02

 アレクサンダーには非常に不名誉であるが、一つだけ生きていくための奥の手が存在していた。

 それにより、今しがたアレクサンダーに「絶対にお部屋から出ちゃだめよ。何があってもね」と再三と言われていたフィリアであったが、お店の方から聞こえる獣のような声にびくりと体を震わせていた。


「豚でもいるのかな? ええ、気になる……気になって仕方がないよお。ちょっとだけ! ちょっとだけだし! 確認したら帰ればいいんだもんね!」


 アレクサンダーの奥の手であるようだが、これによって今晩食事にありつけるか決まるのだ。気になりすぎるに決まっていた。

 フィリアは物音を立てないようにゆっくりと私室から出る。

 ここはアレクサンダーの店の奥にある、日常生活を営むための空間だ。

 食事をとったり、まったりする為のリビングを抜けて、声が聞こえてくるのを頼りに足を進めた。


――お゛おん!

――あひん!


 炸裂音のようなパアンッ、パアンッという音と共に汚い鳴き声が響いていた。

 フィリアはお店の中から聞こえる音の正体を知りたくて知りたくて仕方がなかった。

 だから、迷うことなくお店に繋がる扉を小さく開けたのである。

 フィリアは迷う事なくその小さな隙間に顔を近づけ目を凝らした。

 そこには店の真ん中で、まんまると肥えた四つん這いになったおじさんが、容赦なく何かを打ち付けられていた。しかしおじさんに何かを打ち付けているのは、死んだような魚の目をしたアレクサンダーだった。

 アレクサンダーの手には、壁に掛けられていた光沢のある黒い細長い棒のような物にピロピロとしたものが付いたものが握られている。

 馬鞭のようなそれに、フィリアは合点の行った顔をした。あれは鞭だったのだ、と。


「ええ! やっぱりアレク様は男性が好きだったんだ……! にしてもアレク様って人を痛めつける趣味があるのかな? うわ~痛そう。あでも、おじさん嬉しそうな顔してる! ウィンウィンの関係ってことじゃん! ひゃ~私こんなハードな行為初めて見ちゃった!」


 フィリアは両手で顔を覆う。しかし指の間は開いていき、指の隙間から行われている行為を見続けてしまっていた。

 フィリアの胸はドキドキと高まっていた。

 勿論こんな高次元の行為によってではない。死んだ魚の目をしながらも、おじさんに鞭を打ち続けているアレクサンダーを見ての動悸だった。

 気だるげな顔。死んだ魚のような目。だのに額から滴る汗。どれを取ってもフィリアにはセクシーに見えていた。


「わあ~! アレク様はやっぱり目の保養になるなあ。汗をかくアレク様も素敵!」


 きゃあきゃあと口の中で黄色い悲鳴が籠る。

 フィリアは興奮を抑え込もうと、小さくぴょんぴょんと跳ねて手をバタバタとさせた。

 そんなこんなをしているうちに、店の方がやけに静かになったことにフィリアはふと、気づいた。

 目の前の扉がいつの間にか全開に開け放たれている。

 フィリアは油が切れた機械のように首を小刻みに震わせて顔を上げた。

 そこには鞭を持ったまま、両手を腰に当てたアレクサンダーが顔を真っ黒に染めてフィリアを見下ろしていたのだ。


「み~た~な~!」

「ギャ、ギャッー! 命だけは! 命だけはお許しくださいアレク様~!」


 地獄から這い出てきたようにアレクサンダーの声はひび割れている。

 逃げるが勝ちだ、とフィリアはとんずらを決め込むが、アレクサンダーに服の首根っこを掴まれたことによって叶うことはなかった。

 フィリアの口からは濁点の付いた女の子にあるまじき汚い声が出ている。


「ぐるちい! しぬう!」

「フィリア、お黙りなさい。ンマアアこの悪ガキどうしてやろうかしら!」


 こめかみに青筋を浮かせたアレクサンダーはフィリアを小脇に抱えると店の奥に足を進めた。


「えーんえーん! あーん! アレク様ごめんなさい〜!」

「フィリア。黙りなさい。嘘泣きもやめることね」


 アレクサンダーにそう指摘されたフィリアは慌しかった様子が嘘のようにすん、と静かになった。フィリアは無表情になったかと思えば、子供のように眉間に皺を寄せて唇を突き出した。

 しかしフィリアは取り繕うように、にっこりと愛想笑いを貼り付けた。


「アレク様アレク様! 私はどんなアレク様でも尊敬してるんです! 私には高次元すぎて理解はできないけど、いいと思います!」


 アレクサンダーは、フィリアの言葉に耐えきれないと言わんばかりに吠えるように叫んだ。

 

「あのねえ! アタシだって好きでおっさん打ってるわけじゃないのよ!? この依頼が半年分の生活費って言われたらやるしかないじゃない!」


 フィリアはそう言えば確かに、先程のアレクサンダーは死んだような魚の目をしていたな、と思い出していた。アレクサンダーに酷い事を言ってしまったのではないだろうかと、フィリアは思い始めた。

 フィリアは取り繕うように甘えた声を出した。


「あ、わ……その……。アレク様♡ お勤めお疲れ様です♡ 今日はアレク様の大好きなお料理たーくさん作りますからね♡」


 アレクサンダーはわなわなと震えて何も言葉を返してはこない。いよいよアレクサンダーを怒らせてしまったかも、と顔色を伺うようにフィリアは小脇に抱えられながらアレクサンダーを見上げた。

 アレクサンダーは、おもむろにフィリアを床におろしたかと思うと、わっと両手で顔を覆っておんおんと泣き出してしまったのだ。


「ア、アレク様!? 大丈夫ですか!?」

「うう゛! うゔ〜! もう嫌っ! 何が嬉しくておっさんを打たなきゃいけないのよお゛〜! 本当は、こんなことしたくなんかないのにっ……!」


 それはそうである。何が悲しくて魔王を倒した英雄様が、おっさんを鞭で打って生計を立てなければいけないのか。

 フィリアはおんおん泣き続けるアレクサンダーが段々と不憫になり、泣き止むまでアレクサンダーの頭を撫で続けてやるのだった。

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