仰々しい。

 いっそテレビドラマのセットだと思うほうが納得できそうだ。


 ただやはり、どれもまったく見覚えはない。

 傍に控えるメイドの少女も相まって、なんとなく物語に出てくる貴族の邸宅っぽいかも、なんて感想が浮かぶだけだ。


「……ええと。実験中の事故って話だったっけ?」


 考えても埒が明かない、と唯一いる他人であるメイドさんに声をかけてみる。

 すでに元の無表情に戻っていた少女は、こくりと小さく頷いてから恭しく答えた。


「ええ。アロルド様は《命術バーン》による実験中に事故に遭われたのです」

「バーン……? バーンって……それ、つまり命術のことか?」

「? その通りですが」

「おいおい……」


 俺は、その単語に聞き覚えがあった。

 なにせ命術バーンとは――俺がいちばん好きなゲームに登場する、魔法に似た技術の名前だからだ。


 ――人気RPG『Cross Lord』シリーズ。


 それは重厚なシナリオと世界観、そして魅力的なキャラクターたちで人気を博するロールプレイングゲームだ。

 もちろん、それらは人気作における必須の条件だろうが、何よりこのゲームの特徴と言えるものは、そのあまりにも膨大かつ複雑な《設定量》にあるだろう。


 このゲームはとにかく世界観設定が大量だ。

 登場する全キャラクターに、モブまで含めて詳細な設定が存在し、それらが密接にサブシナリオに関わってくる。

 もちろん設定があるのはキャラだけじゃない。

 世界観そのものが、正直いらないだろというレベルで緻密に練られており、本編にまったく関わらない物品や、まったく登場しない国家、まったく使われない術に至るまで、とにかくなんにでも必ず設定が存在する――として一部界隈に熱狂的なファンを持つシリーズなのだ。


 そして俺自身、まさにその《一部界隈の熱狂的なファン》というヤツである。


 なにせその膨大な世界観設定に魅了され、まとめwikiまで自ら開設してしまったのだから。大ファンを名乗っても、おそらく差し支えないだろう。

 本編の途中に差し挟まれるTIPSはもちろん、特典資料集だけに登場する裏設定、一部雑誌のインタビュー記事でしか語られていない秘密、今では入手困難な同人時代限定の資料に至るまで、――およそありとあらゆる設定を集めた自信がある。

 その全てを暗記するほど読み返し、おこがましいが、制作者の次に詳しいのは自分だという自負があるくらいには、ハマりにハマったゲームシリーズだ。


「待てよ。てことは、……俺はアロルド=ラヴィナーレってことか……?」


 あのゲームの話だとわかれば、これまでピンと来なかった名前にも頭が回る。

 現に横のメイド少女は、俺の呟きに静かな様子で肯定を返した。


「その通りです。……事故の影響で自分の名前をお忘れになられたのですか?」

「まあ、ちょっと頭がすっきりしなくてね。鎮痛薬の副作用かもしれない」


 細い目で探るように問われたが、なんだか笑いの零れる会話だ。

 そりゃいちばん好きなゲームシリーズだけど、だからって登場人物アロルドの名で呼ばれて喜ぶほど妄想力は拗らせてない。ていうか、なんでよりにもよってソイツなんだ。


 アロルド=ラヴィナーレは、いわゆる《悪役貴族》に相当する敵キャラだ。

 

 記念すべきシリーズ第一作に登場するキャラクターであり、本編中では一部ルート以外で基本的に中盤最初の山場となるボスとして主人公に立ちはだかる。

 シナリオが本格的に進行し、多くのプレイヤーにとっては最初の難関ボスバトルとして認知されている、そういう意味では人気キャラのひとりだ。

 ただそういったゲームネタ的な愛され方を除けば、普通に嫌われているキャラでもある。


 なにせクズだ。正直まったく弁護の余地がない生粋の悪人である。

 生まれた家からして悪の血筋。主人公たちに繰り返す嫌がらせなんて実際かわいいもので、ボスとなる中盤のシナリオでは、街ひとつを犠牲にして大量殺戮を敢行する大悪党である。


 そんな奴の名前で呼ばれるなんて、正直もはや人格批判にも等しいが。


「……なあ、ヤミ」

「はい、アロルド様」


 俺は隣に控える少女――ヤミ=ダウナーを名前で呼ぶ。

 アロルドの専属メイドで黒髪黒眼のキャラといえばヤミ=ダウナーだ。アロルドとともに主人公に立ち塞がり、アロルドといっしょにどのルートでも死亡する。

 アロルドを世話しているのならヤミだろう、と決め打って呼んでみたが、向こうも何も疑問に思っていない。なら、そういうことになっているのだろうと納得する。

 実際、気づいてみれば顔がヤミだ。

 ゲームは実写じゃなくイラストだからすぐには気づかなかったが、顔も体格も着ているメイド服も――『Cross Lord』を実写化したらまさにコレという感じ。


 なるほどつまり、俺は悪役貴族アロルド=ラヴィナーレに転生したってワケか。


 ……そんなことを信じろって?

 いくら俺でも、さすがに簡単には信じられない。


 でも、だからって、じゃあ目の前にいる自認ヤミが俺を担いでいると考えるのも、それはそれで現実味がない。そんな理由で鎮痛剤を飲ませるためにキスまでするか?

 そもそも俺が大怪我を負っていることは単純に事実だ。

 まあ俺の知る限り、アロルドが大怪我なんて背景設定には覚えがないが……。


「悪いけど、手鏡か何かを持ってませ――持ってないか? あったら借りたい」

「こちらにございます。どうぞ」


 念のため丁寧語を控えつつ、ヤミに問う。貴族が使用人に丁寧語はない。

 幸いヤミは、すぐ脇にある小さな棚の引き出しから、高価そうな手鏡を取り出して

こちらに手渡してくれた。


 俺は、だから、手渡された手鏡を動く左手で覗き込んで――そして薄く笑った。


 そこに写る顔がからだ。


 金髪に蒼眼。明らかに西洋風の顔立ち。

 とてもではないが、それは日本人の――俺の顔つきとは似ても似つかない。


「……マジか……」


 大怪我にお屋敷にメイド。白い光に他人の顔。

 こうなると信じるしかなかった。

 俺は、――ゲームの悪役貴族に転生してしまったのだ。


 それも、このままだと絶対に死んで終わるバッドでデッドなエンドのタイプの。

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