第8話 覚醒の翼と、罪人アルの最期
アルが跳びかかる瞬間、ユーロの視界はまるで加速したように鮮明だった。
アルの足の動き。
腕の筋肉の緊張。
ナイフの軌道。
空気が裂ける音。
それらすべてが、以前よりもゆっくりと見えた。
(……見える)
ユーロは、自分が人間離れした感覚を得ていることに気づいた。
アルの刃が喉元へ迫る。
だが、ユーロはそれを軽く身をひねるだけで避けた。
「な……!」
アルが驚愕の声を漏らす。
ユーロは反射的に左手でアルの手首を掴んだ。
その瞬間――
「ぐっ……!」
アルの腕が弾かれた。
ユーロにとっては軽く触れただけだったが、アルの顔には激しい痛みの色が浮かぶ。
(力が……強すぎる……?)
勾玉の紋様が胸で脈打ち、翼が震えた。
「アル先生……やめてくれ。もう戦う理由なんて――」
「黙れぇ!!」
アルが叫ぶ。
その叫びには、怒りだけではなく、深い絶望が混じっていた。
「私は……四百年分の地獄を味わった!
天力を奪われ、翼を失い……!
空を飛べない天族が、どれほど惨めか……お前に分かるか!?」
「……」
「私はな……毎日空を見ていた。
どんなに手を伸ばしても届かない。
どんなに願っても……もう二度と羽ばたくことは叶わない……!」
アルの目には、涙が滲んでいた。
「その苦しみを、天族は理解しなかった……!
だから私は……自分の手で“もう一度”空を掴むしかなかったんだ!!」
悲痛な叫びだった。
長年押し込めていた苦しみが、今ようやく噴き出したような声。
ユーロは胸が締めつけられた。
(苦しんでいたのか……先生も……
俺たち地族と同じように……)
だが、その悲しみが他者を傷つけて良い理由にはならない。
ユーロは首を振った。
「だったら……どうして俺を刺したんだよ……!
どうしてエルーから天力を奪わせた……!?
どうして……“自分だけ”助かろうとしたんだ……!」
「私は……!」
アルは言葉を詰まらせた。
ユーロの瞳がまっすぐ自分を見つめていることが、苦しかった。
「私は……空が欲しかっただけなんだ……!」
そしてもう一度、ナイフを構えた。
「その翼は……私のものだァァ!!」
アルが咆哮とともにユーロへ飛び込む。
しかし――
ユーロの身体は自然に反応していた。
「やめろよ……先生……!」
振るわれた刃を避け、ナイフを握る腕を掴み、ひねった。
パキッ、と小さな音が響く。
「……あ、が……っ!」
アルの手からナイフが落ち、音を立てて床に転がった。
ユーロはアルを強く押しのけることもせず、ただ腕を取り上げるだけで、アルの体勢は崩れ、床へ倒れ込んだ。
まるで、力の差が圧倒的だった。
「もうやめよう、先生。
俺は……あなたを傷つけたくない」
だが、アルは膝をつきながらもなおも手を伸ばす。
「翼……!
その翼が……私の……ッ……」
床に落ちたナイフへ手が伸びる。
ユーロの背に、生まれたばかりの翼が反射的に広がった。
羽が空気を掴み――
風が爆発する。
「うわっ……!?」
吹き荒れる風が、室内の器具や石片を吹き飛ばし、アルの身体を遠くへ弾き飛ばした。
壁に叩きつけられたアルは、声を失い、そのまま崩れ落ちた。
動かない。
「……先生?」
ユーロが近づこうとしたが、その腕をエルーが掴んだ。
「だめ。近づかないで。
今のあなたの力は……制御できてない」
ユーロははっとした。
(俺が……先生を……?)
