第4話 まだ名前のない夢
DOLL THEATERのライブに行った翌週、仕事帰りで疲れていた遥は自宅のポストを開けた瞬間、息が止まりそうになった。
ポストの中に白い封筒が一通。
DOLL THEATER トビーよりと封筒に書いてあるのが見えた。
恐る恐る封筒をポストから取り出し、急いで家の中に入った。封筒を持つ手が汗ばむ。
背負っていたリュックサックをその辺にぽんと置いて、低いテーブルの前に座りじっくりと封筒を見た。
やはりトビーよりと書いてある。宛先は国東遥様。
(私宛だ!!やばい!)
心臓の音が聞こえた。胸の高鳴りは、先週のライブ以上かもしれない。
遥は、なるべく端っこからはさみで丁寧に封を切って開けた。
中には折りたたまれた便箋が一つ。
ゆっくりと便箋を開いて中を見た。
――遥さんへ
お手紙ありがとう。この間はライブに来てくれてありがとう。
これからもピッピやあなたが笑顔になれるよう頑張っていくよ。
トビーより
遥は泣いた。返事の通りに笑顔になりたかったけど泣いた。
それから、遥はDOLL THEATERのライブに通い始めた。
行ける限りライブに行き、デモテープやCDを買い、毎日聴いて心を満たした。
トビーからの風船も手に入れた。一生の宝物。
あれからライブに行く度にファンレターを書いた。
トビーは毎回丁寧に返事をくれたから、遥もだんだんと色々な質問をするようになったし、自分の悩みも書いた。
バンドの名前の理由やバンドのコンセプト。どうやって曲を作っているのか。
自分の家に居場所がなかったこと。でも今は一人暮らしだから気が楽なことなどなど。
DOLL THEATERは、バンドの規模としては大きくなかった。だから、ライブは一回の公演で4~6バンドが順番に演奏する対バンイベントが多かった。
そのイベントを見にいくうちに遥はたくさんのバンドの存在を知り色々なライブハウスにも足を運んだ。
DOLL THEATERの世界はずっと遥の心を掴んで離さなかったけど、対バンする他のバンドたちもどれも良い音を鳴らしていた。
どのバンドも遥にはキラキラして見えた。ライブハウスでもらうたくさんのフライヤーが家の中で場所を取り始めている。捨てられない。だって音楽雑誌以上に新しいバンド知る貴重な情報源だから。
バンドやライブハウスごとに暗黙のルールみたいなものが存在した。
チケットの買い方や振りのやり方など、遥にはどれも新鮮で面白かった。
音を至近距離で浴びている時、心が脈打って生きている感じがした。
同じバンドライブに行っていると、見知った顔も出来てきて、言葉を交わすようになって、気の合う友達も出来た。名前は
自分の居場所はここだと思った。
DOLL THEATERに通いだしてもう少しで季節が一回周りする頃、遥は物足りなさを感じ始めていた。
バンドに飽きてきたとかではない、もっと違うもの。
DOLL THEATERや他のバンドたちを観る度に思うこと。想像すること…
それは、応援している自分じゃない。
……ステージに立っている自分。
楽器はやったことがないから弾けない、かといって歌も上手くない。
なによりステージ中央に立っている自分は想像できなかった。
頭の中に浮かぶのは、トビーやエリーのようにギターかベースを弾いている姿。
(観てるいのも楽しいけど……私もあそこに立つことができたら……
いやいや、私なんて無理、無理……、でも考えるのをやめられない)
ある日、DOLL THEATERのライブに行った時、友達になったミコに遥は自分のこの気持ちを打ち明けてみた。
「ねえ、みこ、あのさ……」
「何、どうした?」
「私、最近考えるの。ライブ見るのも楽しいけど……」
もじもじしている遥を見てみこは
「もしかしてDOLL THEATERを上がるとか考える!?」
「違う!違う!全然違うよ!自分もバンドしたいなぁ、みたいなさ。
みこはそんな気持ちになったことない?」
バンドを上がることは、必死に否定しながら遥は言った。
「バンドをやる!?」
みこは目をまるくした。
「そう。自分も音を出せたら……。素敵じゃない?」
「うーん、そうねぇ、うーん、確かに素敵だけど、私は観ているだけでいいかな」
「そっかぁ」
ライブが始まり話はそこで終わりになった。
ピッピが歌い、トビーが滑らかにギターを弾く。
(いいなぁ、私も……)
遥はじっとトビーを見つめた。
特に予感はなかった。
自分もバンドをやりたいと思うようになってから、楽器店を覗くのが習慣になっていた。
実際に買わないけれど、お店で目についた楽器を買ったつもりになって想像する。
ステージに立つ自分の姿を。
そんなある日、いつものように狭い商店街の外れにある、小さい楽器店に行った。
ガラス越しに並んだ楽器たちは、どれも少し色褪せて見えた。
ドアを押すと、乾いたベルの音が鳴った。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から、年配の店主が顔を上げる。
遥はいつもと同じように軽く会釈して視線を泳がせながらギターを見た。
新品を見、想像を膨らませたら、今度は中古コーナーへ。
新品と中古では値段が全然違う。とてもじゃないが、やっと社会人2年目を迎えた遥に新品は手の出る値段ではなかった。
とはいえ中古でも高い。
遥は壁に並んだギターを見た。いつもと変わり映えのしないギターたち。そのまま中古のベースが並ぶ。こっちもいつも通りと思いかけた時、一本のベースに目がいった。
左利きのベース!
