最高のテクニックと、はじめの一歩

昼下がりの学食。

カレーとコーヒーの香りが混ざるなか、七瀬ゆいはノートを広げていた。


ページには、几帳面な文字で書かれた仮説。


『快感は、誠実さの副産物である。』


(この命題を実証するには、再現性のある環境が必要……

 つまり、“感情の統制ができる場所”——。)


そんな独り言をつぶやいていたそのとき。


「ゆいちゃん、まだそんな難しい顔してるの?」


向かいの席に、勢いよくトレイを置く音。

明るい笑顔の松岡みおが、当然のように座り込んだ。


「昨日のこと、考えてたんでしょ? 性文化研究部!」


「……考えてたというより、分析してたの。」


「出た、“分析”。ほんと、ゆいちゃんの頭の中、どうなってるの?」


みおが笑いながらストローをくるくる回す。

ゆいは眉を少しひそめ、ノートを閉じた。


「あなたの部活、活動内容は“誠実な性愛の探求”で合ってる?」


「うん! 名前のわりに、意外とまじめでしょ?」


「……意外というより、危うい。」


みおはカップを置き、真剣な表情になった。


「でもね、ゆいちゃん。

 あの“究極マナー理論”を知ってから、ずっと考えてたの。

 “好きになる”って、エチケットみたいなものじゃないかなって。」


「エチケット?」


「うん。相手を尊重して、傷つけないようにする。

 でも、同時に“心地よさ”も共有したい。

 それって、愛でも友情でも同じでしょ?」


ゆいは思わず、みおの言葉にペンを止めた。


(——理論的に破綻してない。

 いや、むしろ私より“体感的に正しい”かもしれない。)


「……それを研究したいの?」


「そう。“究極マナー”って、つまり“究極の誠実”だと思うから。」


ゆいの胸の奥が、わずかに熱くなった。

自分の孤独な理論を“誠実”と呼ぶ人が初めて現れた。


「……でも、私は研究以外のことは得意じゃない。」


「ならちょうどいいよ。」

みおが笑う。

「私が“現場担当”、ゆいちゃんが“理論担当”。

 ——ほら、完璧じゃない?」


「……理論と現場を統合する、か。」

ゆいは思わず口の端を上げた。

「悪くない発想ね。だけど、データの取り方は慎重にしないと。」


「もちろん。たとえば——」

みおはトレイの上のスプーンを指さした。

「このスプーン、渡すときに“誠実な距離”を意識してみて?」


「誠実な……距離?」


ゆいがスプーンを取ろうとした瞬間、

みおの指先が、わずかにゆいの手に触れた。


ほんの一瞬。

けれど、心拍が確かに跳ねた。


「ほら、いまの。“誠実”って、理論より速いでしょ?」


「……実験にしては乱暴ね。」


「実験だからいいの!」

みおが笑う。

「部室、もう借りてあるんだ。放課後、来てくれる?」


ゆいはスプーンを見つめたまま、少し考える。

その銀の反射に、さっきの感覚が焼きついて離れなかった。


(——誠実さを、感覚で測る。

 そんな非科学的な方法、認められるはずが……)


けれど口を開いたとき、出た言葉は違っていた。


「……行くわ。データが取れるかもしれないから。」


みおがぱっと笑顔を輝かせた。


「決まりっ! じゃあ放課後、部室で!」


ゆいは小さくため息をついた。

でも、そのため息の中に、

ほんの少しだけ期待が混ざっていることを

彼女自身、気づいていなかった。


放課後。

薄暗い廊下の奥に、古びた扉。

プレートには手書きでこう書かれている。


『性文化研究部』


ゆいがドアノブに触れると、

中からにぎやかな声が聞こえた。


「やっほー! ゆいちゃん来たー!」


みおが手を振る。その隣に、

つむぎとりつの姿。


「新メンバーの七瀬ゆいさんです!」


拍手と笑い声。

ゆいは少し居心地悪そうに、

でも確かに微笑んでいた。


机の上にはノートPCとホワイトボード。

その真ん中に、みおがマーカーで大きく書く。


“究極マナー計画 第一項:誠実の定義を実験で探る”


「……まさか、ほんとにやるとは思わなかった。」

ゆいが呟くと、みおが笑って答えた。


「ね、面白そうでしょ?

 “恋愛でも友情でもない快感”を、

 この大学で見つけちゃおうよ。」


その言葉に、ゆいは少しだけ息をのんだ。


(——恋愛でも友情でもない。

 それこそ、私が求めていた“究極マナー”そのもの。)


「……いいわ。

 今日からこの研究、私が監修する。」


「やったー! ゆいちゃん、ようこそ!」


みおが手を伸ばす。

その手を取る瞬間、ゆいの胸の奥で、

小さく何かが弾けた。


——孤独な理論家の心に、

 初めて“共同研究者”の灯がともった。

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2025年12月28日 20:00
2025年12月29日 20:00
2025年12月30日 20:00

ぼっちな私の究極マナーは「最高の性愛の技術」です。性文化研究部で最高のテクニックを実践したら、なぜかみんなの心のバリア(羞恥心)が解け始めました。 寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった @marineband14

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