しかし、エルーは静かに首を振った。
「違うわ。あなたは自分を守っただけ。
あの人は……自分を追い詰めすぎたのよ」
二人はしばらくの間、倒れたアルの姿を見つめた。
アルはもはや、力尽きていた。
呼吸はしている。だが、その瞳にはもう戦う意志はない。
「……翼が、欲しかった……だけ、なのに……」
アルのかすれた呟きが、空気の中に散っていった。
■ 崩れ落ちる空間と、逃走
その瞬間、部屋全体が激しく揺れた。
「な、何だ!?」
白い壁に亀裂が入り、天井の光源が明滅する。
「この空間は……勾玉の起動で維持されていたのかも!」
エルーが叫ぶ。
「じゃあ、このままだと崩れるってこと!?」
「急いで外へ出ないと!」
三人は走り出した。
だがユーロは一瞬、倒れているアルのほうを振り返った。
「エルー、先生は……!」
「連れていくわ! 放っておけない!」
エルーは天力を失ってもなお、アルの腕を肩に回して引っ張り上げようとした。
だが、体力はすでに尽きかけている。
「エルー、俺が……!」
ユーロは軽々とアルの体を持ち上げた。
まるで羽毛のようだった。
(ほんとに……俺、力が強くなってる……!?)
壁が崩れ落ちる音が背後でする。
天井から光が飛び散り、床が沈みかけている。
三人は必死に洞窟の出口へと走った。
勾玉の光が遠ざかるにつれ、空間の崩壊は激しくなっていく。
「ユーロ、急いで!」
「分かってる!」
ユーロはアルを抱えたまま、翼をほんの少しだけ動かした。
――風が吹く。
それは、ただの風ではない。
彼自身を前へ押し出すような、不思議な推力だった。
(飛べる……?
いや……今はまだ……!)
翼を大きく使えば、この洞窟ごと吹き飛ばしかねない。
それが直感的に分かった。
出口の光が見えた。
そこへユーロは全力で走り抜けた。
直後、轟音とともに内部が崩れ落ちる。
岩の破片が地面を転がり、白い粉塵が空へ舞い上がった。
三人は外の空気を吸い込み、ようやく止まった。
「はぁ……はぁっ……!」
ユーロは膝をつき、肩で息をした。
エルーは倒れているアルを見つめ、唇をかみしめる。
「アル先生……」
アルは目を閉じたままだったが、呼吸は確かにある。
(これで……よかったの……?
先生を、止められたのだから……)
しかし、心の奥に小さなしこりが残る。
恩人であり、裏切り者であり、狂気に囚われた男でもあった。
ユーロも、複雑な思いを抱えていた。
「俺……生きてるんだな……
ほんとに……」
自分の胸に触れると、勾玉の紋様が脈打った。
その鼓動は、自分自身の鼓動と同調している。
「ユーロ」
エルーがそっと手を伸ばし、ユーロの顔に触れた。
「本当に……よかった……!」
エルーの目から涙が零れた。
ユーロはその涙を見ると、胸が痛くなった。
「エルー……お前……天力を……全部……」
「ううん、いいの。あなたが生きてくれたから……」
その言葉は、あまりにも優しくて、あまりにも重かった。
(俺のせいで……エルーは天族じゃなくなったんだ)
罪悪感が喉を締めつける。
しかし同時に――胸のどこかが温かくなった。
(エルーを、守らなきゃ)
風が吹く。
雲の海が広がる。
二人と一人――崩れ落ちた洞窟の前に静かに立っていた。
この日、ユーロは命を取り戻し、新たな翼を得た。
エルーは天力を失い、天族としての身分を失った。
二人の運命は、この島で交差し――
そして、新たな物語へと進み始める。
罪人アルは倒れ、かつての願いは叶わなかった。
だが、その存在は二人に深い傷と、同時に強さを残していった。
空は曇り、風は荒れている。
それでも――二人は空を見上げた。
「行こう、ユーロ。
これは……まだ始まりよ」
「……ああ。
俺が……お前を支える」
そう言ったユーロの背中には、
――大きく、美しい翼が広がっていた。
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