しかもこれだけやけに安かった。
「それね、前の人が途中でやめちゃってさ」
いつの間にか、店主が後ろに立っていた。
「クセもあるし、左利き用はどうしても需要がすくなくてね」
(左利きか、でも安い。ベースだけどこれなら手が出る値段……)
遥がじっと眺めていると店主は左利きのベースを遥に渡してくれた。
ベースにそっと触れた。
塗装は少し剥げていて、ボディにも細かな傷がった。
でも、ネックは真っ直ぐで、弦も張り替えられている。
「初心者なら、十分だと思うよ」
その言葉に、遥の胸が少しだけ軽くなった。
――これでいい。
トビーと同じギターじゃないけど、
エリーは小さい体でベースを弾いている。
それに4弦の方が弾きやすいはず……
なにより、今の自分に届くもの。
「……これ、ください」
声は少し震えていた。
店主は、ゆっくりと頷いた。
アパートの六畳一間。
壁は薄く、隣の生活音がかすかに聞こえる。
遥は買ってきたベースを早速、ケースから取り出した。
(つ、ついに買っちゃった!自分のベース!)
アンプには繋がない。
音は出さない。
ただ、指だけで弾く。
右手でネックを握る。
左手で、恐る恐る弦に触れる。
(太い……)
弦は思っていたよりも硬く、指先に食い込む。
ポン、と小さく空気の音だけが鳴った。
それだけで、遥の胸が強く脈打つ。
(これが……ベース)
最初は、何も分からなかった。
押さえる場所も、音の高さも、全部曖昧だった。
ただ、何度も、
開放弦を弾いて、
また指を離して、
また弾いて。
それだけを、繰り返した。
指先が少しずつ、じんと熱を帯びてくる。
痛みと、鈍い振動が、ゆっくりと体に残る。
それでも、手を止めなかった。
誰にも見せない。
誰にも聴かせない。
今はまだ、音楽と呼べるものじゃない。
それでも――
(私は、今、弾いてる)
その事実だけが、胸の奥で小さく光っていた。
弾くたびに、
どこか音が濁る気がした。
低い弦が、妙にびりつく。
ポジションを変えると、急に音程が不安定になる。
(……こんなものなのかな)
比べるものがない。
正解もわからない。
それでも、
音は出ているし、弾けている。
遥は一度ベースから手を離し、
ケースの中を覗いた。
小さな紙切れが挟まっている。
買った時に、店主が滑り込ませたレシートの裏だ。
『一応弾ける状態だけど、
ちゃんと調整した方がいいよ』
その言葉を、遅れて思い出す。
(……調整?)
それが何なのか
まだ遥にはよく分からなかった。
窓の外では、遠くの車の音が流れていく。
アパートの廊下を、誰かが歩く気配がする。
この部屋だけが、切り離された世界みたいだった。
遥は、静かに弦を弾き続けた。
指先が痛くても、
音が出なくても、
上手くいかなくても。
その夜、
遥は初めて、
「演者になるための時間」を、自分の手
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MONDE ―光を鳴らす物語― ぽちな @pochina3
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