03

 夜も更けて、フィリアはアレクサンダーの店の制服を脱ぎ捨てていた。

 フィリアの今の服装は、レースがふんだんに施された可愛らしいブラトップ一枚にぴたりとした短すぎる黒い短パンのみという格好であった。

 黒いソファの上にうつ伏せになり、大胆に足を晒しながらぷらぷらと膝を曲げて寛いだ様子である。

 フィリアの手には雑誌があり、口にはアイスキャンディーが刺さっている。

 これは、アレクサンダーがおじさんをしばいて手に入れた報酬から購入したものだった。


「フィーリーアー! アンタいい加減になさい! 嫁入り前の娘が男の前で肌を晒してるんじゃないわよ!」

「男? 何言ってるんですかあアレク様。ここにはフィリアとアレク様しかいないじゃないですか~?」

「はあ!? だから服を着なさいっていってるのよ!」


 アレクサンダーは、ド派手な化粧の下の肌を密かに赤く染めて、髪を取り乱してフィリアにガミガミとお説教を続けている。


「だいたいね! お風呂から上がったら裸でうろうろしない! それと夜に私のベッドの中に潜り込むのもやめてくれる!?」

「だってえ寒いんですもん~」

「寒いなら服を着なさいっていってるでしょうが! いい? ここで働き続けたいのなら慎みをもってちょうだい。親しき中にも礼儀あり、ってよく言うでしょ!? わかったわね? 返事は!?」

「はあ~い」


 そう気だるげにフィリアは返事をした。絶対に守ってやるものか、と決意しながら。

 そんなフィリアの様子にアレクサンダーは胡散臭いものを見るような目をして、深い深いため息をついた。

 アレクサンダーはぐしゃり、と前髪をかき上げている。


「はあ……今日はもう、何だか疲れたわ。お風呂に入ったらそのまま寝るから、フィリアもあんまり夜更かししないのよ?」

「はあい。アレク様~」

「全くもう……」


 アレクサンダーは疲れを滲ませた後ろ姿をフィリアに向けてお風呂場へと消えて行った。

 ここで大きなすれ違いが起きているわけなのだが、フィリアはまだ知ることはない。

 アレクサンダーがこのような振る舞いをするようになったのは、当時齢8歳という幼い王女の王配にさせられそうになっていたからであって、決して男性が恋愛対象な訳ではないということを。

 今でこそ、この喋り方や見た目が妙に居心地よくて定着してしまっているだけで、アレクサンダーはゴリゴリに女が好きだということを。

 フィリアが知ることとなるのはまだまだ先のもっともっと面倒くさい事件が起きてからなのであった。


 フィリアは漏れ出そうな欠伸をかみ殺すように口に力を入れる。目尻には少しだけ欠伸によって涙が溜まっていた。


「アレク様、お風呂上がったかな~」


 その声はどこか弾むようなものだった。

 フィリアは雑誌を閉じてソファに無造作に置くと、口の中に残ったアイスキャンディの木の棒を無意識に何度も噛んでしまっていた。

 ゴミ箱に捨てようと、口の中から取り出せばアイスキャンディーの棒は噛んだことによって折れ曲がるように割れていた。

 フィリアはそれを、何の感情も孕んでいない目で見るとゴミ箱にぺいっと捨てたのだ。

 静寂の中素足だからか、ぺたぺたとしたフィリアの歩く音が響いている。

 アレクサンダーの部屋の前で止まったフィリアは深呼吸を一度だけして、ドアのノブに手をかけた。驚くほどあっさりと部屋の扉は開いていく。フィリアは、何だかんだ部屋の鍵をかけないままでいてくれるアレクサンダーの優しさに救われるような心地だった。


 ――アレクサンダーに許されている。受け入れられている。


 そんなまるで、夢物語のような妄想に泣いて小躍りしそうだった。

 フィリアは音を立てずに、アレクサンダーの部屋の中に足を踏み入れていく。

 青白い月明かりが部屋の中を優しく照らしていた。ベッドの上にはちんまりとした大きなふくらみが見える。

 アレクサンダーは横向きの体勢になり膝を軽く胸に引き寄せ、ミノムシのように毛布にくるまり、背中を少し丸めたような寝方で安らかな息をたてているのだろう。

 胎児姿勢のようなそれに、何だか微笑ましくなった。

 アレクサンダーの好んでいる寝方は、ベッドに潜り込むようになって初めて知った事だった。

 ひとつひとつ、アレクサンダーの事を知っていけることが何よりフィリアは嬉しかった。

 フィリアは、ゆっくりとアレクサンダーが寝ているベッドに近づく。青白い月明かりに照らされた化粧の落とされたアレクサンダーの端正な顔。その目元には深い深い隈が刻まれていた。

 フィリアはその隈が消えるように指で優しくなぞり、最後に涙袋に指を這わせた。

 アレクサンダーは何か、悩みがあるのかもしれない。それを取り払ってあげたいのに無力なフィリアは何もできなかった。

 寒い外気が入らないように、小さく毛布を捲ってアレクサンダーのベッドへとフィリアは潜り込む。

 アレクサンダーの高い体温によって湯たんぽのように暖められた毛布の中は、世の中の何よりも極楽な世界なのだ。


「アレク様……おやすみなさい」


 今日もフィリアはあまりに無防備な子供のような顔で、アレクサンダーの隣で安眠を貪っている。



 *



 フィリアから規則正しい呼吸が聞こえてきたころ、アレクサンダーはのそり、と体を起こした。苛立ちを隠せず前髪を掻き乱した。


「あ゛ー……クソッ」


 アレクサンダーは男性らしい仕草で前髪をぐしゃぐしゃと乱し続けている。連日、己の睡眠不足の原因である暢気な顔で無警戒に隣に寝ているフィリアを見て、アレクサンダーは舌打ちを零した。

 無防備なフィリアに手を伸ばしそうになって、アレクサンダーはぐっと血が出るくらい拳を握り上げた。


「ッッ。はあー……あーあーあー」


 ハニートラップか?己の失脚を狙った何者かの手先か?

 そんな事をぐるぐると考えては、アレクサンダーはそんなはずはないな、と思いなおす。

 所詮アレクサンダーは元勇者。過去の栄光でしかないのである。平和になった今、誰もアレクサンダーの事を思い出す者などいないのだろう。

 それにもし、フィリアが本当に誰かに雇われてアレクサンダーのもとに来たというなら、もうあっぱれである。

 もしその時は、アレクサンダーは大人しく騙されて寝首をかかれてもいいとすら思えた。

 それほどに、フィリアの存在はアレクサンダーにとって綺麗すぎたのだ。穢れを知らず何が怖いのかも分からず、ただそこにあるだけの弱い命だった。


 アレクサンダーは元勇者であったゆえ、魔王を倒すまで色んな者を見てきた。弱者を騙し搾取する者。偽善の皮を被った悪意しかない者。盗み、集り、薬物斡旋、嫌になるくらい世の中の汚さを纏ったそれらは、アレクサンダーを無意識の中で人間不信へと育て上げていた。


「んんっアレク様あダメですよおう。そんなに食べたらお腹壊しちゃいます~」

「……馬鹿ね」


 アレクサンダーは呑気な寝言を漏らし、むにゃむにゃと口を動かしているフィリアの前髪を優しく横に流した。

 しかしそれ以上触れることはなく、ぐるぐると簀巻きのようにフィリアを毛布で包みその上から抱きしめるように包んでやった。

 フィリアは息苦しそうに、うんうんと唸り眉間に皺を寄せている。そんなフィリアに少しだけ溜飲の下がったアレクサンダーはただ瞳を閉じた。

 今日もまともに寝られないだろうな、とアレクサンダーは憂鬱になった。

 魔王の攻撃よりも遥かに残酷な苦行を強いてくるフィリアに、アレクサンダーは負け続けている。

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